定年後の暮らし春秋 ~ 菜園だより ~

現役時代の週末菜園から、定年後の野菜づくりへ。
自由な生活を謳歌する昭和15年生まれの日々。

湯のみ、焼き上がる

2008-09-30 00:03:35 | Weblog
10日ほど前に素焼きができていた陶芸教室、湯のみが焼き上がっていた。
これは、メダカの容器に水草を入れる器を作ったときに、土が余ったので、ついでに作った湯のみで、土を板状に切って、型の上から押し付けただけのものである。
ちょっと厚いが、小さいのでそれほど重くない。
湯のみでも、そばちょこでもなんでも使える。
これで釉薬が2回と筆で描いた図案が1度掛けてある。
窓枠のような太い線を描いたら、先生がその窓わくに細い線を入れたらどうかというので、入れると、格段によくなった。
この日は、造形だったが、何をつくりたいかと言われて、ちょうど焼きサンマの時期なので、焼きサンマを入れる皿をというと早速、見本を取り出してくれた。
やり方は、板状の土の大きいのを6枚と、それより少し小さいのを6枚作り、大きいのが皿、小さいのが高台である。
大きい板を、スーパーのサンマ入れの発泡スチロールの皿の上に編み目の布を敷き、その上に載せて、四隅を少し曲げる。
これで終わりである。
小さい板は、1センチぐらい残して、真ん中をくり抜くと帯のような四角いものができる。
これを大きい板の底に、べたという粘土を水で柔らかくしたものを接着剤にしてくっ付ける。
これで、あとは少し乾燥してから削る。
完全に乾燥したら、素焼きにするのである。
素焼きのあとは、薬を付け、本焼きするという工程になる。
工房の庭に巨大な家型に棚を作った、ゴーヤが栽培されていて、無数のゴーヤが垂れ下がり、秋風に揺れていた。


ステンドグラス

2008-09-29 00:59:54 | Weblog
可児市の山の中に、廃棄物の処理場があり、リサイクル処理の状況が見られるリサイクルプラザや雑木林をめぐる遊歩道、それに宿泊もできるステンドグラスやガラス作品の体験館が併設されている。
愛知県犬山市と隣接するこのあたりは、丘陵と谷地が交互にあって、その間を道路が走っている。
ゴルフ場や工場が、山林を切り開いて作られているが、広大な丘陵地帯なので、緑に埋まってる感じである。
山の中の狭い道路を縫って行くと、犬山市の施設の温泉施設もあるし、明治村などの野外博物館もあって、行楽の季節である秋には、人々で賑わう。
可児市の破棄物処理場のとなりにあるわくわく体験館のステンドグラス工房で、ステンドグラス講習を受けて、なんとか四つの作品を作ったことがある。
一個作るのに、6回掛かった。6回で一つの作品をつくるというコースなのである。
6回で一個作ったということは、四個だから24回通ったということになる。
ステンドグラス講習と、ガラス吹き講習があって、初めての人でもそれなりの作品ができるように教えてくれる。
半日だけで一つの作品をつくるというコースもあり、ちょうど陶器の楽焼きのような感じで、バスツアーで訪れる人たちもいる。
一年に一度、講習の生徒たちが作った作品の展示会が、可児市のアーラで開かれる。
写真は、去年の展示会に展示された作品のひとつだが、秋にふさわしい熟した柿が実る柿の木が窓の外に見える懐かしさを誘う風景のステンドグラス作品である。

古代ハス

2008-09-28 01:21:45 | Weblog
別所温泉の温泉街から少し山手のほうに入った道路わきにある蓮池である。
花は散っていたが、種をいっぱい含んでいる。
大賀ハスは、古代ハスとも言われ、2000年以上の前の遺跡からたった3粒を発見し、それを発芽させるのに成功した大賀博士の名前をとって大賀ハスと呼ばれている。
花は大型で、豪華である。
豪華と言っても、きらびやかな豪華とは違う。
清楚な感じのする花で、薄い緑色の葉と一緒になって、秋空に映えている。
写真を撮ったときは、すでに花は散っていた。


