MS「多発性硬化症」と共に生きる

難病の「多発性硬化症」患者です。家での映画鑑賞とガーデニングが趣味でです。薔薇が好きになり信仰に支えらながらの毎日です。

ひとりで生きていくこと

2024-02-15 17:12:00 | 生き方


 

私がひとりで生きていかなければ、と思ったのは母が亡くなってからである。
母はメールが出来たのでやり取りしていたが、メールが急に途絶えたので駆けつけたら暗闇の中にひとり居た。
頭がボーっとしていたので、私の家に連れ帰った。
それから2年間母と一緒に暮らした。それは貴重な楽しい時間だった。
お互い頼り頼られつつ生きて来た。

私ひとりで3食を食べさせることは体力的に無理だったのと、美味しいものを母に食べさせたくて思いついたのがお手伝いてを雇うことだった。
車の運転が出来るから、母が急逝昔住んでいたところなど連れて行ってもらい、母も喜んでいた。

母が胸部大動脈瘤破裂で急逝して、暫くお手伝いさんはいたが、私が寝てばかりいて何もしないから身体がダメになると思ったので、辞めてもらった。

さあ、これからひとりで生きなければいけない、と考え、何となく医師会に電話した。

すると訪問看護師と訪問リハビリを寄こして欲しいと言うと、いいですよと言われた。

ヘルパーさんがいるなぁと思い、母が利用していたデイサービスの所に電話したらいいですよ、週に2回、1.5時間ずつ使えますと実に簡単に決まった。

求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。(マタイ7:7)
聖書に書いてあるその通りになった。
私は入院セットをボストンバック2つ用意していて、パジャマを季節のものと入れ替えればよいようにしていたので、リュックに1日分の入院道具を持って病院に行き、入院が決まったら、母に電話してボストンバックを近くのクロネコから送ってもらっていた。

出来るだけ誰にも迷惑を掛けないように…。
その母も居なくなって、本当にひとりになった。
それでも何とか楽しく生きていけるのは、ヘルパーさんや看護師さん、OTさんのお陰だと感謝している。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実習生

2024-02-11 15:47:00 | 入院
実は私に看護学生が2週間ついた。
月曜日から金曜日の2週間で、私が木曜日に入院したものだから、木曜日に挨拶に来た。
その時は私はそれなりに元気だった。
そして昨日の金曜日までで実習は終わった。
寂しくなった。

手術の日は手術室まで入って、私の手術を見ていたそうだ。
私は見ていないのに、ビデオでも回して欲しかったと心の中でつぶやいた。

私のバイタル(検温や血圧など)を取って、看護師さんに報告する姿は凛としていた。

トイレに行くのに、いちいち看護師さんを呼ばないといけないので(車椅子を持ってきて、私は勝手に操作出来ない、)、躊躇していると、トイレは
大丈夫ですか?ナースコールを押しましょうかと、背中を押してくれた。

私はいつも右足を固定されている状態だから、私がしたくても出来ないことをしてくれた。

そしてよく話した。彼女に質問して彼女が話すのより、私が彼女に話したことの方が遥かに多いだろう。  

看護師さんに言えないこと、例えばトイレに連れて行ってもらって、向かい合った状況で下着を降そうとするので私は物凄く屈辱を感じたことを彼女に話した。

それからは自分で出来ますと言って、曲芸のような格好で自分で必死でやった。恥ずかしさには変えられない。

あとは30分お風呂作戦を立てた。
右足が太くなっているので脱ぎ着に時間がかかり、右足に厚手のビニールを巻き付け、ゴムで縛るのでそれだけでかなり時間かかる。
だから私が頭を洗い、彼女が身体に石鹸を塗り、看護師さんが身体をこするという役割分担だ。いつもギリギリセーフだ。

二人で楽しかった分、寂しくなった。
最後に彼女が去る前に、彼女の方から私の手を握り、私も握って別れを惜しんだ。
ハグしたらよかったかな、と思っている。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かかと歩き

2024-02-09 16:26:51 | 入院
今日は午前中は何もなかったのに、午後からは忙しかった。
これまでリハビリはベッドサイドでしていたが、今日から下のリハビリ室に降りてかかと歩きを初めてする。
実際にしてみると、最初はかかとが割れるように痛くて、皆んなそう言うというPTさんの言葉に触発されて、歩けるようになった。
かかと歩きは歩き始めはいいが、だんだん集中力が低下して、PTさんに注意される。
まあこれくらいかな、で今日は終わった。





その後、お風呂に30分で入らなければいけないから大変だ。
看護師さんと実習生との3人で、チャップリンの「モダン・タイムス」
のように機械のように必死で動くので、お風呂場を出た時には自ずと笑いが込み上げてくる。


そしてどこかの間でレントゲン写真を撮る。
綺麗なままだといいが…、気がかりである。

でも夕方先生が来られて、きれいだったよと、言われて嬉しかった。


関係ないが、歯が欠けた。
困ったものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャクリーヌ・デュ・プレのこと

2024-02-07 14:57:00 | これまでのこと

「ジャクリーヌ・デュ・プレ」はイギリスの天才チェリストで、当時は有名だった。
42歳で夭逝したからこの名前を知っている人は少ないだろう。
彼女は16歳でプロデビューし、22歳で有名なピアニストであり指揮者であるバレンボイムと結婚した。
途中体調を崩し、病名がなかなか分からず、やっとついた病名が「多発性硬化症」だった。
28歳の時て、その年引退した。
その頃、ステロイド・パルス療法など無かったのだろう。
映画の「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」を観た時、身体や手や足が震え、舞台で尿を漏らしたり、目のかすみを覚える彼女の姿はみていられなかった。
イギリスは「多発性硬化症」の患者が多い国だ。
日本に比べてダントツに多い。

彼女の有名な、私の好きな曲はエルガーのチェロ協奏曲だ。
まるで彼女の人生を表しているような曲だ。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

入院五日目

2024-02-05 21:53:00 | これまでのこと
手術が始まってから、全身麻酔で眠らされるので終わるまであっという間だった。
4時間以上かかったらしい。
「多発性硬化症」があるので、他の人よりリスクがあり、心電図を付けられ、酸素吸入はされ、何だか厳重な態勢が取られていたようだ。
翌朝には38 4度の熱が出て、更に翌朝には38.6度の熱が出た。
その間、また意識朦朧で朝、昼、晩の区別がつかないで、声も出ず、言葉がうまく出ず、手に力が入らなくて食事もこぼしてばかりだった。
「多発性硬化症」が急に進行した感じだった。
将来の自分を見るようで怖かった。


今日になって漸く平熱になった。
この数日間はMSに引き込まれて、悪魔の中にいるようだった。

お城にいるつもりが、とんだところに引き込まれていた。

熱には強い筈だったが、発熱で悪夢の中にいるようになったのは、MSがそうさせているのだろうか?
それともせん妄というものだろうか?
今度神経内科にかかった時に先生に聞いてみよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする