定年後の暮らし春秋 ~ 菜園だより ~

現役時代の週末菜園から、定年後の野菜づくりへ。
自由な生活を謳歌する昭和15年生まれの日々。

スズシロ

2011-03-31 00:21:51 | Weblog


竹林の前の草原に、この時期になると毎年生えてくるのだが、花の形から、どうやらスズシロらしい。
スズシロは、春の七草の一番最後に出てくる。
品種改良されて、今では食用のダイコンになっていて、スズシロがダイコンの仲間だとは思えないのだが、ダイコンの野生種はノダイコンまたはハマダイコンと呼ばれていて、ノダイコンが改良されてダイコンになったのか、ダイコンが野生化してノダイコンになったのか定かでないそうである。
いずれにしても、ノダイコンは、ダイコンのように根が太いわけではなく、花だけを観賞用としていたらしい。
写真の群生は、ダイコンの種を蒔いたわけではなく、自生しているので、おそらく栽培用のダイコンではなく、ノダイコン(スズシロ)ではないかと思われる。
ダイコンを春先まで放置しておくと、黄色の花が咲くが、写真の花は紫を帯びた白である。
七草がゆを食べる習慣がいまだに残っていて、早春になると、スーパーで春の七草粥セットを売っていて、結構売れているが、七草がゆというのは、もともとは七穀粥を食べる習慣からきているらしい。
七穀というのは、玄米、大麦、黒豆、赤米、黒豆、ヒエ、キビの七種類だという。

9条を守ろう縁日バザー

2011-03-29 23:32:21 | Weblog


団地の一角にある延命地蔵さまの社の下で、たったひとりで9条を守ろう縁日バザーをやっている高齢者がいる。
始めて、もう3年ほどになる。
始めたころは、手造りの竹細工や木工品などを並べて、その隣りに、9条関係のパンフが置いてあった。
しばらくすると、
趣味で作ってるクラフトが集まるようになった。
バザーの売り上げが9条を守る運動にカンパされることに賛同して、ご近所の女性たちが持ち寄るようになったのである。
月に一度の縁日だけのささやかなバザーだが、リピーターがだんだん増えて来た。
大規模な住宅団地だが、散歩がてらふらっと立寄り、世間話をして帰って行くという場所がなかったからなのだろう。
結構大きなスーパーがあるが、スーパーでは買い物が済めばさっと帰ってしまう場所である。
最近は、健康のために散歩というよりもウオーキングを兼ねて、団地内を歩き回る人々が増えているから、ぶらりと立ち寄るには恰好な場所である。
野菜づくりでできた野菜を私もささやかながら出している。

自家採種

2011-03-28 23:38:31 | Weblog


自家採種という大げさなものではないが、去年の秋から、畑で出来た野菜などの種を意識的に集めている。
集めた種を、今年の春に、蒔いてみて、種から野菜を育てることを試みてみようというわけである。
写真に写っているほかに、昨日、去年の秋に採取したヒマワリの種を蒔いた。
自宅の庭に少し大きいビニール製の温室を置いたので、その中で、ポットにスナップエンドウの種を蒔いた。
昔の農家は、米や麦、ナタネ、野菜などは、大抵自家採種して、自慢の優良品種を代々残していたというが、今は、種は買ってきたものを使っている。
週末菜園の野菜づくりもほとんど種屋で買った種を使う。
というよりも、種から育てるのではなく、苗から育てるのが一般的である。
買ってくる種は、いわゆるハイブリットの種(遺伝子操作)が多くなり、育てた後に採取した種では芽が出て来ないものが多くなった。
一代かぎりの種だから、毎年購入しなければならない仕組みになっているものが多い。
イチゴや、トマト、ナス、キュウリ、ピーマン、シシトウなど素人の野菜づくりの定番野菜の苗も種はハイブリットなのかどうか確かめたいという気持ちもある。