ネギが立ってきた

2008-09-27 00:11:41 | Weblog
9月の初旬に植え替えたネギが、根づいて、茎も増えて、しっかりと立ち上がってきた。
これから気候が涼しくなると、どんどん増殖していく。
ネギとハクサイは、代表的な日本料理である、すき焼きにはなくてはならない野菜である。
庶民の居酒屋でのいっぱいのつまみの代表であるネギマの材料でもある。
ネギマというと普通は、鶏肉とネギを交互に刺して、炭火で焼いたものを言うが、同じネギマでも、ねぎま鍋というのがあるそうである。
こちらのネギマは、ネギとマグロのネギマなのだという。
ネギとマグロと豆腐などを入れた鍋だから、牛肉の代わりにマグロが入っただけというもので、柳川風ネギマ鍋というところもあるらしい。
柳川鍋という名前の鍋は、ドジョウと牛蒡を入れて、卵とじを入れたものだが、九州の柳川とは関係ないらしい。
東京の柳川という名前の店が考案した日本料理だというのが通説だという。
この柳川鍋、東京ではれっきとした小料理屋の料理として出されるし、柳川鍋専門店もあるほどだが、といた卵が載せてあるにしても、ドジョウがそのままの姿で浮いているから、あまりぞっとしない。
子供の頃、田んぼの間を流れる水路の中でも、あまり流れのない淀んで、そこに泥が溜まっているような水路で、泥だらけになって,カイドリと言って、水路を5メートルぐらいの仕切って、中の水を全部くみ出して、泥の間にいるドジョウを捕まえていたのを思い出して、ドジョウと言えば、ぬるぬるとした泥を連想させるからである。



奥多摩渓谷の秋

2008-09-26 01:00:05 | Weblog
東京の郊外、奥多摩渓谷に数年前訪れた。
ちょうど雨が降っていて、渓谷には霧がかかり、趣があった。
カヌーで下るには、最適だとみえて、カヌー下りを楽しむ若者たちがいた。
競技用の場所も設置されていた。
御嶽駅の近くにある川合玉堂美術館を訪れたのだが、玉堂の作品に頻繁に描かれる渓流の光景を彷彿とさせる奥多摩渓谷である。
30歳代のころに、御嶽駅から御岳山に登ったことがあったが、途中にあった山葵畑や、駅前で買っていった弁当の寿司を食べて途中激しい下痢に襲われ、2時間ほど休んでなんとかダム湖を見下ろしながら造林の急な傾斜をくだって、ダムサイトにたどり着いたことを思いだす。
軽い食中毒だと今でも思っている。
渓谷沿いには、あちこちに小さな個人経営の美術館や博物館があって、秋の一日を楽しむことができる。
青梅駅の近くには、吉川英治記念館もある。
青梅街道と吉野街道が奥多摩渓谷を挟んで通っているが、吉川英治記念館は吉野街道沿いにある。
東京見物をするには、最近は、ウイークリーマンションという形式の賃貸を短期間借りて、そこを拠点に各地を見物して歩くのが一番である。一人では少々家賃が高いが、夫婦や家族で行くときには、ひとりあたり一日2000円ほどで済む。
室内にはなんでも揃っているので、食事は材料を買ってきて、自分たちで作ったり、近くの商店街のレストランに入るか、面倒なら近くのコンビニで弁当を買って済ませてもいい。
暇のあるひとたち向きの安上がりな宿泊場所である。

ようやくハクサイの苗を植える

2008-09-25 00:41:04 | Weblog
秋晴れが続くようになったので、遅れていたハクサイのポット苗を畑に移植した。
風は涼しい風なのだが、日差しが強いため、風が止まると、じりじりと照りつけて、9月も下旬になったとは思えない気候である。
インゲン豆が最盛期で、ビニール袋で2袋びっしり穫れた。
今は、曼珠沙華の花が一斉に咲いている時期で、田園地帯を走っていると田んぼの畦に深紅の曼珠沙華の花が目立つ。
曼珠沙華は、死人花などと言われているが、何となくイメージがよくない。
花が濃い赤色をしていることや、かって田んぼの脇に墓地が作られていたころ、死者を火葬にするのではなく、土葬にしていたのだが、埋葬した死者の体を、イノシシなどが掘り返してしまうのを防ぐために、球根に毒のある曼珠沙華を土葬の上に植えたところから、死人花などという言い方がされたのではないかという人もいる。
田んぼの脇に球根が植えられてるのも、折角実った稲がイノシシに食べられないように、わざと植えたという説もある。
最近、真っ赤な色ではなくて、白い曼珠沙華も出てきた。
シロバナマンジュシャゲというらしい。
真っ白で、花の形は同じである。


