癒(IYASHI)

徒然なるままに令和時代のニュースなどの種を拾い癒し求めて綴ります      

★1年未満の運転経験者に500人余の命を授けられるか?

2005年04月26日 10時09分14秒 | ニュース
マンションの角にアルミ板が直角に張り付いている電車の大惨事の状態の映像に目を疑がった。1両目の電車は1階駐車場にめり込んで居て見えないと言う。映像では捉えられない。どうすればこんな大惨状になるのだろうと想像もつかない。
JR西日本が社長が被害者を見舞いに悔やみをして歩くが、「本人を元の姿で帰してくれ」と捻じ込まれている姿が痛々しい。これがトップの責任と言うものだろう。部下の責任であろうと管理上の責任であろと、今は唯、誠実に頭下げる以外に方法が無い事の胸中が手にとるように分る。
運転士は23歳で経験11ヶ月余りとか、果たして経験1年以下の一人の者に何千人の命を預けて運転させる技量と精神力が充実して居ると判断し運転させているのだろうか。
「そろそろ運転にもなれ、何の不安も無くなり俺は一人前」と思いがちになる一番注意すべき時期が1年ぐらい経った頃の筈だ。
 自動車運転免許を例に取つても、半年から1年した頃の事故が一番多い事である。怖いと思って運転しているときは基本を忠実に守り安全意識も高い為に事故は少ない。
 まして、電車の運転は極端かも知れないがレール上を目を瞑っていても、黙って走ってくれる。障害物は何も無いに等しいし、脱線するなどめったに無い。1分余の時間短縮をするたにはこのぐらいのスピードを上げれば挽回すると言う経験と構造は十分承知している筈である。「これぐらいのスピードは大丈夫」と高をくくり、甘い判断で暴走運転した結末が大惨事に繋がったように思えてならない。
事故を起こしてから、ベテランの添乗指導の指示では何もならない。「人の命を預かっているんだと言う自覚」を適時適切と言うより、その都度、点呼等時を問わず指導しているのだろうか。人を運ぶと言う崇高な仕事を業にしている以上「安全」という事を何時なりとも忘れてならないはずである。遅れて発車する時点で、唯「そうか、気をつけろ」だけで、なんら具体的指導がなされていないとすれば「現場の長その者の指導者の責任が」問われても仕方が無いだろう。
車掌は42歳と聞くが、運転手のコミニュケーションはどうなっているのだろう。車掌の歯切れの悪い状況説明も気になる。
 命の預かる重さはバスの運転士の比ではない。500余の人の命を預けるには11ヶ月の運転経験と23歳の一人に託すには、早過ぎる配置では無いだろうか。若者の指導体制はどうなつているのだろうか。脱線等のメカは知らないがヒューマンエラーとしか私には思えない。
 運転しているときは、「安全意識を忘れた時」に事故が発生すると言う事を心に持ち続ける事が事故防止の基本中の基本である筈である。多忙のときこそ、きめ細かな指導が必須であると言う事を忘れず、マンネリ化にならず事故を防止するしかない。
 亡くなられた被害者の冥福と怪我された人達の早期回復を願わずにはいられない

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