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定年後の暮らし春秋 ~ 菜園だより ~

現役時代の週末菜園から、定年後の野菜づくりへ。
自由な生活を謳歌する昭和15年生まれの日々。

辺野古沖の調査 目に余る政府の強引さ(2015年2月20日毎日新聞社説)

2015-02-20 16:17:07 | 桜ヶ丘9条の会

[毎日新聞] 社説:辺野古沖の調査 目に余る政府の強引さ (2015年02月20日)

沖縄県の翁長雄志(おなが・たけし)知事が、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設工事に向けた準備作業を停止するよう沖縄防衛局に指示した。サンゴ礁が、海に沈めた大型のコンクリート製ブロックの下敷きになっているとみられるためだ。政府は作業を中断し、海底ボーリング調査の再開も見送るべきだ。

安倍晋三首相は衆院代表質問で「日米合意に従い、沖縄の理解を得る努力を続けながら移設を進める」と語った。だが移設に反対する翁長知事が就任してからこの2カ月、政府の対応は沖縄の理解を得る姿勢からはほど遠く、強引さが目に余る。

県は前知事時代、辺野古の埋め立て予定地で海底の岩石を掘削し土砂を採取できる「岩礁破砕許可」を沖縄防衛局に出している。この許可区域外で、ブロックがサンゴ礁を損傷しているとみられる様子が、市民グループの潜水調査で確認された。

ブロックは、立ち入り制限区域を示すブイ(浮標)やフロート(浮き具)の重りとして沖縄防衛局が海に沈めたもので、一つ10?45トンある。

翁長知事の作業停止指示は、岩礁破砕許可の中の「公益上の理由により(県が)指示する場合は従うこと」との規定に基づく。具体的には新たなブロックの設置停止や海底写真などの資料提出を求めた。当然のことだ。県は27日から現地調査を行い、沖縄防衛局が従わなければ許可の取り消しも視野に入れるという。

ところが政府は、昨年8月の岩礁破砕許可の際、県側からブイ設置のための手続きは不要と言われ、問題はないとの立場だ。ブロックの設置作業はほぼ終わっているため影響はないとしており、工事の準備作業を続行するという。昨年9月から中断していた海底ボーリング調査を近く再開する方針で、6月ごろまでに埋め立て工事に着手したい考えだ。

政府が言うように前知事時代の行政手続きに問題がなかったとしても、サンゴ礁の損傷に目をつむり、停止指示を無視するようにそのまま準備作業を進めようという姿勢は理解に苦しむ。作業を中断すべきだ。

また翁長知事は前知事による埋め立て承認について検証する第三者委員会を発足させた。少なくとも検証が終わる7月ごろまでは、ボーリング調査を再開すべきでない。

移設反対の抗議行動が続く辺野古の米軍キャンプ・シュワブ前で、市民と警官がもみ合いになり、けが人や逮捕者が出ていることも残念だ。

上京した知事に安倍首相や菅義偉官房長官が面会しない状態も続く。

政府は地元の声に耳を傾けず、どうやって理解を得ようというのか。これ以上、沖縄との亀裂を深めてはならない。

「はだしのゲン」と現在の状況とのシンクロに愕然(2013年10月11日徳田満のブログより)

2014-08-16 09:20:52 | 桜ヶ丘9条の会

「はだしのゲン」(少年ジャンプ連載)、全巻発刊もある。読んだ人も読んでない人も、再読しよう。

 

『はだしのゲン』のシンクロニシティー

 ようやく『はだしのゲン』全巻読了。

 

 例の松江市教育委員会が閲覧制限を求めていた問題がきっかけで、幼少時に『週刊少年ジャンプ』で連載していたのを読んで以来、40年ぶりかで再読したのだが、予想通りすっかり内容を忘れていた。

 

 それにしても、今読むと、ことごとく身につまされるというか、現在の日本が置かれている状況とシンクロすることばかりで、何よりもそのことに愕然とする。

 

 たとえば昭和20(1945)年の4月。すでに日本の敗色は濃厚だったが、主人公・中岡元の通っている広島の小学校教師は、授業でこう言い放つ。

「日本は神の国である。どんな敵が襲ってこようと神風が吹いて敵を吹き飛ばし、必ず日本は戦争に勝つ」

 続けてこの教師は、前線の兵士へ贈る綴り方を生徒達に書かせ、その場で読ませる。誰もが「自分も早く大きくなり、憎い米兵をたくさん殺す」とか「どんなに苦しくても、天皇陛下のために頑張り、いつでも死ぬ覚悟です」といった内容の作文を読むなか、元だけはこのように朗読する。

「僕の父ちゃんは、日本は戦争はしてはいけないといいます。

 戦争は人の命を奪って何もかも壊してしまう…と。僕もそうだと思います。

 兵隊さん、死なないでください。お父さんやお母さんが悲しみますから」

 それを聴いた教師は憤慨して元を殴りつけ、非国民とののしる。

 

 約70年後の現在、元や彼の父親の考えをおかしいと思う日本人は少ないだろう。
 しかし、自分は、この教師の「日本は必ず戦争に勝つ」発言と、安倍晋三総理が東京五輪招致の際に明言した、「汚染水は完全にブロックされている」「過去も現在も将来も(原発事故による)健康被害はない」が、ダブって見えるのだ。

 

 その後、公然と戦争に反対する中岡元の父親は、警察に捕まり、殴る蹴るのリンチを加えられた挙げ句、ようやく釈放されて帰宅する。

 喜んだ元は調子に乗り、近くに住む朝鮮人をバカにする歌を歌うが、父親はその元を張り倒して怒る。

「ばかたれっ。朝鮮の人をばかにするようなことを言うなっ」

「だ、だって、みんな言うとるぞ。朝鮮人や中国人はばかだって」

「だまされるんじゃない。

戦争を始めた日本のお偉方がばかだと教え込んだんだ。

日本人が優れていて、朝鮮人や中国人はばかでダメな人間だとな。

よその人間はみんなだめで鬼みたいなやつだと教え…

弱い相手だから日本は戦争に勝てると信じさせるためだ」

「それじゃ先生がアメリカもイギリスも鬼だというのはうそか?」

「そうだ」

「日本が神国で、天皇陛下は神様で、神風が吹いて必ず戦争に勝つことも嘘か?」

「そうだ。

今の日本は学校も新聞もラジオも警察も軍隊も、戦争を始めた軍部の独裁者のいいなり…

お前たちに嘘を教えているんだ。

お前たちはだまされるんじゃないぞ。

中国や朝鮮の人、みんなと仲良くするんだ。それが戦争を防ぐ、たったひとつの道だ」

 

 この部分も、現在あえて中国や韓国と敵対関係を作っているかのような安倍政権=日本政府を思い起こさせる。

 

 シンクロはまだまだ続く。

 一家揃って「非国民」とののしられる家族に肩身の狭い思いをさせまいと、自ら海軍予科練に志願した元の長兄・浩二は、酔っぱらって彼に絡んできた熊井と出会う。

 熊井は理系の研究者を目指していながら学徒出陣で駆り出され、心ならずも特攻隊に志願させられたのだ。5日後に沖縄で敵艦に突っ込むという熊井は、こう言って嘆く。

「だいたい、人間は老人から順番に死んでいくのが当たり前だ。

 そ、それが、俺たち未来ある若い者が先に死んでいく。

 なんで戦争を起こして命令ばかりしているじじいが生き残るんだ、間違っとる!」

 

 熊井たち特攻隊員は福島第一原発の作業員、あるいは福島から避難できない子どもたち。「命令ばかりしているじじい」は安倍首相や内閣の各大臣、東京電力の勝俣元会長をはじめとする幹部、経団連の米倉会長や原子力ムラの老人たちを連想する。

 

 『はだしのゲン』第一巻、それもまだ原爆が広島に投下される前だけでも、これだけ現在と重なる部分がある。

 

 原爆が投下されて以降は、作者である中沢啓司の怒りは、主に原爆投下の事態を招いた日本政府と昭和天皇へ向けられる。その怒りは激烈で、『はだしのゲン』を閲覧制限にしろと松江市教育委員会などにねじ込んだネトウヨや在特会の真の狙いは、大東亜(太平洋)戦争と昭和天皇への批判(戦争責任の追求)を封じ込めるためだと思える。

 

