定年後の暮らし春秋 ~ 菜園だより ~

現役時代の週末菜園から、定年後の野菜づくりへ。
自由な生活を謳歌する昭和15年生まれの日々。

カラスとアイスクリーム

2007-08-30 23:47:29 | Weblog
カラスがアイスクリームを突ついているよくある風景だが、ここは、海産物の土産を売っているドライブインの駐車場で、建物の前にアイスクリームの自動販売機がある普通の駐車場である。
しかし、見ていてなんとなくおかしい。
第一、アイスクリームの中身は溶けていないから、カラスがこのアイスクリームを奪ったのは、人間が自動販売機で買った直後だろう。
しかし、奪われたであろう人間、おそらく子どもだろうが、可哀想な子どもの姿は見えない。
しかも、一羽のカラスが片足でアイスクリームを転がしているのを、すぐ近くで周りを警戒するようにほかの二羽があたりを見回している。
人間から奪ったのでないければ、まさかカラスがコインを自動販売機に入れてアイスクリームを買うことはないから、どうやってカラスはアイスクリームを手に入れたのだろう。
ドライブインの駐車場らしく、あたりにはゴミも無く、きれいに掃除されていて、カラスがいじり回しているアイスクリームだけが地面の落ちているのである。
ゴミ袋をあさるカラスはよく見るが、カラスと新品のアイスクリームという取り合わせは違和感が残った。

秋蒔きの大豆の芽が出た

2007-08-29 23:55:44 | Weblog
畑に直接蒔かずに、ぽっとで苗を育ててから植え替えることにしている大豆が、小さな芽を出し始めた。
ポットに蒔いて、充分の水をやり、上から新聞紙を被せて、新聞紙が風で飛ばないように、上に竹を2本重しに置いておくと、三日ほどで芽が出てくる。
芽が出たら、新聞紙の被いを取って日光に当ててやると、1週間もすると、移植できるようになる。
苗を3本づつ一緒に植えてやるのである。
後は、放っておいても大きくなって豆を付けてくれる。
秋蒔きの大豆は、ビールのつまみという時期ではないので、秋が過ぎ、冬になって枯れて来たら、根元から抜いて、小屋の軒下に干しておく。
からからに乾いたところで、土手にビニールシートを敷いて、その上で莢から大豆を取り出す。
木槌で叩くと、莢から豆が飛び出してくるが、全部は出て来ないので、手で剥いて取り出す。
こういう作業は、昔の農家は、屋敷内の中庭で、暖かい日差しを浴びながらやっていたものである。
菜園遊びでは、そういう風景の再現は無理だから、土手にビニールシートなのである。
最近は、どういうわけか、小麦や大豆を栽培する農家が増えて来た。
一時は、小麦や大豆は、日本農業から消えてしまったのかと思ったが、休耕田で小麦や大豆が作られている光景を良く見るようになった。
エタノールとかいうものが発見され、なんとなく食糧がガソリンの材料になってしまうことに、本能的に危険を感じたのであればいいのだが。
単に価格が上昇して、栽培に見合うということだけなのかもしれないとしても、先祖伝来の美田が、雑草だらけの休耕田になってしまっているよりはよほどいい。

