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般若心経の解説26、"以無所得故"

2016-05-08 19:24:23 | 般若心経
🍀般若心経の解説🍀26


🌸🌸「以無所得故(いむしょとくこ)」🌸🌸


「得(う)る所(ところ)無(な)きを以(も)っての故(ゆえ)に」

この箇所に相当しますサンスクリット文では、

「それ故に、得るということがないから」

「諸(もろもろ)の求道者(ぐどうしゃ)の智慧の完成に安んじて…」

と後の文にかかります。🎵

しかし、

われわれの玄奘訳「般若心経」では、

「是故空中」から「無智亦無得」までの前の文にかかっています。☀️

私たちはここでは、玄奘訳にしたがって読むことにしましょう。


しからば、
「無所得」とは「空☁️」と内容的には同じものといえそうです。

実践的には「執(とら)われの無い境地」ほどの意味に理解してよいでしょう。☀️

のっけから、むずしい解説になってしまい恐縮ですが、😵

まず、このことをおさえておいてください。

さて、禅宗のお師家(しけ)さんは若い雲水(修行僧)さんたちを指導するときに、

よく「無所得(むしょとく)、無所悟(むしょご)」といいます。

「むしょとく、むしょご」。

いい言葉🍀です。

皆さまも声を出してい言てみてください。

リズミカルでしょう。🎵🎵😄

長い間ひたすら座禅をしてますと、

ときとして、

「何かを得た!」

「さとった!」

と思うことがあります。☀️

しかし、
それは一時的な「魔心(ましん)(執われの心)」とみなされるべきです。🌸

それゆえ、師は弟子のさらなる精進⚡️を期待して、

「何も得てはいない。さとってもいない。まだまだ、まだまだ、」

という意味を込めて、

「無所得🌟、無所悟🌟」と叱咤激励(しったげきれい)するのです。💕

読者の皆さまの中には、

お茶🍵やお花🌸をたしなまれる方も多いでしょう。

長らく茶道🍵や華道🌸にいそしまれた結果、

「私は茶や花の極意を得た」と実感💓された方もおありでしょう。

しかし、そのようなときには、

さらなる向上をめざし初心💓にかえることが肝要🍀です。

「花伝書」をあらわした世阿弥は、

「初心を忘るべからず」といましめています。

「初心」とは、お茶🍵にしろ、お花🌸にしろ、座禅修行⚡️にしろ、

その道にはじめて入ったときの初々しい、清々しい心☀️です。

邪念のない、「空☁️」の心にほかなりません。

「無所得」の心とは、まさにそこのところをいったものといえましょう。


(「あなただけの般若心経」より)

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