庭を考える

庭を通じて生活のあり方を考える。

やっちまったー

2017-09-25 14:02:00 | クルマ

9月の中頃から持病になりつつある腰痛が長引き、しばらく車にも乗らずにいたところ少し回復をしてきたところで、妻に買い出しを頼まれ自宅に止めてあるダットラで別の駐車場に留めてあるディフェンダーに乗り換えるべく行ったのですがいざ乗ろうとすると、ドアの隙間から侵入したであろう雨水がフロアマットでお出迎え マットにはふちがあるので水たまり状態 「そおーっ」と引っ張り出し車外へ放出 さていざ乗り込んでエンジンキーを・・・アレッ ウン とも スン とも言わないぞ やっちまった―

兎も角 ここはアタフタしていてもしょうがないのでダットラで行くことになり ただし家のダットラはピックアップでも3人乗りの べェ‼ ベェンチシート

一回の食料品1週間分を買い物するので、買ったものは正に荷台へ置くことに、真夏の暑い日でなくよかったァ

買い物は広い駐車場のあるスーパーだったのですが、買い物を済ませ戻ってみると我がダットラの隣にはカブリオレのピカピカに磨き上げられたポルシェが・・!

当初はメタリックカラーのはずだった今となっては細かな傷やへこみのあるマッドカラーとの見事な対比 写真でお見せできないのが残念です。

ここまでは昨日の話

今日はディフェンダーの回復を図るべき、まずは冷静になりもう一度エンジンキーを はたしてウンともスンとも言いません。ここは1980年入会の永年会員でもありますのでJAFさんにお願いするしかありません。オペレーションセンターへ連絡すると女性が対応してくれました。その時にまず聞かれたことですが路上に止まっているのか、駐車場に止まっているかということでした。駐車場ですと答えると、安心しましたと言われました。故障や事故などでの待機中 更なる事故などがおこることが度々報ぜられることがありますが、それを心配しての声掛けをいただきました。先ずは安全確保という姿勢が素晴らしいと思いました。そのあとバッテリー上がりの旨を伝え対応をお願いしました。改めて約束の時間に駐車場で待っているとレッカー車が来てくれました。男性隊員の方はてきぱきと対応してくれ、原因はルームランプのつけっぱなしだったようです。私もエンジンが回らない時点であれこれスィッチ類を動かさないほうが原因を探るにはよいと判断しておいたので、簡易充電器を接続してくれた時点でルームランプが点灯したのを確認しました。車を離れる時の初歩的ミスでした。やっちまったー バッテリー自体は充電をすれば回復しそうなので近くの修理工場でお願いすることにしました。 皆さんありがとうございました。

 さてピックアップと云えばトヨタがハイラックスのダブルキャブを何年かぶりに復活させるそうですね。それもディーゼルだそう。排ガスを出すには違いありませんが、環境性能も進化しているしピックアップにはよいのではないでしょうか。 荷台の広いシングルキャブのダットラは友人のバイク屋さんも使っていますし業種によっては需要もありそうですが、キャブオーバーのほうが日本の道路事情にはあっているのですかね。かくいう私もディフェンダーをほとんど舗装された都会で乗っているのは自己満足としか言えませんが…

・・・とさらに昨日の話でした。

 

 

 

 

 

 

 


京都~大原、三千院🎶 Ⅱ

2017-09-07 10:53:57 | 旅行

京都は名所 名刹が多く観光する立場としては何処を巡ろうかと考えてしまいますね。

前日は無鄰菴を訪れた後に南禅寺に向かいました。ただ自分もそのうちの一人だろうと言われればその通りなのですが、人を見に来ているような混み様なので鑑賞に耽る雰囲気ではありませんでした。どうしてもということなら早朝に訪れることでしょうか。

というわけで、4日は大原に向かうことにしました。京都はバス網が発達しており、バスの1日券500円で市内はほとんど乗り放題です。大原は郊外になりますのでプラス料金が発生しますが、市内から1時間余り乗車することになりますので当然といえば当然です。鴨川沿いを走りそれが高野川になるころはいよいよ山道になります。後でも述べますが今ではバスで1時間余りですがその昔大原女は徒歩で、京都の町へ行商に出ていたのですね。

バスターミナルに着き先ずは寂光院に向かうことにします。バスを降りた観光客は終点ではほとんど着座をしていたほどの人数でしたので、三千院へ向かう方もいたので寂光院へ向かう方はまばらでした。刈り取り中の稲田の間を20分程度で寂光院につきました。

 

聖徳太子が建立されたと伝えられますが、平家が壇ノ浦で滅亡後、平清盛の娘が建礼門院とし平家一門と我が子安徳天皇の菩提を弔うため終生依拠したと伝えられます。

 丁度住職のお話をいただくことができました。建礼門院は29歳で入院(じゆいん)36歳で遷化されたとのこと。僅か7年をどのような思いで過ごされたかは、私には推し量るべきもありません。侍女は大原女となり日々の生活をお支えした。そのうちのひとつとして柴漬けが産物として今は広く知られるところとなりました。

 

  幾多の困難を越えた寂光院でほっこりするお地蔵さん。【私見)

 

寂光院本堂は平成12年に放火による火災で焼失しています。すっかり忘れていましたが当時新聞などでも大きく取り上げられていました。

本尊の六万体地蔵尊は表面は焼けたものの体内地蔵は一部は焼け残ったそうです。また5年の期間を越え本堂も再建し本尊も修復され別途安置されています。

現在本堂に安置されている地蔵尊はいわば二代目です。

さて寂光院を後にし、三千院へ向かいます。

こちらもあまりにも有名な寺社 境内もお参りさせて頂きました。

帰り道ふと見ると石碑が・・・

 女ひとり 故永六輔氏作詞の石碑です。右下に平成25年に撮られた石碑脇に立たれている写真が添えられていました。

この後市内に戻り新幹線で京都を後にしました。

 

 

 

 


京都~大原、三千院🎶

2017-09-05 16:14:37 | 旅行

9月3日4日の急ぎ旅で妻と京都へ行ってまいりました。

主な目的は妻のナンタケットバスケット製作の生徒さんでもあり、キルト製作では日本の第一人者でもいらっしゃるK先生とその生徒さんの展覧会鑑賞のための旅で、私も35年ぶりぐらいの京都への訪問でした。第一の訪問先ではありましたが会場は撮影禁止のため写真はありません。私自身は門外漢のため何を評論する立場にはありませんが、一間四方のタペストリーにひと針ひと針刺して行く根気、デザイン力 3年を費やした作品もあると聞き、只々・・・・

その後、私も庭師の端くれ無鄰菴をたずねました。こちらは明治の偉人山形有朋の別邸 

 滝付近から母屋方面を望む

明治の造園家 小川治兵衛作の有名な庭園です。

大雑把な説明で申し訳ありませんが,敷地は直角三角形の様な形をしており面積は3千平米余り、母屋は最短辺部に位置し最鋭角部を望む配置となっています。

その鋭角部付近から琵琶湖疎水を利用し滝 渓流 川と一連の流れを母屋に向かい仕立てました。母屋付近は低木や芝生で視界が開けていますが、奥へ行くに従い木立は高くなり足元はシダやコケに代わっていきます。母屋へ戻ってみますとこの配置が見事に奥行き感を出しているのかがよくわかります。

本当に癒されました。 

つづく