定年後の暮らし春秋 ~ 菜園だより ~

現役時代の週末菜園から、定年後の野菜づくりへ。
自由な生活を謳歌する昭和15年生まれの日々。

自生えのひまわり

2008-05-30 23:31:11 | Weblog
自生えのひまわりの茎が大分伸びてきた。
エンドウとジャガイモ畑の間の、ジャガイモ畑のウネに2本目が出てきたので、ジャガイモの雑草を採るときに注意していたら、ここ2、3日の雨で、急に伸びてきた。
このヒマワリ、もともとはどうして自生するようになったのか、覚えていないが、とにかく毎年畑の中のあちこちに芽を出す。
あちこちといっても、前に年に生えて、花を咲かせた場所の周辺である。
前の年に、枯れるまで放置しておいて、自然に倒れるままに任せておくと、倒れたところに種が落ちる、その種を本当は集めて保存しておいて、春に播いてやればいいのだが、ヒマワリ畑を作るほど菜園は広くないから、数本だけあればいいのである。
幸い自然に生えてくるヒマワリが10本はある。
10本もあると、多すぎるので、4、5本のヒマワリが、あちこちに咲くようにしている。
ヒマワリは暑い夏に合った花で、豪快な大きさと、豪快な大輪の花が咲く。
大きな花を支えるために、茎は太くて丈夫である。
花が終わって、枯れた茎が邪魔になるので、抜こうと思っても、簡単には抜けない。
仕方なく鍬を持ってきて掘って倒す。
茎の高さは、2メートルを優に超えて、なかには3メートル近くにも達するものがある。
花の済んだあとの種は、直径が30センチほどにもなる大きさで、ヒマワリの中でも大輪に属するものだろうと思う。
ヒマワリも最近は、家庭での観賞用の背の低い苗が売られるようになった。
倭化草花というらしいが、本来の大きさではなくて、薬品で大きくならないようにしているらしい。
たしかにあまり大きい草花は、室内のテーブルには向かないが、どういう方法でかは分からないが、本来の大きさを押さえて、観賞用だからといって、無理矢理小さくする必要があるのだろうか。

メダカ

2008-05-29 23:58:05 | Weblog
メダカの飼育方法の本を読んで、メダカを増やしてみようと、まずは10匹をホームセンターで買ってきて、小さな容器に入れた。
メダカは、畑の水路にもいないし、土岐川にもいない。
昔からどこにでもいる小さな魚だったのに今は野原の流れや水田から姿を消してしまった。
8年ほど、畑の一部でミニ水田を作って無農薬で稲を作っていたが、メダカは一度も湧いてこなかった。
まだいないことはないらしいが、絶滅の危機に瀕しているらしい。
水が温んでくるとメダカの繁殖期らしいが、メダカを愛する人たちのホームページも無数にあって、いろんな知識が容易に分かるので、大変便利な世の中である。
昔は、田んぼの中は、いろんな生命の宝庫だったが、今は強力な農薬で水草も生えない世界になっている。
それでも最近は、やかましくなったおかげで、少しずつ生命が増えてくるようになってはいるが、まだ水の中の生命は少ない。
昆虫やカエルや外来の大型タニシなどは見かけるようになったが、田んぼの中を群れをなして泳ぐメダカはまだ見られない。
かっていっぱいいた日本メダカは無理でも、ホームセンターで売っているメダカでもいいから増えるかどうか試してみよう。

5月の鳩吹山頂からの眺望

2008-05-28 23:57:57 | Weblog
5月は、暑い日もあれば涼しい日もあるあまり安定しない時期で、結構雨も降る。
その雨のお陰で大地の緑が美しい。
晴れた一日、可児市と犬山市との境にある鳩吹山を歩いてきた。
可児川駅で電車を降りて、歩k始めると、山際に東海自然歩道が続いている。
土田城跡の石柱のあるあたりの石橋から下を見ると、かなり深い渓谷である。
この渓谷、すぐ近くを流れる木曽川に流れ込んでいる。
国道41号線のガードをくぐったところからが鳩吹山への登山口である。
薄暗くなるくらいの新緑のトンネルをしばらく渓流沿いに歩くと、昇りになっていく。
しばらく急登を続け、尾根に出るあたりからは、さらにかなりの急坂である。
海抜300メートル級の山とは思えないほどの登りである。
そこをすぎると、高現状の広い尾根に出る。
さらに急坂を登りきると山頂である。
山頂からは可児市街が眺望できる。
眼下には木曽川がカーブしながら手前の山の中に消えていくが、眼下の街の先にある各務原市美濃太田からライン下りの観光船が下って行くところである。
鳩吹山からは、ライン下りの終点である犬山の街まで東海自然歩道が山の中を縫っているが、途中で山道が分かれて、鳩吹山麓へ降りて行く道もあり、この日は山麓への道を下りた。
低い山なので、山道の途中には、いろんな花が咲いている。
可児川駅に戻らず、反対方向へ歩いて入鹿池を通って犬山市街へ出る道もあるが、いずれも犬山まではかなりの距離がある。
新緑の山道の息吹を楽しむには、いまが最高の季節である。

