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ハチは知っている

渋谷区について広く・浅く知識を深めよう♪
ただ今工事中です。書式等の統一中の為、少しずつページが変わります。

山本 幸久「渋谷に里帰り」

2013年04月10日 | 文学

 1.はじめに

  渋谷という街ほど、里帰りという単語と、なかなかそう結び付けづらい街は無いだろう。そもそも、渋谷はずっと流行の発信地であるし、ショッピングや料理や映画、そういった様々な文化や遊びを楽しむ町だ。と、この本を手に取った人は、誰もが思うはずだ。

  それでも、渋谷という場所が、昔からこのように派手で明るくて騒々しい場所だったわけではない。その昔、渋谷を代表する2つの坂、宮益坂と道玄坂が、旅人を接待する町場として栄え始める。そこから、神泉谷、丸山花街が色町として発展。そして商業空間として、百軒店が繁盛し、第二次世界大戦後には駅前にヤミ市ができた。賑わいの中心地を少しずつ移動させながら、1960年あたりから、若者が渋谷のセンター街に集まってきて、1975年頃からファッショナブルな街として認識されるようになった。時代ごとに、人々を引き付けるものは変わっていったが、新しい情報や文化の発信地であったことは確かである。結果、今ではセンター街だけでも、一日に6万人前後の人が訪れるほど、日々多くの人が行き交う繁華街となったのだ。

  オシゴト系青春小説という一見爽やかそうなキャッチコピーを掲げた、この「渋谷に里帰り」という作品は、たとえば出稼ぎに出ていて実家に帰ってきた話でも、昔は渋谷でやんちゃしていて、社会人になって久しぶりに遊びに来た、とかいう話でもない。渋谷で生まれ育った主人公、峰崎稔が、子供のときについたうそが原因で、引越して以来、足を遠のかせていた地元に、仕事を理由に久しぶりに帰ってきたという話である。帰ってきたところで、特に大きな出来事があるわけでもなく、感動の再会があるわけでもない。たんたんと進む話の中で主人公は、鬼門として遠ざかっていた約20年の間に、あまりのも様変わりしている渋谷に、寂しさを通り越して最早新しい街だと認識する。それでも、見覚えのある場所に出会うたびに、郷愁を感じるのだ。だから、里帰り、なのである。

 

2.今より少しだけ昔の渋谷

  「渋谷に里帰り」というタイトルにあるだけあり、作中には渋谷の様々な場所が描かれている。でも、そこはすでに今の渋谷ではない。この作品が書かれたのは2006年から2007年の間で、単行本が発売されたのが2007年10月である。つまり、ここに描かれているのはおよそ5年前の渋谷なのだ。たった5年と思われるかもしれないが、されど5年。下に、作中で渋谷やその周辺について触れた部分をいくつか抜粋してみた。作中ではまだ存在し、登場している店や建物が、今ではもう無いものもある。今の渋谷をよく知る人は、今の渋谷を、昔の渋谷を知る人は昔の渋谷を思い出しながら、辿ってみるのも面白いだろう。

 ・「山手線を降りて、ハチ公口をでると、スクランブル交差点だ。」(p.30)

・「右手に『三千里薬品』があるのに気づく。」(p.30)

・「前方の『渋谷西村』へ向かって歩いた。左手に『マルナン』を見つけた。」(p.30)

・「青地に白で大きく「1」と書いてあるビルがある。昔、ここはデパートだったように思うが、その名前までは思い出せない。」(p.31)

・「東急本店が見えてきた。ここがBunkamuraか。」(p.31)

・「いまふたりがいるのは渋谷の交差点間近の『マクドナルド』だ。」(p.45)

・千駄ヶ谷の改札口を出て、明治通りへ向かっている途中の神社。(p.53)

・宮下公園の手前の歩道橋から見える、ほぼ同じ高さを走る山手線。その向こうに見える電力館。(p.57)

