庭を考える

庭を通じて生活のあり方を考える。

白樺林にサブマリン!?

2018-03-03 11:05:47 | 旅行

少し時間が過ぎてしまいましたが、年末年始娘夫婦の住むボストンへ旅行した時の一こまを園芸家の視線で…

ここはボストンから車で1時間余りのポーツマス 日本の教科書にもポーツマス条約で知るところの場所です。

日露戦争での講和条約をアメリカの仲介を経て調印した地です。

私もここで改めて知ったところですので、詳しくはありませんが、軍港であったこの地が調印場所として適当とされたのでしょう。

さてその地の一角に写真のような潜水艦が展示してあります。

奥に港がありそこから堀を巡らせこちらまで引き込んだものと思われ、現在は水は抜かれ展示されています。

普段は内部も見学できるようですがあいにくの休館日だったので外側だけの見学となりました。

マッドブラックの船体は、鉄でできたクジラのようです。形状からも偵察用の潜水艦だと娘の夫が解説してくれました。

そのことよりも写真のようにシラカバなどの木々の間に展示されている光景が面白く感じられました。

私からすると白樺は涼冷な山間部にあるものだというイメージなので そうするとこれは差し詰め山クジラですかねぇ・・・

もっとも緯度が北であるので普通のことなのですね。


京都~大原、三千院🎶 Ⅱ

2017-09-07 10:53:57 | 旅行

京都は名所 名刹が多く観光する立場としては何処を巡ろうかと考えてしまいますね。

前日は無鄰菴を訪れた後に南禅寺に向かいました。ただ自分もそのうちの一人だろうと言われればその通りなのですが、人を見に来ているような混み様なので鑑賞に耽る雰囲気ではありませんでした。どうしてもということなら早朝に訪れることでしょうか。

というわけで、4日は大原に向かうことにしました。京都はバス網が発達しており、バスの1日券500円で市内はほとんど乗り放題です。大原は郊外になりますのでプラス料金が発生しますが、市内から1時間余り乗車することになりますので当然といえば当然です。鴨川沿いを走りそれが高野川になるころはいよいよ山道になります。後でも述べますが今ではバスで1時間余りですがその昔大原女は徒歩で、京都の町へ行商に出ていたのですね。

バスターミナルに着き先ずは寂光院に向かうことにします。バスを降りた観光客は終点ではほとんど着座をしていたほどの人数でしたので、三千院へ向かう方もいたので寂光院へ向かう方はまばらでした。刈り取り中の稲田の間を20分程度で寂光院につきました。

 

聖徳太子が建立されたと伝えられますが、平家が壇ノ浦で滅亡後、平清盛の娘が建礼門院とし平家一門と我が子安徳天皇の菩提を弔うため終生依拠したと伝えられます。

 丁度住職のお話をいただくことができました。建礼門院は29歳で入院(じゆいん)36歳で遷化されたとのこと。僅か7年をどのような思いで過ごされたかは、私には推し量るべきもありません。侍女は大原女となり日々の生活をお支えした。そのうちのひとつとして柴漬けが産物として今は広く知られるところとなりました。

 

  幾多の困難を越えた寂光院でほっこりするお地蔵さん。【私見)

 

寂光院本堂は平成12年に放火による火災で焼失しています。すっかり忘れていましたが当時新聞などでも大きく取り上げられていました。

本尊の六万体地蔵尊は表面は焼けたものの体内地蔵は一部は焼け残ったそうです。また5年の期間を越え本堂も再建し本尊も修復され別途安置されています。

現在本堂に安置されている地蔵尊はいわば二代目です。

さて寂光院を後にし、三千院へ向かいます。

こちらもあまりにも有名な寺社 境内もお参りさせて頂きました。

帰り道ふと見ると石碑が・・・

 女ひとり 故永六輔氏作詞の石碑です。右下に平成25年に撮られた石碑脇に立たれている写真が添えられていました。

この後市内に戻り新幹線で京都を後にしました。

 