郡上八幡駅

2007-08-29 00:19:21 | Weblog
郡上踊りで知られている郡上八幡駅は、山間の渓流が盆地のように広がった狭い街の外れにあった。
JR太多線が多治見から美濃太田の駅で高山線と合流するが、高山線には乗らずに、長良川鉄道に乗って1時間ほど揺られると、郡上八幡駅に着く。
この長良川鉄道、かっては、国鉄越美南線と呼ばれていた。
越美南線というのは、字のとおり、越前福井から美濃を結ぶために越美北線と結んで、日本のほぼまん中を横断する鉄道となる筈だったが、結局、越美北線は、福井から九頭竜湖までできたが、越美南線の終点の北濃駅とはついに結ぶことがなかった。
越前と結ばれなかった越美南線は、国鉄としては、廃止されることなったが、長良川鉄道となり、健在である。
郡上八幡駅は、懐かしい昔の駅の風情を残した完璧なたたずまいの駅である。
赤い郵便ポスト、郡上踊りのちょうちん、奥美濃ラーメンの幟もあるし、駅舎の中には、国鉄時代の列車の部品を集めたふるさと鉄道館もある。
駅前広場は、結構広いのだが、誰も歩いておらず、深閑としていた。
街は、ここから、大分離れていて、ここが古い城下町なのかと一瞬思ってしまうほど静かである。
郡上八幡城は、古い城跡は石垣だけ残されていたが、昭和8年に現在の天守閣が再建されたという。
もう40年も前に、城の前の広場で、郡上踊りを教えてもらい、その晩、城下の宿の泊まって、郡上踊りを見よう見まねで踊ったことをかすかに思い出した。
郡上八幡は、郡上おどりも有名だが、郡上一揆でも有名である。
岐阜市にある劇団はぐるまのこばやしひろしの戯曲「郡上一揆」が、のちに「郡上の立百姓」と改題され、評判となった。
劇団民芸など大手の劇団もとりあげ、映画にもなった。

竹炭のドラム缶焼き

2007-08-28 00:00:32 | Weblog
可児市にある日本昭和村の村内を歩いていたら、竹炭のドラム缶焼きの窯が4カ所作られているのを見つけた。
ドラム缶で竹炭をつくる方法はいろいろあるらしいが、ここでは、ドラム缶の上に土を被せていた。
煙突を付けて、竹の液を採集できるようになっている。
実は、我が家の菜園にも、竹林があり、毎年、冬になると伐採して、エンドウなどの支柱に利用しているのだが、それだけではつぎつぎと生えて来る竹が、見る間に足を踏み入れるのも困難になるほど繁ってしまうから、竹林の伐採作業がかなり大変なのである。
まず、葉の茂った竹を切り倒し、30センチおきぐらいに付いている枝を払う。
先端の3メートルぐらいは枝を付けたまま、切り離して、別の場所に積んでおくと、一冬過ぎると、葉っぱは枯れて、翌年になると細い枝の付いた支柱になる。
枝を払って、残った6、7メートルもの竹は、直径が3センチぐらいのところを長さ2メートルぐらいに切って、これはナスやトマト、キュウリ、ピーマンなど春野菜の支柱に利用する。
まだ竹は残っているのだが、これは太すぎて支柱には使えないから、燃やしてしまうのである。
払った枝とこの太い竹は、焚き火で燃やすのだが、竹は油分を多く含んでいるのか、伐採してすぐの生の竹でも、ぱちぱちとよく燃える。
困るのは、燃やす前に割っておかないと、熱で竹の中の空気が膨張して、結構大きな音を立てて爆発することである。
離れていれば危険なことはないが、運悪く燃えている火に近づいたときに爆発するとあぶないことがある。
それに、竹の葉にも油分が多いのか、燃えている上から竹の葉の付いた枝を置くと、ばーっと勢い良く燃えて、焚き火の上昇気流で、まだ火の付いたままの葉っぱが上のほうに登って行くから、頭の上を覆っている竹に葉に火が付いてしまうのではないかとひやひやするのである。
従って、竹の枝葉を燃やすときは、すこしずつ足してやり、火があまり高くならないように注意して燃やす。
太い竹を燃やすとき爆発音は、一本一本竹を割るということも大変な作業なので、そのまま燃やすと、あたりに爆発音が響き渡る。

不気味な花曼珠沙華

2007-08-27 00:27:58 | Weblog
秋の彼岸が近づくと、突然、地上40センチから50センチほどの長さの真っ赤な花があちらこちらに咲き始める。
そのどきっとするような紅い花は、いろんな名前が付けられているらしい。
普通は、彼岸花と、曼珠沙華と言われるが、[死人花」、[地獄花」などと言われる場合もあるらしい。
毎年、同じ場所に咲くので、なんだかその土の中にいつも隠れていて、お彼岸になると、招かれているような気分になる。
写真の曼珠沙華だが、薄暗い山道の土手に、くっきりと浮き上がるように咲いていて、道の先は何があるのか、なんとなく不気味な異界に入って行くような感じである。
一帯が全部曼珠沙華で覆われているのではなく、こちらだよという誘うような配置で咲いている。
道を進むのがためらわれて、近づかずに遠くから、写すだけで、急いで逃げて来た。
この花は、彼岸花と言われているわりには、仏壇の花として飾られているのは見たことがない。
なんとなく敬遠されているのだろうか。