映画「最高の人生の・・・」

2008-05-28 01:05:57 | Weblog
映画「最高の人生見つけ方」という大人の映画を観てきた。
随所にウイットと哀感がちりばめられ、人生の最後を思いどおりに生きようというふたりの高齢者の会話が共感を呼ぶ。
映画のような資産家でないわたしたち庶民には、同じようなことはできないが、それでも、60年も働いてきたあげくのはてに余命何か月と宣告されたら、そのまま何もしないで人生を終わりたくないと考えるのは当然だろう。
最近、戦争とその後の日本社会の混乱の中で、人生のすべてをただ懸命に生きてきた世代である70代後半から80代の高齢者たちがやっと戦争の悲惨な現実を語りだしているが、是非すべてを語ってもらいたいものである。
庶民の歴史は、記録に残さないかぎり、存在しなかったと同じなのだから。
映画は、末期ガンで、あと長くて半年の余命と医者に宣告された男ふたりが、死ぬまでにやりたいことを決めてそれを実行する行動を渋い大人の俳優が演じてるが、なんとなく自分のことをそのまま振り返ってるような雰囲気がにじみ出ている。
政治のことは一切描かれていないが、人間ひとりの人生の重さは十分伝わってくる。
年齢や宿命にかかわりなく、最後のひとときを自由に生きたいという人生の哀歓が画面から伝わる高齢者讃歌である。
ただし、観客が、若い女子学生ばかりだったのが気になる。


スモモの実がいっぱい

2008-05-26 23:41:02 | Weblog
一見、梅の実のようだが、スモモの実である。
ほぼ20年前に、週末菜園を始めたときに、借りた畑地の周りに果樹を植えた。
ナシ、グミ、カリン、スモモ、柿である。
このうち畑作業の合間に摘んで食べられたのは、グミと柿だけだった。
ナシは管理不足で、駄目。カリンも実をつけるが全部落ちてしまうし、スモモも大きくならないうちに熟して落下してしまう。
果樹はやはりちゃんと成らせるには、技術が要るようである。
他に別の場所にキウイを植えてが、これもまたツルはどんどん伸びて葉を茂らせるが、実は成っても小さくて駄目だった。
柿は、2本植えたが、1本に3年目ぐらいにいっぱいの実が付いて、重さで地面に付くくらい多数の柿が実ったが、実を付けすぎたのか、翌年枯れてしまった。
グミは多くの実をつけて、渋みのある甘さの実を楽しんだが、ある年、竜巻のような強風が通過してニセアカシアの大木が倒れてきてグミの木が折れてしまった。
もう1本の柿は毎年ではないが、実を付けるが、大きく熟す前にどういう訳か地面に落ちてしまう。
5年ほど前から、土地を貸してくれている人が、野菜を作っている畑の隅にイチジクを植えて、最近は実が成るようになったが、まだ甘い実がなるようにはなっていない。
結局、果樹は管理が難しいということが分かった。
野菜のようにはいかないのである。

芝菊

2008-05-26 00:49:20 | Weblog
初夏の今、あちこちで目立つ花に芝菊という草花がある。
花の色が鮮やかで、地面を這うように無数の花を咲かせるので、実に良く目立つ。
道路の歩道の植栽の下に、地面を覆うように濃いピンク色で広がっているのをよく見かける。
写真の芝菊は、可児市のリサイクルクリーンセンター入り口にあった芝菊である。
このセンター、西濃や東濃の10の自治体から集めた廃棄物を処理する処理場だが、処理の過程を見学できるようになっていて、なかなか面白い施設である。
いつもは何気なく燃えるゴミの集積場へ持って行く家庭で出たゴミが、深さ40メートルもある巨大なコンクリートの箱の中で、これまた巨大なクレーンで混ぜ合わされて、焼却されている現場を見られる。
その巨大さに圧倒される。
最終的に無害な土になって埋め立てられる。
よく東京の夢の島と呼ばれるトラックで運ばれてくるゴミがそのまま埋め立てられている光景が見られるが、生ゴミや燃えるゴミがそのまま埋め立てられて大丈夫なのだろうかと心配になっていたが、ここ可児市の処理場では、有害物を除去して無害な土にしてから埋め立てているのを見て少し安心した。
それに埋め立てる場所には、地中に浸透しないようにシートが敷かれている。
観光バスで見学きた小学生たちと一緒にドーム状の建物にある解説やエコ製品の展示物を見て回った。

空中を漂う毛虫

2008-05-25 00:40:46 | Weblog
初夏の森を歩いていると、突然目の前に毛虫が浮遊しているのを見かける。
よく見ると、細い糸にぶら下がっているのである。
この空中に浮かぶ毛虫を写真で撮ると、ときどき話題になる宇宙生物のような感じになる。
焦点が遠くの樹木にあり、すぐ近くのぶら下がった毛虫は焦点がずれてぼんやりする。
しかも周辺に糸を垂らす木がないように写すので、まるで空中に浮かんでいるように見えるのである。
意外に高い樹の枝から見えないくらいの糸でぶら下がっているので、目の前に突然現れるとびっくりする。
写真の毛虫は、いかにも毛虫という感じの色なので、すぐに毛虫と分かるが、ときどき白い毛虫がぶら下がっていることがある。
これを見つけると、うん?宇宙生物かなどとつい思ったりする。
なんでもマニアによると、空中や森の中に白いムカデのような生命体が浮遊しているといい、写真なども出ているから、まさかと思いながらも、もしかするとなどと思ったりしているのだが、世の中には解明できていないことが多いから、UFOではないが分からない事に興味を持つのも面白い。

丘の上の賃貸マンション

2008-05-24 00:21:16 | Weblog
写真は、名古屋市近郊の旧住宅公団の団地なのだが、高層マンションが丘の上に聳えている光景を、毎日通勤の電車から眺めていて、いつも思っていたのは、電車の中から見ているこの光景だけで考えると、これは巨大地震がこの地方を襲ったら大丈夫なんだろうかということだった。
見たところでは、それほど広くない丘の森の中から、高層ビルが聳えているのだが、実際には、現地に行けば見た目とは違う広さを持つ敷地なのだろう。
中国四川省の大地震は、現時点で、死者の数が5万人を超えていて、不明者も3万人近くもいるという。
完全な調査が行われた結果ではないようだから、今後、死者の数は10万人を超えるかもしれない。
住んでいる人たちには申し訳ないが、不謹慎だが、突然の大地震で、見えている高層ビルが、丘の上から崩壊するシーンが見えてくる。
大災害は大抵、思ってもいないような形で襲ってくる。
阪神大震災の時に、高架橋が積み木のように倒れてしまったが、これなど誰も予想していなかった。
まだ小学校にも入っていなかった幼い頃、濃尾大地震と三河大地震を立て続けに経験したが、そのときの恐怖はいまだに脳裏に刻まれている。
三河大地震のときは、1か月ほどは、余震が続いて、家に入れず、小屋を作って寝起きしていたことを覚えているが、地震が起きた直後は、住民は、道路に布団などを持ち出して不安な夜を過ごした。
道路に寝ていると、地下深くに遠くからゴーという戦車の走る音が近づいてくると、がたがたと地面が揺れる。
これがおよそ1か月も続いた。
矢作川の堤防では死体を焼く煙が続いた。
古い城下町である震源地のすぐ近くの近郊には、古いお寺が散在していて、疎開していた名古屋市の児童たちが崩壊した本堂の下敷きになって多数が死んだ。
木造の二階建家屋は、強烈な揺れがあると、倒れるのではなく、一階部分がぺしゃんとつぶれることを知った。
四川省から敗戦後引き揚げてきたという退職者の先輩が、大変心を痛めてるというコメントを寄せてくれたが、命の問題は、何よりも大切な人間のテーマだと思う。