 

 

 


京都~大原、三千院🎶

2017-09-05 16:14:37 | 旅行

9月3日4日の急ぎ旅で妻と京都へ行ってまいりました。

主な目的は妻のナンタケットバスケット製作の生徒さんでもあり、キルト製作では日本の第一人者でもいらっしゃるK先生とその生徒さんの展覧会鑑賞のための旅で、私も35年ぶりぐらいの京都への訪問でした。第一の訪問先ではありましたが会場は撮影禁止のため写真はありません。私自身は門外漢のため何を評論する立場にはありませんが、一間四方のタペストリーにひと針ひと針刺して行く根気、デザイン力 3年を費やした作品もあると聞き、只々・・・・

その後、私も庭師の端くれ無鄰菴をたずねました。こちらは明治の偉人山形有朋の別邸 

 滝付近から母屋方面を望む

明治の造園家 小川治兵衛作の有名な庭園です。

大雑把な説明で申し訳ありませんが,敷地は直角三角形の様な形をしており面積は3千平米余り、母屋は最短辺部に位置し最鋭角部を望む配置となっています。

その鋭角部付近から琵琶湖疎水を利用し滝 渓流 川と一連の流れを母屋に向かい仕立てました。母屋付近は低木や芝生で視界が開けていますが、奥へ行くに従い木立は高くなり足元はシダやコケに代わっていきます。母屋へ戻ってみますとこの配置が見事に奥行き感を出しているのかがよくわかります。

本当に癒されました。 

つづく


只見線 復旧に向かう

2017-07-03 17:21:32 | 旅行

只見線 復旧に向かう

先月 2011年7月の水害で分断されていた只見線が復旧に向けスタートするという記事を観ました。

只見と云いますと子供たちが小中学生の頃の夏のキャンプに10年余り通い詰めた思い出の場所です。

オートキャンプでしたので乗車をしたとかという思いではありませんが、新潟の小出側から只見へ向かうときは国道と並走していましたので、ローカル線の単線区間で、おそらく便数も当時から少なかったと思いますが、ディーゼル気動車ですので、独特の音を奏でながら走るのを見かけることもありました。

またキャンプ場では朝の一番列車が出発するときの汽笛が目覚まし代わりにもなったことがありました。

復旧には莫大な予算が必要とのことから、赤字ローカル線の多くの運命が廃止へ向かう中、地元の方には大きな希望となることでしょう。

現在不通区間をバスが代行運転をしていますが、地元の方は当然一本のレールで繋がれることを望んでいます。

只見川をまたぐ橋梁上の列車通過を狙った鉄道写真は鉄道ファンの間でも有名です。がこの橋を含む何本かが流されてしまいました。

 上の写真は昨年の夏に久々に訪れた時のスナップです。会津西方駅付近のものです。

時刻表を見ると一日3便のうちの一本に出会えたようです。渓谷沿いを走る姿は私を鉄道のにわかファンにさせてくれました。

 

 

 

 

 

 

 


只見・会津喜多方旅行

2016-08-26 11:06:24 | 旅行

8月21日から2泊3日で福島県只見・会津喜多方 方面に旅行してきました。今回は休みが取れたということで、娘一人も参加です。

只見には12年ぶりの訪問です。只見町にはオートキャンプ場があり子供たちも含め家族4人でそれまでの約10年毎夏訪れていた場所です。

処々の理由で足が遠のいてしまいましたが、夏になるとまた行きたいねとはずっと話していました。 2泊3日という日程でもありますし、年齢的にも上げ膳据え膳のほうがいいねということになり 湯ら里 という宿泊施設を使わせていただきました。その前に立ち寄ったのが

三島にある生活工芸館 こちらはナンタケットバスケットの作家である妻が是非訪れてみたいということで伺いました。

こちらは近在で産した素材で、地元の作家さんが手作りした工芸品を展示販売している館です。

特に6月のふるさと会津工人まつりは2日間だけでも2万人の方が訪れるという知る人ぞ知るという場所なのだそうです。

かご好きの妻は、興味津々 

何点かを購入して私にも桐下駄をプレゼントしてくれました。私が興味を持ったのは

うるしを掻くための刃物 他に木挽きなどの展示もありました。

後に宿泊地の只見へ向かいます。只見線沿いの道路に差し掛かると踏切の警報音が!