陶都灯りコンサート

2007-08-26 01:03:13 | Weblog
秋になると岐阜県陶磁器資料館の玄関で、陶磁器の街らしい催しがあった。
月明かりの中の灯りコンサートである。
陶器の粘土で、昼の間に、市民がランプシェードを作り、暗くなると、それぞれが作ったものの中に灯明を入れて辺りを照らす。
その灯りを前に並べて、ミニコンサートが行われるのである。玄関前に広がる駐車場にイスを並べて、聴いていると、月が昇って来る。
暑い夏の終わりである。
しばらくすると、大型の観光バスが駐車場に入って来たと思うと、中からブラスバンドの楽器を抱えた高校生が次々と降りて来た。
その後から、消防音楽隊もやってきた。
合同の吹奏楽の楽団演奏が始まるのである。
ミニコンサートが一変して、賑やかな大コンサートになった。
初めからの予定になかった成り行きに驚きながらも、日本人の最近の余裕を感じた。
そういえば、近くの陶芸教室でも、ある夜、薪能のイベントが行われたことを思い出した。
茶碗づくりをする人々の、これまた余裕なのだろう。

突然の雷雨

2007-08-24 22:45:55 | Weblog
猛暑が続く中でも、8月も終わりに近づくと、突然の雷雨がやってくる。
炎天下の暑さで参っているときに、急にあたりが暗くなってくると、ばらばらっと大粒の雨が落ちてくる。
その直後、ざあーと猛烈な雨が降り出す。
乾燥しきった畑の土が見る間に濡れ、すぐに水たまりが出来始める。
慌てて休憩小屋に駆け込む。
20分ほど降り続けると、からっと晴れ渡るのが普通である。
この日は、少し雨の勢いが弱くなったときに、小屋の前に排水路を見たら、いつもはちょろちょろと流れているだけの排水路に濁流が流れている。
畑の南側の斜面の上からの排水路だから、崖の上一帯の雨水を集めて、土岐川へ流れ込んでいるのである。
土岐川に流れ込むこうした支流ともいえない小さな排水路からの雨水を集めて、土岐川は徐々に濁って来る。
しかし、いっときの雷雨ぐらいでは川の水位が上がるほどではない。
この東濃地方を流れる土岐川は、下流の愛知県に入ると、庄内川という名前になり、名古屋港へ流れ込む。
先日、瀬戸市の海上の森に行ったとき、同じく名古屋市内を流れて名古屋港に注ぎ込む矢田川の源流が海上の森から始まっていることを知った。
雷雨は、乾燥しきった畑の野菜を生き返らせるが、野菜づくりを始める以前は、突然の雷雨は迷惑なだけだったのが、野菜とともに自分まで生き返ったような気になってくる。

アウトドアの風

2007-08-24 00:53:37 | Weblog
この猛暑が終ると、気分のいい秋が訪れる。
菜園に通うのが楽しくなる時期である。
身体を動かしても汗が出なくなるから、動き回っても疲れない。
木陰にアウトドア用のイスを持ち出し、ビーチパラソルを立ててようやく涼しくなった風を受けながら座っていると、睡魔が襲って来る。
真夏だと、草むらの近くは、ヤブ蚊がうるさく顔や腕の周りを飛び回って、油断すると高齢者に貴重な血液を吸われしまうが、涼しさが増して来ると、ヤブ蚊も何処へ行くにかいなくなるから、眠ってしまっても血を吸われずにすむ。
ぼんやりと、何も考えずに、風に吹かれている時間は、至福な時間である。
毎日が人間集団の中で周囲の状況を感知しながら状況に合わせて言動をするという神経を使いきることで一日が終わってしまうという暮らしを40年も続けて来た人間にようやく訪れた休息である。
体力もないのに、何度も山登りについて行き、休息ということのすばらしい効用を知った。
坂道を上り続け、もうこれ以上は絶対に限界だ、もう下山しようと思っても、10分も休憩すると元気が出て来て、15分もすると又登ろうと思っている自分が不思議だった。
人間が生きられる時間は限られているが、時々は、何もせずにじっと、静かに、時間が過ぎて行くのをただ受容することの大切さが、涼風に吹かれて遠くのみどりを眺めていることの贅沢さをしみじみと思う。
飛んで来る蜂の飛行を妨げないように少し頭をずらしたり、鳥のさえずり、竹林のざわめき、雲の流れ、渡って行く鳥の群れ、カラスとトンビの空中でのいさかい、芝生の草の中の蟻の大群の移動、人間のざわめきはなくても、自然の中にいると、結構ざわめきが起きているのである。