冷酒器

2008-09-24 00:23:11 | Weblog
去年秋の多治見の陶器祭りで買った冷酒用の器である。
最近は、この器気にいって使っている。
定年生活では、毎日の晩酌が楽しみで、酒も飲めないようになったら、大げさながらこの世は闇である。
その酒も、やはりコップ酒では、趣に欠けるから、何十万もする巨匠の作品などとは縁がない庶民は、陶器祭りの露店で、気に入った器を探す。
ときどき、無造作に置かれた露店の片隅に、置いてある自分にとっての掘り出し物が見つかったら、購入して、その晩は酒を冷やして買ってきた器で飲むのがまた結構楽しい。
器に入れる酒も別に名酒でなくても結構である。
値段の違いほど味が変わっているわけでもない。
露店で買ってきた酒器で酒を楽しんだりするのが少し進むと、今度は、自分で作った酒器で飲んでみたいと思うようになる。
そういうときは、最近あちこちに出来てきた陶芸教室に行くと、ちゃんとした酒器ができるまで教えてくれる。
自分で作った酒器で飲む晩酌はますます結構である。
次の段階は、酒のおつまみを自分で作ることである。
しかも、素材の野菜も自分で作らないと行けない。
だから今、定年生活者に家庭菜園が流行しているのである。
しかし、そこまで徹底する人はそんなにいないのが現実で、私もカルチャーセンターの料理教室に通うまでには至っていない。

ダイコンの芽

2008-09-23 00:45:24 | Weblog
雨が続いていて、今年はダイコンやカブ、ホウレンソウなどの種まきが遅れている。
どうやら明日からは安定した秋空が望めそうなので、種まきをしないとますます遅れていく。
写真は、去年の9月21日のダイコン畑である。
ダイコンの芽は、2、3日で出てくるので、おそらく9月の19日ごろ種を蒔いたのだろうと思う。
種を蒔いて、小さな芽が出てくると、ちょっとした感動である。
物を作り出すという仕事でない仕事を50年も続けてきた者にとって、自ら蒔いた種が芽を出すのを見るのは、新鮮なのである。
別に種まきに限らず、自分の手で、物を創造するということは喜びがある。
種は、もちろん種自身が芽を出すのであって、人間が作り出したものではないが、それでも種を蒔いてやらないと芽は出ないのであるから、一種の創造である。
しかも、よく育てるには、人間がいろいろと手を加えてやると、野菜もそれに応じて出来がよくなってくるから、絵画や陶芸や写真などと基本的には同じようなものである。
自宅の庭で育てていたハクサイのポット苗だが、降り続いた雨のせいか、今日雨が止んだので、見に行ったら、1、2センチの青虫がハクサイの芽の柔らかい葉をぼりぼりと食べている。
中には茎だけになってしまったものもあった。
手で一匹一匹取ったら、40匹ぐらいもいてびっくりである。
どこから湧いてきたのだろう。


亀の土地争い

2008-09-22 00:28:19 | Weblog
何をやってるんだろう。
ここは、出雲大社の境内の小さな池である。
池の真ん中にある石の上に、カメが密集している。
水の中には、まだ隙があったらよじ上ろうと狙っているカメもいる。
よく見ると、どうみてもスッポンのようなやつもいる。
スッポンとカメはどうやら甲羅干ししないといけないらしい。
古池にはカメがよく似合う。
以前、東京目黒の植物公園で、浮いている古木の上で、カメが一列に並びそれぞれ甲羅の上に少し小さいカメを2匹載せている光景を見たが、その池は周囲から樹木が水面を覆い、古木の浮いている場所だけが木漏れ日に光っているという幻想的な光景だった。
平日の公園で、人通りもなく、しずかな古池だった。
写真の池は、出雲大社の本殿のすぐ近くで、周囲には樹木はなく、陽あたりはいい場所である。
カメたちが我勝ちに陽あたりを求めてもつれ合っている。
なんだか、都会に住む人間たちの姿のようである。