これはと思い車を止めると  

やって来ました!愛車と2ショットです。現在只見線は2011年の夏の水害で、一部不通区間があり東側区間は会津若松から会津川口までの1日3往復のみの運転です。

その貴重な運行時間に巡り合いました。

ただ私のような旅人には郷愁でしかありませんが、地元の方には生活路線バスの代行運転があるとはいえ一本のレールで繋がっているという意味合いはあると思います。1日も早い復旧を願います。

帰り道 只見のキャンプ場に寄ってみました。12年ぶりですがほとんど変わった様子はありません。管理棟の一階に合った受付が2階に替わっているようです。先に妻と娘が2階に上がっていきます。するとその先から叫ぶようにoさーん えっと思った瞬間妻もmさーん 実は12年もたっているし、もはやと思い寄ってみたのですが当時お世話になったm女史がまだ勤務をされていました。お逢いはできませんでしたがwさんもまだ勤務されているとのこと。その当時はうかがうと10日程度は滞在していましたのでそれを10年続けていたわけですからいいにつけ悪いにつけ覚えていてくださりました。話はその当時に戻り再開を約し後にしました。

 湯ら里 (連泊しました。)

こちらはキャンプをしていたころにも日帰りで温泉施設を使わせてもらったり、一度冬に子供達も含めスキーで宿泊させてもらったことがありました。

食事も地の新鮮な素材を使い、とてもおいしくもちろん地酒でいただきました。こちらは従業員の方も適当な距離感をもって接していただけるので、私たちにとっては心地の良い施設です。

2日目は五色沼へと足を延ばそうかと思いましたがあいにくの雨

喜多方へ向かうこととしました。

うるし美術博物館があるよといったら妻もぜひそこへということで 喜多方についたのが昼時だったのでまずはということで、市内100件以上あるというラーメン店でも評判店ではすでに行列が・・・ 運よく駐車場のあいているラーメン店へ、こちらも私の口にはよく合いおいしくいただきました。シンプル イズ ベストといった感じです。

さておなかも満ちたところでうるし美術博物館へ 食事処も併設されています。

もともと会津は米どころ こちらの建物は米問屋であったところを現在このようにされているそうです。

こちらも資料展示のほか展示販売もあり、妻は財布のひもを緩めていました。 

そうこうしているうちに3時過ぎ連泊している湯ら里に戻る時間です。 台風の余波を受け雨の中をまた只見に戻ります。

ほとんどが山道のワンデングロード 車高の高い愛車にはちょっと不利ですが帰り道約2時間のツーリング頑張ってもらいます。

帰り着いてから即温泉につかり、夕食です。連泊ですのでメニューも変えていただいたようです。こういう気配りは当たり前のようですが有り難いです。当然のんべぇの我が家としてはおいしい地酒と一緒にいただきました。こちらでは花泉と男山がおすすめです。

さて3日目

朝ぶろを浴び 朝食からお替わりをし絶好調!!

おせわになった湯ら里をチェックアウト

帰り道会津田島の男山酒造に立ち寄ります。門をくぐると麹の香りが、自宅用とお土産用にお酒をいただきます。

 田島道の駅 こちらでは新鮮な野菜を購入 南郷のトマトは有名ですね。

そして塩原の温泉街を抜け(もったいないようですが今回の旅行では通過点です。)西那須野塩原インターへ 東北道 現実に引き戻されるタイムスリップロードいよいよ旅も終盤です。その後無事帰宅したのは言うまでもありません。

長々がありがとうございました。