樹に登るゴーヤ

2007-08-22 22:24:20 | Weblog
今年は作らなかったが、昨年、ゴーヤを作った。
たしか昔は、ニガウリと言っていたと思うが、違う種類なのかは知らない。
ゴーヤーチャンプルという沖縄料理が流行してから、ゴーヤという名前がニガウリにとって代わった。
正確には、ゴーヤーと語尾が伸びるそうである。
最初に苗を買って来て畑に植えたときに、ツルがそんなに伸びていくものだとは知らなかったので、ホームセンターで売っている普通の緑色をした支柱を立てたのだが、猛烈な勢いで育って、重みで支柱が倒れてしまったほどだった。
葉がいっぱい繁っていて、その中にゴーヤが隠れてまっていて、穫るのを忘れていたら、完熟して全体が黄色に変色し、それがはじけて、中に真っ赤な種が見えたときには一瞬びっくりした。
腐ってしまったと思ったが、あとで、これは腐ったのではなく、完熟したものだと分かった。
しかも、食べると甘いということである。
写真は、2回目に作ったときに、支柱の上に柿の木やニセアカシアの樹が覆っていたが、その枝にいつの間にかゴーヤのツルがよじ上って行き、5、6個も実を付けて垂れ下がっていた。
ツルはそれほど太いものではなく、樹の葉の先端からは1メートルほどの距離があったので、まさかゴーヤのツルが飛び移るとは思わなかったから、驚いたのである。

秋ジャガ

2007-08-22 00:40:32 | Weblog
まだ少々早いが、9月の初旬になると、秋ジャガの種芋を植える時期である。
ジャガイモは春と秋の2回栽培できて、しかも保存に適しているから、春と冬の2回収穫すると、ほぼ一年中食用になる。
植える前に、生石灰を土にまぶして耕し、種芋を植えるときに、菜種油に肥料と化成肥料を撒いて耕すだけで、あとは、茎が大きくなって来たらそれにつれて土寄せを2回ばかりするだけでいいから、手間がほとんどかからない。
耕運機で耕したあと、ウネを立てるのだが、野菜づくりを始めたころはわずか1メートルほどウネを立てるだけで息切れがした。
それが今では、写真のウネ1本ぐらいは一気にできるようになった。
慣れというには恐ろしいものである。
ウネを立てた溝に種芋を置いて行くのだが、長靴の長さの距離で置いて行くことを覚えたら、素早く置いて行くことができるようになった。
全部置き終わったら、クワで5センチから10センチぐらい土を被せて行き、土を被せ終わったら、種芋と種芋の間に化成肥料ををひとつまみくらい撒いて行く。
これでしばらくはそのままにしておき、3本から6、7本の芽が数センチぐらい伸びて来たら、生きのいい芽を2、3本残して間引いてしまう。
こうすると、芋が大きくなるからである。
ただし、3~4センチの小さなジャガイモも新ジャガだとそのまま料理出来て、しかも、おいしいから、間引きも全部やらずに数本は芽が出るままにしている。