 そして、その批判はそのまま、改憲や集団的自衛権を行使しようとする、右傾化した安倍政権への批判にもなっている。

 

 昭和23(1948)年。原爆症で入院していた元の母親が家に戻ってくる。

 喜ぶ元は、兄の昭から悲しい事実を知らされる。

 母は余命四ヶ月の命で、医者にも見放されたため、本人には真実を知らせずに退院させたのだという。

 元気そうに見える母は、元に、原爆で死んだ父親のことを語り出す。

「それから、父さんに大事なことをいっぱい教わったよ。

 お、おそろしいことも…」

「ど、どんな…お母ちゃん、どんな大事なこととおそろしいことを教えてもろうたんじゃ……」

「それはね……戦争に反対することは、いかにおそろしくて大事なことかということよ」

「知っとるよ。お父さんが警察に捕まってすごく殴られたけえ……それに非国民と言われて、わしらもお母ちゃんも町内会長やみんなにいじめられたけえ……」

「あんなもんじゃないのよ。天皇を中心にして、軍人が政治の権力を握り……

天皇のためだ、日本のためだと、国民は戦争をすることばかり教え込まれた軍国主義の世の中で、戦争に反対することは…」

母親の話は続く。

「お父さんの友達で杉田さんという人は、そんな危険な日本を変えようと、演劇を通じて多くの人に知らせ、戦争に反対することを呼びかけていたのよ。

特高警察は、杉田さんを捕まえようと、必死で探し回っていたのよ。

杉田さんは巧みに逃げ回って、自分の意志を押し通した……」

昭が尋ねる。

「なんで杉田さんを警察は捕まえるんじゃ」

「それはね、治安維持法という恐ろしい法律が作られ、戦争に反対する人や政治に不満を言う、あらゆる人を、その法律で捕まえていたのよ。

戦争に反対したり不満を言う人が増えたら、戦争を進めることができないでしょう」

元がうなづく。

「政府や軍人らが困るわけか」

「そうよ、それに戦争して兵器を作って金を儲けるやつらもね。

だけど、ついに杉田さんは…」

「捕まったんか」

「そうよ。特高警察のスパイが杉田さんと同じ仲間のふりをして近づき、杉田さんの仲間がみんな集まる時を狙っていたのよ。

女の人もいたわ……。

そして考え方を変えさせるために、はだかにしてみんなを拷問したのよ。

杉田さんは、自分の言っていることは正しいと、意志を貫き通したために、あらゆる拷問で責められた。爪をはがされ、タタミ針を突き刺され、水を耳や鼻に流し込んだり、気を失えば水をかけて意識を覚まさせ、毎日毎日…

体が二倍に腫れ上がり、ありとあらゆるところを殴られ、蹴られ、杉田さんは殺されてしまった。

死体は心臓マヒの病気で死んだと返されてね。

そんな人が日本中にたくさんいたことを、忘れてはいけんのよ。

女の人はいつでも拘置され、たとえ考えを変えて許されて出てきても、いつまでもヘビのようにつきまとい、結婚まで邪魔をして、みせしめのため困らせ続けたんよ」

「ひどいことをしていたんじゃのう、特高警察は」

「そうよ。すべての自由を奪っていったのよ。

父さんは、大事な人間を殺されたと、泣いてくやしがっていた……。今に、戦争に反対していたことが必ず正しかったとわかるときがくると……

そのとおりになったね。日本中焼け野原にされ、食い物もなんにもなくなり、何百万人もの日本人が殺され、父さん達も原爆で殺され……

もうあんな暗黒の恐ろしい時代に日本を返してはいけんね……警察や憲兵を使って、自由に喋ったり、映画や演劇や本を見ることができないようにする法律を作らせたりしては……

元、昭……お前達はこれから未来があるんだよ。戦争を喜ぶ世の中にしてはいけんよ」

「わかっとるよ、お母ちゃん」

「うちはおまえらが心配なんだよ。また戦争に巻き込まれはしないかと。

また戦争を喜ぶ流れが起きてしまったら、もう遅いのよ。次々と治安維持法みたいな法律が作られ、完全に逃げないようにされ、人間がただの戦争する道具にされるんだから……

いつも戦争を起こそうとする企てを早く見破って、みんなで声を張り上げ反対して防ぐのよ」

 

 言うまでもなく、ここに記された治安維持法は、まもなく開かれる国会で法案が審議され、通過しそうになっている「秘密保護法案」を想起させる。

 繰り返すが、これは戦中、今から70年も前の物語である。

 なのに、どうしてこんなにリアリティを持ってしまうのか?