観賞用のサトイモ

2008-05-23 00:45:25 | Weblog
去年、サトイモを来年の種芋にするために掘り出したのをそのまま畑の片隅に埋めておき、今年の春掘り出して種芋にしたが、このあたりでは、去年のサトイモの親芋は、種芋にならないということなので、残ってしまう。
一冬越しているので、食べるのもなんか嫌なので、畑の肥料になってしまう。
この親芋は、そのまま放置しておいても、初夏になると芽を出してくるから驚く。
実に親芋は生命力が強いのである。
それを見て、最近は種芋として使わない親芋を自宅に持ってきて、自作の花瓶やコップの中に入れ、水を張っておき、出てくる芽を大きくして鑑賞している。
ほとんどの植物は、こうして水だけも、芽を出し、葉を繁らせるくらいは育つ。
茎をきったり、枝を切ったりする生け花よりも長く持つ。
芋類のサツマイモやジャガイモなどもこうして鑑賞用にできる。
食べごろをすぎてしまって、芽が出てきてしまったのを、捨てるのはもったいないので、その新芽を鑑賞用にするのである。
サトイモの親芋を種芋として使わない理由は分からないが、おそらく子芋ができる量が少ないからなのか、やってみたことがないが、ホームページで、昔は親芋も種芋として植えていたという記述があった。
水だけの花瓶でも、白い根がいっぱい出てくるから、土に埋めれば根を張って行くのは確実だと思う。
来年は,一度親芋を植えてみようと思っている。

自生のひまわり

2008-05-22 00:34:29 | Weblog
ひまわりが花を終わり、枯れたまま種を付けて立っていると、いろんな小鳥がやってきて、種を食べる。
旺盛な食欲で、直径が30センチ近くにもなるびっしりと付けた種をほとんど食べてしまうこともある。
それでも種を付けた花が多すぎて、種を残したままやがて地面に倒れる。
倒れた地面に種がこぼれて、その種が翌年、5月になると写真のように芽を出す。
あちこちに出る芽をそのままにしておくと多すぎるので、数本だけ伸びるのに任せておくと、夏になると大輪の花を咲かせる。
毎年繰り返している循環である。
ひまわりの種を特に好むのだろうか、普段は見かけない小鳥が種の周りに集団で集まってくる。
スズメによく似た小鳥である。
ひまわりは、草花と言うより、樹木のように茎が太くて固い。
根もしっかりと地面をつかんでいて、簡単には倒れない。
枯れてしまってもしっかりしているので、鍬で掘って倒す。
ところで、ひまわりといえば、足長蜂が自宅の庭をつぶして作った書庫ある人造のひまわり(一時香港フラワーと言った)に集まってきて困っている。
この書庫は、遊び場のつもりで、隙間だらけのロフトのある小屋なので、その隙間から入ってくるのである。
人造のひまわりなので、匂いもないのに、他の人造の花もあるのにひまわりの花に集まってくるのが不思議である、
蜂はひまわりの色を見て集まるのだろうか。

グリーンピア春日井

2008-05-20 23:47:59 | Weblog
洪水の写真ではない。
ため池の水の中に生えてる樹木である。
大規模な公団住宅の外れに作られた市民公園で、愛知県と岐阜県の県境にあって、山の麓と住宅団地の境界の道路沿いに細長く続いている。
団地住民のボランティア活動で清掃なども行われ、園内にある温室なども市民の意見がふんだんに反映した設計になっているという。
中央線高蔵寺駅から自衛隊基地のある山を回るようにして、長い坂道が延々と続いているが、その坂道を上りきって、下って行くと堤防でせき止められたため池があり、その湖岸に写真の風景があった。
池には、人慣れしたカモが数羽のんびりと浮かんでいて、鯉の群れも集まってきた。
高蔵寺団地の住民たちの恰好の憩いの場所になっているのだろう。
ウオーキングで行ったのだが、このコース、2時間近くかかった。
坂道を大分上ったところで通りかかった御婦人に目的の植物園に行けるかどうか聞くと、行けますがこれからまだ30分はかかりますよ、がんばってくださいと、同情されてしまった。
10年くらい前からだろうか、団地がどんどん広がって、中央線の定光寺駅のすぐ近くまで住宅が建ちならぶようになった。
坂道を上り始めるところに、自衛隊の基地があり、そこは小高い山をうがって弾薬庫が地中に広がっているらしいが、金網の外側に、防御犬が放し飼いにしてあります、などという看板がこれ見よがしに吊るしてあり、普通の住宅地にある道路なのに、自衛隊専用道路などという看板もあった。基地の外にある道路が自衛隊専用道路ということがあるのだろうか。