比内鶏

2007-08-21 00:49:23 | Weblog
去年の秋、東北地方をバスツアーで回ったときに、あちこちで出された料理が、きりたんぽ鍋という郷土料理だったが、その際の説明では、鍋の中に入っている鶏肉は、「ひないどり」だということだった。
そのときは別に疑問も持たずにいたが、あとで写真を見ていたら、天然記念物「比内鶏」と書いてある。
えっと思い、郷土料理なら天然記念物を殺して食べてしまってもいいのかなと疑問を持ち、早速インターネットで調べてみたら、比内鶏は、薩摩鶏、名古屋コーチンと並んで三大美味鶏だという。
美味鶏だということは、食用にしているのかと思い、さらにあちこち見ているうちに、きりたんぽ鍋に使われるのは、比内地鶏だと書いてあるのがあった。
別の種類の鶏を掛け合わせて新種をつくったのだという。
なるほど、雑種なら殺して食べてもいいらしいことが分かって安心した。
ところで、三大美味鶏の薩摩鶏も天然記念物であり、名古屋コーチンはどうやら天然記念物には指定されない食用や卵として消費される実用鶏らしい。
実用を尊ぶ名古屋地方らしい現実である。
名古屋の最近の郷土料理?は手羽先である。
[世界の山ちゃん」と「風来坊」が競り合っている。

収穫したスイカを味わう

2007-08-20 00:28:52 | Weblog
10日ほど前になんとかカラスの襲撃から残ったスイカを収穫したが、そのスイカを、休憩小屋の冷蔵庫に冷やしておいたのを切ってみたら、真っ赤な実がちょうど食べごろである。
畑で穫って、その場で食べられるものとしては、トマトがあるくらいなので、自分で作ったスイカが菜園で食べられるのは野菜づくりの妙味である。
菜園の休憩小屋には、冷蔵庫が二つ置いてある。
この二つの冷蔵庫のありがたさを発揮するのは、真夏である。
畑に來るときは、昼食をはさんで午前と午後で5時間か6時間いるから、冷蔵庫は欠かせない。
来る途中に、スーパーかコンビニに寄って弁当を買うのだが、当然飲み物も一緒に買う。
夏は飲み物は冷えていないと困るから、畑にくるとまず買って来た飲み物を冷蔵庫に入れる。
冷蔵庫の冷凍庫に入れておくと、2時間も入れておけば凍結を始めるほどに冷えて来る。
畑で汗を流したあと、冷えきったジュースやお茶、サイダーを飲むと生き返る。
ペットポトルを凍らせて桑の木の木陰に持って行き、アウトドア用のイスに腰掛けて休憩するときの飲む。
凍結していれば1時間ぐらいは冷たいのが飲める。
自宅内では当たり前のことでも、炎天下の畑では、水分補給としては、冷たい飲みのは大変贅沢な感じがする。
最近はやりの市民菜園は、ただ畑を区切っているだけで、農機具小屋も休憩小屋もないところが多い。
レジャー代わりに畑で一日過ごすには、少々難がある。
それに水道もないし、水の流れる小川もない。
苦労してポリ容器に水を一杯入れて、自宅から運んでくるしかない。
野菜づくりに最低必要なものは、休憩小屋と農機具小屋それに水だと考えて17年前に野菜づくりを始めたときに、この三つを確保したことが、長続きの理由かもしれない。

焚き火のけむり

2007-08-19 01:21:33 | Weblog
8月も下旬になると、農村地帯では草を焼くけむりがほうぼうで上がり始める。
最近は焚き火といっても気軽にできなくなってきた。
住宅団地でも庭での焚き火は、隣近所が大騒ぎになるし、街路樹の枯れ葉を焼くこともできない。
すべて集められて焼却場で焼かれる。
河川の堤防に生える大量の雑草も、数人掛かりで草刈り機を動員して刈り取っても、十数年前までは、数カ所に集めてガソリンをかけてその場で焼却していたが、いまではとんでもないと焼くこともなく、トラックで焼却場へ運搬して焼いている。
唯一見かけるのは、稲刈りが終わり、コンバインでワラが粉砕されて畑一面にばらまかれたものに火をつけて焼く田んぼのけむりである。
粉砕されてばらまかれた稲のもみやワラは、腐敗するのにかなり時間がかかるから、焼いて灰にすると肥料として効き目が大きい。
米を精米するときに出るヌカは、サツマイモに与えると実に良く効く肥料だが、同じ米の表皮であるモミは、野菜畑に撒いても、完全に土になるのに、2、3年はかかる。
サトイモを冬越しさせるためにサトイモの根元を埋め尽くすほどのモミを毎年撒く。
粘土質の畑の土をふかふかにするためである。
畑の雑草を焼くのは、雑草の種を土のなかに残しておかないためである。