アンズの花が咲き出した

2011-03-27 23:57:51 | Weblog


菜園を始めた20年前に、畑の周りにアンズの鉢植えを植えたのだが、植えてから15年ほど経って、毎年アンズの実を付けるようになった。
熟すの実は、梅とよく似ているので、散歩で堤防を歩く人から「梅ですか」とよく聞かれることがある。
大きさも梅と同じぐらいの大きさなので、黄色く熟してくるまでは梅と間違えやすい。
ところが黄色くなってくると、すぐに地面に落ちてしまう。
酸味が強くて、あまり生のままでは食さないらしく、主にジャムなどに加工する果物らしい。
ここ数年、実がいっぱい成るようになっていて、落ちて腐らせるだけではもったいないから、今年はジャムにしてみようと思っている。
今年は、夜の気温がいつまでも低く、まだモクレンも開花していないが、今日畑に行ったら、淡いピンク色の花が咲き出していた。
桜もまだつぼみが固い。
めずらしいことに、いつもは真っ先に咲き出す水仙の花が、数本しか咲いていない。
水仙の花は、あちこちで咲き出しているが、どうやら陽当たりのいい風のあまり吹かない場所にあるのが咲いているようである。

大麦の芽が伸び出した

2011-03-27 00:17:32 | Weblog


生け花用に毎年、二ウネばかりの大麦を蒔いているのだが、今年は、冬の寒さがなかなか収まらず、最低気温が今でも零下になる日が続いているためか、大麦の芽の育ちが遅かった。
それでも、この2、3日、少しずつ芽が伸び始めてきた。
勢いよく伸びた大麦の穂と緑色のピンと伸びた葉を20本ほど束ねて生け花にすると、それだけで初夏の生け花になる。
麦の茎は結構固さがあり、丈夫である。
稲わらと違って、乾燥させると、麦わら帽子など藁細工を作りやすい。
以前は、ホームセンターに行くと、必ず麦わら帽子を売っていたのだが、最近、売られていない。
この麦わら帽子は、真夏に作業をするときには、強烈な太陽の熱を防ぐには最適だから、畑に行くと必ず麦わら帽子を被ることにしているが、長い間使っていて、破れて来たので、購入しようとあちこちのホームセンターで探しているのだが、見つからない。
布性の帽子は、頭にぴちっと密着するので、汗が滲んでしまう。
その点、麦わら帽子は、風通しがいいので、頭に汗がたまることはない。

よもぎ

2011-03-26 00:04:47 | Weblog


ヨモギの新芽が畑のあちこちに伸び出した。
ヨモギは、いい匂いがするので、春の野原でヨモギを摘んでくると、子どもの頃、家でよもぎ餅をつくってくれた。
いまでも和菓子には、餡の入ったヨモギ餅が売られている。
まだ出始めたばかりの若いヨモギは、乾燥させて、ヨモギ茶にしたり、天ぷらにするといいらしい。
ウイキペディアで見ると、ヨモギに似たヤマトリカブトという猛毒性の草があるらしいので、注意が必要らしい。
そう言えば、セリにもドクゼリがあるという。
同じ場所にセリとドクゼリが生えていて、間違いやすいというから厄介である。
畑の脇の溝に、セリが生えているのだが、間違えるとまずいので、折角のセリにも手を出していないが、このところ、メダカの水草代わりに持って帰って水槽に入れている。
結構水草代わりになる。

今朝採れ野菜

2011-03-25 00:05:05 | Weblog


9条を守ろう縁日バザーに出した「今朝採れ野菜(ワケギとホウレンソウ)」である。
毎月一回だが、延命地蔵様の縁日に近所の人たちが手造り作品を持ち寄り、安価な値段を付けてバザーをやり、その売り上げは、憲法9条を守る運動の活動費用のカンパにするというものである。
その趣旨に賛同して、菜園で採れる野菜を出品し出して、もう1年以上になる。
いつも思うのだが、今盛んになっている野菜づくりでできる大量の野菜の大半は、捨てられるか近所に配られている。
折角作った野菜は、自分だけでは消費できないほどの量になる。
そこで、近所迷惑になるかもと思いながら、押し付けるようにして近所に配る。
敗戦前後の食糧難時代ではないので、家庭菜園の作物づくりは、食糧不足を補うのが目的の菜園づくりではない。
半分は遊び、きれいに言うとアウトドア、言い換えると健康のための運動なのである。
だから、経費が出る一方だが、これらの費用だと考えているから、採算など初めから考えていない。
出来不出来は関係ないのだが、出来た野菜をちゃんと消費しないのは、大変もったいない。
無農薬の安全な野菜を無償で、必要としている人々に届けることができないものだろうかなどと思っているのだが、
そんなコーディネターがいないのが残念である。