ジャガイモの花

2008-05-20 00:19:42 | Weblog
ジャガイモの畑の土寄せをするころになると、急に葉が繁ってくる。
土寄せをすると、見た目が、畝がはっきりしてくるから余計に,急に大きく繁ってきたように見えるのかもしれないが、一段と成長したように見えるのである。
土寄せして2、3日すると、こんどは花を付ける。
ジャガイモの花は、いろんな色の花があるが、このあたりで作られている男爵やメークインは、白と赤紫である。
今年は、この2種類に、もうひとつキタアカネという種類を植えた。
最近は、もっといろんな種類の種芋を売っているが、もともとは寒い気候の土地に育つ芋なので、このあたりの夏の暑さは不向きらしい。
ちょっと掘り出すのが遅れると、土の中で腐ってしまうことがある。
ジャガイモはいろんな料理に合っていて、しかも常温でも長期の貯蔵が効く便利な食物である。
春と秋の2回栽培することができるので、一年中食卓に上がる。
病気になるからと言われているので、収穫後に残ったジャガイモから時期になると芽が出てくるが、それを種芋として植えることはしないが、以前、時期がずれて,種芋を入手できなかったときに、スーパーで売っている食用のジャガイモを種芋として植えてみたことがあるが、別に病気にもかからず、普通に収穫できたことがある。

スナックエンドウ

2008-05-19 00:59:14 | Weblog
スナックエンドウが大分大きくなってきた。
もう少しすると莢が膨らんで来て採り頃になる。
スナックエンドウは、アメリカ産で、最初は穀物として1970年頃輸入されたものだという。
甘みがあって、莢が膨らんで来ても柔らかさがあるので、莢ごと食べられる。
キヌサヤエンドウは、写真のような莢の出来始めを採って食べるが、スナックエンドウは莢の中の豆が大きくなってからでも食べられるところからスナックという名が付けられたのだろう。
グリンピースは、莢の中にできる豆だけを食べる。
豆が大きくなってくると、莢は固くなってしまってとても食べられない。
ほとんど毎日収穫しないと、次々と実が出来過ぎてしまうので、家から離れた場所で栽培するのは適さない。
全部採ってしまっても、2、3日してから行くと、また元のようにいっぱい実が付いている。
このエンドウも、病気にかかることがあり、白い粉が全体に広がって、やがて茶色になって枯れてしまう。

トウモロコシのポット苗を植える

2008-05-17 23:11:59 | Weblog
自宅の庭でポットで種から育てたトウモロコシの苗を畑に移植した。
最近は、トウモロコシと大豆は種から育てることにしている。
小さなビニール製のポットに、土太郎という名前の育苗用の土を入れて、毎日水をやりながら1週間程度太陽にさらしておくと芽が出てくる。
それをもう1週間程待っていると、長さが10センチほどになるので、畑に移植する。
トウモロコシは、これだけのことで、あとはほとんど手間がいらない。
大きくなって、実を付け、熟してきたら鳥よけの網袋を被せてやる。
これをしないと一番の食べごろを一番よく知っている鳥たちに食べられてしまうからだ。
それに虫が入り込んで、芯のほうから変色してしまうのも防げる。
鳥よけの網袋は結構値段が高いので、トウモロコシの数が多いときは、台所の生ゴミが配水管に貯まるのを防ぐビニール袋が安くてちょうどいい。
これは、小さな孔がたくさん開いているし、大きさもちょうどいい。

ひなげしの花

2008-05-17 00:10:11 | Weblog
去年の6月1日、近くの花フェスタ公園に花を見に行った。
バラを始めいろんな花が咲き誇っていて、快晴の蒼空と涼しい薫風がそよいで実に気持のいい一日を過ごした。
写真は、ひなげしの満開の様子である。
モネの絵に、ひなげしという広い野原いっぱいに咲くヒナゲシと遠くに森が見え、婦人とこどもが花畑を日傘をさして遊ぶ風景の絵があるが、写真の風景も、それに劣らない風景である。
瑞々しい新緑とあざやかなひなげしの花の丘。
ひなげしは、最近ではポピーと言ったほうがよく知られている。
冬の間に、種をばらまき、5月になると色鮮やかな花を咲かせる。
5月から6月にかけて、花フェスタ公園は花を愛でる大勢の人々で賑わう。
去年は、バラ園の一角に、ターシャの庭と小屋が作られ、ちょうどバイオリンのコンサートが開かれていた。
花に埋まってバイオリンの音を聴くという快適な時間を過ごした。