草を燃やす

2007-08-18 02:14:26 | Weblog
連日、40度を超える気温が続いて、これには、びっくりである。
最高気温の全国一などということで報道され、すっかり多治見は有名になってしまった。
テレビでも放映されたが、このたびたび高い気温を観測する気象庁の観測機械が設置されている場所は、中央自動車道多治見インターのあるところの崖下に東西に国道248号線が走っている道路沿いで、消防署と駐車場に挟まれた南側である。
海抜120メートルほどの高さである。
多治見市街はここから見るとさらに盆地の底に見える。
多治見の街は、周囲を小高い山に囲まれた盆地の底に土岐川が街のまん中を流れている。
この地方は、普段でも雨の少ない土地で、雨が少ないのは冬の雪も少なく、積雪があるのは、一冬に一回か二回しかない。
ラジアルタイヤが要らないという土地である。
盆地の底のような街だから空気が淀んでいることは、冬になるとよくわかる。
山の中腹にある焼却場の煙が市街地の上空に漂っていることがよくある。
焼却場のダイオキシンが騒がれたころに、心配になった光景である。
観測機械は盆地の底ではないのだが、それでも北風が遮られる崖下で南向きの斜面だから盆地の底で暖められた暑い空気が斜面を登ってくるのかもしれない。
もうひとつの暑さの理由は、上空を西から東、あるいは東から西に偏西風が吹いていて、北の気候と西の気候の境目になっていて、東の太平洋高気圧の影響と南からの高気圧の影響を受けやすいのではないかと素人考えで思っている。
今年の夏も、連日の40度の猛暑が終ればそろそろ秋風が吹き出す頃になってきたから、畑の雑草を刈って、焼いてやる時期になった。
ところで、写真は色で修整が加えてある。

水琴窟

2007-08-16 23:23:38 | Weblog
和風庭園の定番は、つくばいであるが、同じようにちょろちょろと流れる水を利用した音響装置が、最近あちこちに作られるようになった水琴窟である。
水琴窟は、日本独特の発明らしい。
庭の手洗い水を利用したり、雨水を利用したり、水道を利用したりして、名前のとおり琴の音のような澄んだ音が聞こえる装置である。
最近では機械で音響を増幅させて、大きな音が聞こえるようにしたものもある。
江戸時代からあるそうだが、澄んだ音が聞こえる期間が短くて、短期間で音がしなくなるという欠点があったのを、数十年前からメンテナンスが容易にできる構造に変えたものだができてから爆発的に作られるようになったらしい。
今はなくなってしまったが、日本に水道が普及する以前、家々には、井戸があって、地下数メートルのところの地下水の水面があり、その水面に水滴が落ちると、その音が反響していい音がしたが、それをもっとクリアにしたような音が聞こえてくるのが水琴窟である。
一度雨が降ると、2週間ほども音が鳴り続けるものもあるという。
井戸水を使っていたころの日本家屋では、母屋から廊下を隔てたところに便所があり、水洗便所の普及した現在では考えられない方法で用を足していたのだが、その廊下の先の便所に入り口に天井から吊るされた手洗いのタンクがあり、突き出た細い筒を手で押すと水が出て来る容器があった。
その容器の下は水を受ける石製の鉢が大きな庭石の上に置いてあり、庭石の周りはつくばいになっていた。
石の鉢には手を洗った水が貯まるのではなく、手洗いの水は小石を敷いた下に落ちて行くようになっていた。
石の鉢には、降った雨が屋根から樋などを伝って貯まるようになっていた。
手洗水の容器の横には、日本手ぬぐいが吊るされていて、洗った手を拭くようになっていたが、その手ぬぐいが黒ずんでいたのが妙に印象に残っている。
毎日洗濯する現在とは大分違う世界だったのである。