太くなりだしたタマネギ

2011-03-23 23:37:31 | Weblog


冬をなんとか越したタマネギだが、今年の冬は意外に寒い日が続いたせいか、3月に入っても細いままだった。
やっと3月の下旬になって、少しずつ茎が太くなり出した。
専業農家のタマネギとはくらべものにならないが、それでも遅れてはいても徐々に伸び始めている。
タマネギは、素人野菜づくりにとってはほとんど手間のかからない野菜で、しかも保存が効き、いろんな料理に使える便利なものである。
ジャガイモ、サトイモと並んで作りやすい。
よその露地のタマネギ畑を見ると、ほとんどは、黒いビニールマルチを敷いていて、真冬の寒さから守っているが、我が家のタマネギの栽培者は面倒くさがってマルチをしてくれない。
自然に任せているなどと言っているが、それなりにしか育ってやらないぞ。という声が聞こえてくるようである。
たしかに、防寒や雑草よけのマルチや、最近はやりの不織布、寒冷紗などを使うと、野菜の出来がいい。
ホウレンソウや春ダイコン、ミズナのウネに今年は寒冷紗を掛けておいたら、ホウレンソウは柔らかくておいしそうな出来である。
去年は、ホウレンソウに不織布を掛けたが、不織布は強い寒風で、飛んだり、石の重しをすると、破れたりするのが難点である。
専業農家ではないので、ハウス栽培ができないから、野菜は全て露地栽培である。

もう一カ所の卵塊もゼリー状から抜け出した

2011-03-23 00:00:10 | Weblog


2カ所に産みつけられていた卵塊のうち、まだ孵化していなかったものからオタマジャクシが出て来て、溝のあちこちに散らばっていた。
卵塊を見た時は、別の種類の蛙の卵かと思っていたが、ゼリー状の覆いから出て来たのを見ると、同じ種類らしい。
昨夜の雨で、去年サトイモ畑だったところの溝に貯まった水が多くなっていたためか誕生したオタマジャクシは広い範囲に広がっている。
数年前、可児市にある花フェスタ記念公園内の小さな池で、同じような種類のオタマジャクシの大群が池の岸辺に密集しているのを見たが、その数には驚かされた。
これが全部蛙になってごそごそ動き出すのかと思うと少々ぞっとする感じである。
その池のある場所は、両側が山になっている谷底の渓流で、日が傾くころになると薄暗いから、そんな感じになる

カワセミ

2011-03-21 23:48:51 | Weblog


土岐川の河原でときどき見かけるのだが、なかなかデジカメで捉えることができなかったカワセミの姿をようやく写すことができた。
小さくて見にくいが、中州の枯れ木や流木の重なったところで、水面から飛び立ち、枝に止まっているところである。
きれいな水色の羽根をしているので、見つけやすいが、すばやく飛び回るので、写そうとしてもできなかったが、この日は、しばらく逃げなかったので、写すことができた。
あまり望遠が効かないデジカメなので、引き寄せて撮ることはできなかったが、いつもデジカメを持ち歩いているお陰で写せた。
頭から背中にかけて鮮やかな青色をしていて、相当目立つ雀ぐらいの大きさの野鳥だが、実際には羽根の色が青い色をしているわけではないらしい。
光の加減で青く見えるのだという。

野蒜(ノビル)