 その答えはひとつしかない。

 すでに今は、新たな「戦中」だということだ。

 

 

「日本人っていつからこんなにバカになったんだろうと思うことが、最近よくあります」

 先日、自分のバンド仲間であるKさんが、Facebookでこんなことを書いていた。

自分も同感だが、もしかすると日本人はバカになったのではなく、もともとバカだったのではないかという気もする。

 

 再び、昭和20年。

 予科練に入った浩二は、地獄のような厳しいシゴキに耐えかね、首を吊って自殺した同期生の花田照吉が、訓練中の事故死として処理されることに憤慨。骨箱とともに帰途につく花田の両親に、せめて真実を伝えようとする。

 だが、花田の父親は意外な反応を見せる。

「な、なんだって! て、照吉は訓練にたえられず脱走してしまいに首を……。

 お、お前はなんてことを言うんだ。

 照吉はりっぱな名誉の戦死なんじゃ。隊長さんもたしかにそう言ってくだされた」

「ぼ…僕は、真相を知らせたくて…」

「黙れっ。照吉はお国のため、立派に死んだんだ。

 わしらの夢を壊すな。名誉を傷つけるな」

「ゆ、夢…?」

「照吉はお国のために戦争で死んでくれることが、わしらの夢なんじゃ!

 二度とバカなことを言わんでくれっ」

 唖然とする浩二は、

「な……なんてことだ。自分の息子の死をよろこんでいるなんて。

 な…なんてことだ…!

 おやじが言ったように、日本中が戦争に狂ってる」と嘆き、こう続ける。

「な、なぜ…なぜみんな、りこうになれないんだ。

 いつまでこんなまやかしの戦争に操られているんだ!

 日本人ひとりひとりが自分を大事にする気持ちにならんと、戦争は終わらん。

 ちくしょう、いったいいつまで続くんだ、こんなにいやな戦争の時代が…

 はやくはやく来てくれ。

 自由に人間らしく生きられる時代が………」

 

 もう遅いのか。

 まだ間に合うのか。

 それは70年前と同じく、「日本人ひとりひとりが自分を大事にする気持ち」を持てるかどうか、にかかっていると思う。

 
 

集団的自衛権行使容認の閣議決定に抗議する声明(民科法律部会理事会)

2014-08-15 16:26:56 | 桜ヶ丘9条の会

憲法9条解釈変更・集団的自衛権行使容認の閣議決定に抗議する声明

1 駐留米軍・自衛隊は憲法9条の戦争放棄・戦力不保持規定に反し、違憲との批判がなされてきた。しかし、政府の憲法9条解釈では、1954年の自衛隊発足後「自衛力」=「自衛のための必要最小限度の実力」論が基礎に置かれ、自衛力を保持し行使することは合憲だとされてきた。その「自衛力」論の下でも、集団的自衛権の行使は「自衛力」を超えるので、違憲だとされてきた。自国が武力攻撃を受けた場合に武力行使できる個別的自衛権は合憲だとしても、自国が武力攻撃を受けていないのに武力行使できる集団的自衛権は合憲だと説明できないとされてきた。この解釈は54年には政府側答弁の中で表明され、72年10月14日の政府提出資料によって確立したものである。54年から数えれば60年、72年から数えても40年以上の歴史を有する。憲法9条と駐留米軍・自衛隊違憲論の存在の下で、少なくともこの集団的自衛権否認解釈は憲法9条の規範性の中核を事実上なしており、戦後日本社会において「国家の統治の基本を定めた法」=実質的意味の憲法の重要な一部として機能してきた。