・「『タワーレコード』のビルが見えるが、あれは昔からあそこにあったのだろうか。」(p.58)

・「恵比寿駅を降りたら、『第三の男』のテーマ曲が流れていた。」(p.72)

・「恵比寿にきたのはいったい何年ぶりか、見当がつかない。ホームから階段をのぼり、改札口をでて左に折れた。いくつかの店が立ち並ぶ通路を渡り、今度はえらく長いエスカレーターで下った。」(p.73)

・「宮益坂下の交差点で信号待ちをしているとき、銀座線の電車が高架の線路を走っていくのが見えた。地下鉄であるにもかかわらず、建物の三階にホームがあることが、昔はメビウスの輪にも似た奇妙な現象のように思えた。」(p.89)

・「銀座線の下に、渋谷駅から東急文化会館を繋げていた高架通路があるのが目に入った。」(p.90)

・渋谷駅東口のロータリーを右手、フェンスを左手に進み、右の方角にそびえる塔のような高層ビル『セルリアンタワー』。(p.92)

・「『恋文横丁此処にありき』と記された看板を掲げた薬局のビルが、取り壊されていた。その脇にあったレストランやゲームセンターも姿を消している。そこを通り抜けていくと道玄坂に面しているザ・プライムの裏口へ入れた。ビルの狭間というか隙間のような道があった。」(p.142)

・「京王線の笹塚駅を抜けて、甲州街道を渡って、さらに商店街に入っていった。米屋に魚屋、酒屋に靴屋、洋品店、八百屋に電気屋、寿司屋、中華料理屋にトンカツや。手作りのせんべい屋もある。個人経営の店が狭い道の両脇にずらりと立ち並び、チェーン店があっても、町の風情を乱す事なく、じょうずにとけこんでいた。」(p.165)

・ハンズの近く、NHKへむかう坂をあがる途中の輸入盤のレコード店『シスコ』

(p.201)

・東急東横店東館の屋上、『ちびっ子プレイランド』と『東横稲荷神社』。(p.211、p.214)

・円山町の映画館、ユーロスペース。(p.223)

・センター街の位置口左の『大盛堂書店』。(p.224)

・センター街の『HMV』や『さくらや』。(p.225)

・地下鉄半蔵門線の手前の『旭屋書店』。(p.226)

・「鉄仮面のような形の建物は交番だ。」(p.227)

・交番の裏にある、中華料理屋と台湾料理屋『龍の髭』。(p.228)

・「井の頭通りをすぐ右に折れ、えっちらおっちら坂をあがる。左手にパルコパート3が見えてくると、そこをまた左へ曲がる。そこの角のビルがなくなっていた。東急文化会館と同様に工事中をしめす白いフェンスに囲まれている。そのならびに『東急ハンズ』がある。」(p.232)

・「オルガン坂をくだり、井の頭通りにもどると、『東急ハンズ』を左手にまっすぐ、やがて右に折れ、BEAMを左手に歩いていくと、文化村通りへでた。」(p.242)

・「犬の顔が前の部分に描かれた小型のバスが、こちらにむけて走ってくる。」(p.247)

・「ハチ公バスは明治通りから渋谷駅東口に入る。左に東急文化会館の跡地が見える。こちらのバス停もバスターミナルにはなく、その通り沿いにある。そこから青山通りへとバスは走っていく。」(p.251)

・「バスは細い道を通り終え、ふたたび広い通りにでた。明治通りだ。曲がる瞬間、角に小さな神社を見つけた。」(p.253)

  