2011-03-21 00:18:54 | Weblog


畑のあぜ道に野蒜(ノビル)が伸びていた。
ニンニクやニラ、ネギ、ラッキョウなどと仲間らしいが、ニンニクやニラのような強烈な匂いはなく、ネギ、ラッキョウによく似ている。
食べ方もネギと同じように食べる。
ノビルといえば、敗戦前後の食糧難時代に、姉が学校で聞いてきたらしく、野原やあぜ道に伸びてくるこのノビルが食べられると言って採取してきたのを覚えている。
現在では想像もできないだろうが、当時の食糧難は実に厳しかった。
ほとんどの夫が徴兵されて、家庭には妻と子供たちが残されていて、わずかに配給される食糧で窮乏生活をしていたから、とにかく食べられるものならなんでもよかったのである。
配給される食糧のことでは、今でも鮮明に覚えているのは、町内の配給所にバケツで取りに行ったジャガイモが、雨ざらしの道路に積んであって、それをスコップでバケツに入れてくれるのが、家に持ち帰ってみると、ほとんどが腐っていたこと、何か月に一回配られる漂白されていない茶色の蔗糖をこれまたバケツでもらってきたのだが、よく見るとダニがいっぱい動き回っていたこと、今では珍しがられている雑穀だが、キビのご飯は、とても食べられるようなものではなかった。
食糧難時代を経験した者には、二度とあんなことは繰り返したくないという気持ちが残っていて、二度と戦争はしてはならないというのは、身体に染み付いた意識である。



ハクサイを啄むヒヨドリ

2011-03-20 00:28:11 | Weblog


巨大地震と大津波に加えて、福島原発の重大事故の映像が連日放映されて、あまりの悲惨な状況に、このブログを書くのを控えていたが、そろそろ再開する。
1週間ぶりに畑に出かけたが、この間、冷え込みが続いていて、野菜の成長はあまりよくない。
支柱を立てたエンドウの芽もまだ勢い良くツルを出すには至っていない。
3月も下旬に入ったので、菜の花や土筆、水仙の花などが出ているのではと思って出かけたのだが、まだ土筆も顔を出しておらず、菜の花もつぼみは出はじめているが、花は咲いていない。
いつもは真っ先に咲く水仙もまだつぼみの状態である。
モクレンも、つぼみの状態は変わっておらず、開花していない。
堤防の桜も、まだ固いつぼみのままである。
天候次第だろうが、今年は桜の開花も遅れるかもしれない。
うまく巻かなかったハクサイが畑にそのまま残してあり、ハクサイとして駄目なら、春の菜の花として消費するつもりなのだが、そのハクサイの葉を、ヒヨドリが啄んでいた。
エンドウの芽が出始めたときにも新芽の先を食われてしまっていたが、今日、ヒヨドリがハクサイの葉を啄んでいる決定的瞬間を写真に撮ることができた。
ヒヨドリが野菜の芽を啄んでいるところを見るのは、初めてである。