ハクサイのポット苗

2008-09-20 23:12:03 | Weblog
自宅の庭に蒔いた、ハクサイのポット苗が、植え時になってきたのだが、連日の雨で畑に行けず、住宅団地なのにハクサイの苗の葉っぱが虫に食われ始めている。
双葉から本葉が生え始めたころの葉っぱは、柔らかくて虫にとっては最高のごちそうなのだろう。
葉っぱを食べているうちは、食べられても後から葉が次々と生えてくるからいいのだが、葉切り虫とか言って、小さな苗の茎をちょこんと切り落としてしまう虫がいる。
この虫に茎を食われてしまうともうその苗は駄目で、芽は絶対に出てこない。
今回は、一つのポットに何本もの種を蒔いたので、育ってきた苗も密集しているが、この苗だと、移植する際にやりにくい。
ポットか出して植えるときは、一本ずつにするので、一本ずつ離すのが難しいのである。
というのは、これだけの大きくても地上部分は5センチぐらいなのだが、土の中には細くて切れやすい毛細根が絡み合っているから、その毛細根を切らずに離すのが難しい。
一番植えやすいのは、一個のポットに一本の苗が育つようにすると、植えるときに、ポットから土の付いたまま、出してそのまま植えることができる。

コスモス園

2008-09-20 01:14:36 | Weblog
黒姫高原にコスモス園というコスモスが咲き乱れる高原がある。
スキー場の広大な斜面が、シーズンオフの間、コスモスの草原になるのである。
ちょうどこの時期に満開になる。
妙高山の麓で、下を見ると塩尻湖の湖面が光っている。
大変美しい場所である。
そのコスモス園のコスモスが咲き乱れる中を、バスで上って行くと、高台に絵本美術館があり、美術館の裏に回った森の中に、いわさきちひろの山荘がひっそりと建っている。
当時は、おそらくそんな切り開かれた場所ではなかっただろうから、相当な山奥である。
左に妙高山、眼下に塩尻湖を眺望するすばらしいロケーションである。
いわさきちひろ美術館は、東京と、安曇野高原にあるが、この黒姫高原にある別荘は、あまり知られていない。
コスモス園から車で20分ほど山道を走ると、燕温泉という小さな温泉街がある。
温泉街と言っても7軒の温泉が急坂に両側に並んでいるだけである。
街はずれから3分ほど急坂を登ると、黄金の湯という露天風呂があり、コンクリートのままの脱衣場があるだけの野外の温泉である。
乳白色のいかにも温泉と言った感じの温泉で、最近は男女の間に仕切りができたようだが、私が行ったときは、湯船から立ち上がると女性風呂が丸見えだったし、登山者が歩く登山道からも湯船が見えるというおおらから村営の無料野外温泉だった。

山里

2008-09-19 00:10:59 | Weblog
美濃太田駅から、各駅停車の鈍行で、のんびりと長良川鉄道に揺られていくと、沿線の風景は長良川沿いに山里の景色をつぎつぎと見せてくれる。
この時期、トンネルを出るたびに狭い谷間に黄金色に染まった稲刈り直前の田んぼと、山の麓に並ぶ民家、それに飛騨川の流れ、
そんな山里の光景が展開する車窓を見ていると飽きない。
写真は、郡上八幡駅近くの沿線の風景だが、トンネルを抜けるたびにこんな光景が続く。
秋空に澄んだ川の流れ、あたりは自然が主人公である。
ときどき、多治見駅から太多線というローカル列車に乗り、美濃太田から長良川鉄道に乗り換えて、のんびりと各駅停車の列車に乗って、車窓の景色を見にいくようにしている。
長良川を右にしたり左にしたりして、上流に向かう景色は、日帰りで散歩がわりに出かけるには、郡上八幡駅までぐらいが適当である。
高速道路で通過する人々が多くなって、高山線に乗る客は、ほとんどは名古屋から特急列車で高山まで行くから、郡上八幡には長良川鉄道の各駅停車の列車でしか行けないが、私には、そのほうが楽しい。
車窓を楽しむには、鈍行列車でゆっくりと走るのが一番である。