2 ところが2014年7月1日安倍晋三内閣は、憲法9条解釈の変更を閣議決定した。それは、個別的自衛権・集団安全保障関係の軍事力強化とともに、集団的自衛権行使の容認を含む。「憲法第9条の下で許容される自衛の措置」について、「従来の政府見解における憲法第9条の解釈の基本的な論理の枠内」で検討するとして、前述の72年資料を基礎に置く。この資料は、「わが国みずからの存立」のために「必要な自衛の措置」と言うように、54年以来の個別的自衛権による「自衛力論」の流れの中にある。そのうえで、「自衛のための措置」は
「必要最小限度」でなければならないとし、集団的自衛権はそこに含まれず違憲だと結論づけられている。それに対して閣議決定は、「自衛のための措置」の抽象性を利用することによって、個別的自衛権に限定されない「必要最小限度」の「武力の行使」が許容されるとする。このようにして、集団的自衛権という言葉を使わずに、集団的自衛権行使を容認しようとする。このような集団的自衛権行使の否認から容認への転換を「基本的な論理の枠内」にあると主張することに、閣議決定に言う「論理的整合性と法的安定性」があるとはやはり認め難い。

3 そのうえで閣議決定は、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、...必要最小限度の実力を行使することは、...自衛のための措置として、憲法上許容される」とする。この集団的自衛権行使に加えられた要件は、閣議決定に言う「日米同盟の抑止力」の「向上」などが強調されれば、拡張的に運用される可能性がある。さらに、この点に関して再度憲法解釈の変更が行われることもありうる。
「上記の『武力の行使』は、国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合がある。...憲法上は、...我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容される」と説明されている。この説明における武力行使は、個別的自衛権によるものの印象を与えつつ、集団的自衛権さらに集団安全保障によるものを含んでいる。このように、閣議決定は国民が問題の重大性に可能な限り気づかないように構成されている。

4 集団的自衛権行使として、並走する米艦の護衛など、アメリカが武力攻撃を受け日本に救援を求める事例が中心的に挙げられてきた。しかし、世界最大の軍事大国アメリカについて、これらの事態は軍事的には実際上ほとんど想定しがたい。集団的自衛権による正当化が行われた実例は、ベトナム戦争やアフガニスタン戦争のようなアメリカの行う戦争である。実際に最もあり得る集団的自衛権行使は、このような戦争の前線において自衛隊に戦闘を行わせるかたちで参戦することである。これが集団的自衛権行使容認の政治的本質であり、日本、アジア、世界の平和に決して役立つものではない。
以上のように、憲法9条の規範的意味の中核を閣議決定によって奪おうとすることは、立憲主義に抵触する。また国民的論議を回避しようとする態度は、民主主義に反する。根本的には、集団的自衛権行使の否認を中心にして軍事を抑制している9条の平和主義は価値あるものであり、集団的自衛権容認の解釈変更はもちろん、その次の段階に目指されている集団的自衛権解禁の明文改憲も行うべきではない。

5 閣議決定後まず年内に日米防衛協力ガイドラインの改定が予定され、ガイドラインによる国会審議の実質的拘束が予想される。しかし、国会は憲法73条3号によって条約の締結に対する承認権を認められているように、外交に関して最終的決定権を有し、ガイドラインに現れる問題を追及する責任を負っている。また来年には集団的自衛権行使容認を具体化する法案の審議が予定されている。これについても閣議決定による国会審議の実質的拘束が予想されるが、国会は閣議決定に縛られるものではなく、法案に含まれる問題を解明しなければならない。
これらの審議を通して、他国との「密接な関係」や国の存立などに対する「明白な危険」の意味を追究し、閣議決定を撤回させることが、国会の課題になる。これらの国会の動きと結びついて、国民は集団的自衛権容認批判の運動を本格化していかなければならない。

6 民主主義科学者協会法律部会は、規約で「民主主義法学の発展をはかることを目的とする」ことを明らかにしている学会である。「民主主義法学」の立場から、明文「改憲」だけではなく、憲法解釈の変更を含む「改革」の動向も対象にして学問活動を積み重ねてきた。また集団的自衛権行使容認に伴う社会の軍事化は、学会活動の前提となる自由、したがって学問の自由にとっても深刻な脅威になりうることに注意を払っている。
以上の点から、民主主義科学者協会法律部会は集団的自衛権行使容認を中心とする憲法9条解釈変更の動きに強く抗議し、その実現を阻止することに全力で取り組むことを誓い、ここに本声明を発表するものである。

2014年7月20日
民主主義科学者協会法律部会理事会