経験した巨大地震

2011-03-14 23:36:24 | Weblog
昭和15年生まれの私が、これまでの71年間に経験した巨大地震は、いくつもあるが、実際に避難したのは、敗戦直前の1944年12月7日に発生した東南海大地震と翌1945年1月13日に起きた三河大地震である。
東南海地震は昼間、三河大地震は深夜に起きた。
東南海地震はマグニチュード8・0で死者は1223名家屋の全半壊54000戸、三河大地震はマグニチュード7・1で死者は2306名家屋の全半壊は23800戸だった。
それから50年後の1995年1月17日に起きた阪神淡路大地震は、マグニチュード7・2で死者は6432名、家屋の全半壊は249128戸だった。
これに対し、今回の東北関東大地震はマグニチュード9・0、死者はおそらく数万名に達するという。
最近になるにつれて死者数が飛躍的に増えている。
実際に体験した東南海大地震とその約一か月後の三河大地震の際、まだ5歳だったが、前後は忘れたが、ある一瞬だけは、今でもはっきりと覚えている。
東南海地震のときは、屋根に布団を干していて、兄妹たちとその布団の上でひなたぼっこをしていた。だれかが、「なんか暖かい風が吹いて来たね」と言った途端に、猛烈な上下振動が襲って来た。
屋根から落ちないように瓦にしがみついていて、下の中庭にある池を見ると、池の水が大きく波打ち、ほとんどの水が溢れてしまった。
あとで聞くと、部屋の中にいた3歳の妹が頭をたたみに打ち付けられていたという。
深夜の三河大地震のときは、寝ていて大きな揺れに襲われ、どうやって逃げたかは覚えていないが、裏庭の土蔵の壁の近くの土が盛り上がったところに雪が積もっていて、その雪の上で、裸足で立ち、震えていたことをはっきり覚えている。
数日間、家の前の道路に布団などを持ち出して道路上で寝泊まりしていると、余震が何度も襲って来た。
地面に敷いた布団で横になっていると、地下深くの遠くからまるで戦車の走るようなゴーという音が近づいて来て、がたがたと大きな揺れがくる。
今考えればそれが余震だった。
余震が終息するまで、
それから約1か月、余震が終息するまで、裏庭の畑に掘建て小屋を建て、そこで暮らしていたことも覚えている。

巨大地震と大津波

2011-03-13 23:39:22 | Weblog
車に乗っていて、赤信号で停車していると突然車がゆらゆらと揺れ出した。
天気が回復して晴れてきたから少し風が出ていたので、強風が車を揺らしているのかと思ったが、風にしては変な揺れかたである。
青信号で走り出したが、しばらく走ると今度は走行中なのに車が横揺れする。
一瞬脳血栓でも起きて、自分の感覚がおかしくなってのかと心配になり、ハンドルを強く握りしめながら走行を続けた。
しかし、その後は異常もなく、身体の変調もないので、普通に運転して帰宅したら、テレビを見ていた細君が、大変なことになっているよという。
それからは、テレビに釘付けである。
まるでパニック映画を見ているような信じられない光景が映されているのである。
不謹慎になると思い、三日ほどブログを書くのをやめた。
その間、事態は収まるどころか、深刻な被害状況がつぎつぎと明らかになってくる。
そのうちに、とんでもない事態になってきた。
安全性を誇っていた原子力発電所が爆発したという。
放射線を防御するはずの原子炉を収容している分厚いコンクリートの建物が爆発したという。
それからは、テレビは原子力発電所の重大事故のニュース一色になった。
大津波の被害も数万単位の死者、港町の消滅、数百万単位の停電、断水、無数の道路や線路の崩壊、家屋の流失など現実とは思えない現実である。
10メートルを超える巨大津波がすべてを押し流していく映像なのである。
宮城県と岩手県でそれぞれ10000万人以上の住民と連絡が取れず、宮城県一県だけで死者は10000人を超えるのは確実だと県警本部が発表した。
日をおって被害が拡大していく。

モクレンのつぼみが膨らむ

2011-03-10 23:02:58 | Weblog


冬の蒼空にくっきりと浮かぶのは、モクレンのつぼみである。
去年の晩秋には、もう固く小さなつぼみを付け始めていたが、としを越して、1、2月の寒さに耐え、ようやく膨らみ始めてきた。
菜園の休憩小屋の庭に3本植わっているモクレンのうちの1本である。
2本は紫色の花を咲かせるが、1本は白い花である。
紫の花を咲かせるのは、シモクレン(紫木蓮)といい、白いのは、ハクモクレン(白木蓮)というそうである。
花が散って、葉が繁るようになると、大型の葉がびっしりと茂り、真夏の強い日差しを防いでくれるので、モクレンの木陰は、昼の弁当を食べるちょうどいい日陰になる。
モクレンの花が終わると、実になるのだが、これがまた実に奇妙な形になる。
多くはマツカサを細くしたようなおかしくない形なのだが、数個は、不気味な形になってくる。
モクレンの落ち葉は、大きくて丈夫なので、地面を完全に覆ってしまい、虫たちの恰好の住宅になる。