夕焼け

2008-09-18 00:28:40 | Weblog
突然の雷雨が去って、スーパーの駐車場から西の空を見ると、すばらしい夕焼けである。
スーパーに入るときには、東の空に虹がかかっていたが、20分ほどして出てきたら、西の空の雲が切れ始めて、夕日が遠くの山並みに沈んで行くところだった。
蒸し暑さが一気になくなって、明日からはカラッと乾燥した涼しい日になる予感のする夕焼けである。
こういう景色は、自然にできるもので、自分で絵に描こうと思っても描くことができない構図と色彩である。
駐車場の舗装された地面は、直前まで降っていた雨で濡れている。
家と家の間の隙間から沈もうとする太陽が光を四方八方に放射して、雲の向こう側から雲を照らしているが、雲に遮られて雲は真っ暗である。
秋が深まってくると、夕方、西の空に、無数の千切れ雲が現れ、一つ一つの雲がもっと真っ黒になり、雲の背景が赤く染まる。
その光景は、気温が急速に低くなってくることもあって、ひとりでいると気味が悪く感じるほどである。
買い物が終わって、車に乗ろうとしたのに、しばらくは、夕焼けを見続けた。

素焼き

2008-09-17 01:06:54 | Weblog
2週間前に、粘土で形を作ったのが、素焼きが出来上がっていた。
粘土で形を作ったものを乾燥させてから、700度くらいで焼いたものが素焼きで、素焼きされたものを、今度は釉薬をかけて表面に色をほどこす。
窯から出した素焼きのままだと、突起があったり角が鋭利過ぎたりして、そのまま本焼きすると、焼き上がって扱うときに危険なので、紙ヤスリで表面を磨く。
磨いた後、今回は全体に薄い青色の釉薬を掛け、その上から濃い青色の釉薬を掛けた。
最後に透明釉を掛けて、焼き上がったときに表面に光沢が出るようにする。
ソバチョコのようなのにも、すだれ模様の絵を描いた。2週間後には、本焼きが出来上がっている。
多治見の郊外、市之倉地区にある窯で、すぐ近くには、さかずき美術館や幸兵衞窯があって、車をさかずき美術館の駐車場に置いて午前中2時間土いじりを楽しんでいるのである。
美濃焼の産地である多治見は、市街地は、焼き物の商店や卸問屋、絵付師、釉薬の会社など焼き物を直接制作するというよりも焼き物生産のサポート的なものが集まっている街である。
市街地から離れた場所に、この市之倉や高田、笠原など窯場の多くが集まっている。
次期は分からないが、美濃焼を扱う会社は、郊外の高台に美濃焼卸売団地を作って移って行った。


ツキノワグマ

2008-09-16 00:55:27 | Weblog
揖斐川の上流にある旅館の玄関に置いてあるツキノワグマの剥製だが、だれがこういういたずらをしたんだろう。
そのままになっていたところをみると、旅館公認なのか、旅館の人がやったのか。
熊もさらしものにされるだけでなく、ありえない恰好をさせられてかわいそうである。
首のところに月型の白い模様があるから、日本本土にいまでも生息するツキノワグマである。
日本の野生動物では最大の大きさで、一見恐ろしそうだが、実は熊の中ではおとなしい種類だという。
大分昔だが、今ではトンネルになってしまったが、まだ峠越えをしていたころ、安房峠の峠の茶屋にツキノワグマの子グマが鎖に繋がれて、観光客の見せ物になっていたのを思い出した。
今でも深山に入ると、クマに遭うことがあるというが、若いころ、よく中部地方の登山で山を歩き回っていたが、一度もクマに会ったこともなかった。
一時は、絶滅したのではと言われていたが、そうでもないらしい。
教われてけがをしたというニュースがときどき報道される。
里山では、最近はイノシシがよく出てくるそうである。
土岐市の市街地、最近イノシシを見かけたという人がいる。
東濃地方でクマを見たという話は聞かないが、イノシシやシカの目撃話はよく聞く。
サルは、私も土岐市内の19号線からわずか入っただけの県道で見かけたことがある。
タヌキが車に轢かれて放置されているのは頻繁に見かける。
ネコもときどき轢かれた姿を見るが、イヌが轢かれているのは見たことがない。
野良犬が少なくなったからだろう。
最近は、飼いネコをイヌのようにつないで散歩させている飼い主の姿をみかけることが多くなった。
人間と動物とは、実は隣どうしで一緒に暮らしているようである。