3.東急文化会館と電力館

  2003年に閉館し、なくなってしまった東急文化会館に思いを馳せ、その跡地を囲む白いフェンスに憤りを感じる主人公は作中で32歳。20年渋谷を離れているから、彼の思い出の中にある昔の渋谷は、1980年代の渋谷だ。そのころの渋谷といえば、バブルの真っ只中。1981年に渋谷センター街が整備され、同じ年にパルコパート3ができた。1987年には109-2(2011年に109MEN’Sに改称)も建ち、ファッションブランドを中心とした商業施設が次々とうまれる。渋カジ、ボディコンといった新しいファッションが広がり、渋谷全体が明るく華やかだった。そうして新しく大きなビルがいくつもできる中、主人公の周りの友だちも家の土地を高く売って、他の土地へと移り住んでいってしまう。そして、同級生の女の子が泣くのだ。町には誰もいなくなって、学校もなくなってしまう、と。

  作中では工事中だった東急文化会館の跡地には、今年2012年に新たな複合ビル、「渋谷ヒカリエ」が誕生した。ちなみに「渋谷ヒカリエ」ができることが発表されたのは2010年だそうなので、作中ではそのことについては何も触れていない。

  そして、営業先の顧客との待ち合わせ時間までに出来た空きに、営業の先輩に連れられて休憩しに入った電力館。ここは、2010年に大規模な改装工事で各階が順次閉鎖されていき、2011年3月20日に新装開館が予定されていたが、直前の2011年3月11日に発生した東日本大震災に伴い、再オープンを延期した後、閉館となった。

 

4.おわりに

 慌しく忙しい日々を過ごしていて、渋谷のような人ごみの中では、周囲をきょろきょろと見て歩く余裕もない。立ち止まろうものなら、後ろの人に迷惑そうに避けられる。けれどそんな風に少し目を離している間に、大きな変化も含めて、渋谷という街は日々店が入れ替わり、そのたびにまた多くの人が訪れるのだ。この本が出て5年がたち、作中に存在する建物や場所も、実際にいくつも建て変わって様相を変えている。昔の記憶を持つ本として、この本は貴重な作品となるだろう。

 「渋谷に里帰り」は2011年に文庫版となって、主人公のその後の様子がちらりと描かれた「女房が里帰り」が書き下ろしで収録されている。峰崎稔は、今の渋谷を見てどう思うだろうか。来年2013年3月には、東急東横線が副都心線と直通運転を行うため、渋谷駅は地上ではなく地下となる。渋谷駅の外観や周辺の光景は、更に新たな変化を遂げていくはずだ。

 また、東急百貨店東横店は老朽化を理由に、東館を2013年3月末にて営業終了させる事を発表したので、作中に登場したデパート屋上遊園地『ちびっ子プレイランド』もなくなってしまうらしい。その前に一度行って、上から渋谷の町並みを眺めて、東横稲荷神社に参拝したい。

 

参考資料

「渋谷に里帰り」山本幸久 日本放送出版協会 x/ヤマ (中央他所蔵)

「2011年 渋谷区勢概要」渋谷区企画部広報課 S41 (全館所蔵)

「歴史のなかの渋谷 ―渋谷から江戸、東京へ― (渋谷学叢書第2巻)」上山和雄 雄山閣 291.3/ウ (中央他所蔵)


O・ヘンリーを知っていますか?

2013年03月10日 | 文学

日本では英語教材として、必ずと言っていいほど使われるO・ヘンリーだが、名前は知っていても、どんな人だったかはあまり知られていないのではないだろうか。

O・ヘンリーの代表作のひとつ「賢者のおくりもの」―クリスマスの前日、貧しい夫婦は互いに贈り物を買うお金がなく、妻は自慢の長い髪を売って、夫が大切にしている金時計にぴったりの鎖を買った。一方、夫は大切にしている金時計を売って妻のために美しい櫛を買っていた―こんなふうに、人生とは時に皮肉で、思い通りにはいかないものであるが、どこか

に救いがある。この夫婦は、お金では買えないすばらしい贈り物をしたのだ。「彼らこそ真の賢者である」とO・ヘンリーは言うのである。彼の作品にはそんな人生観が随所にみられ、心を打たれるのであるが、このような人生観を持つに至ったO・ヘンリーの人生とはどのようなものだったのだろうか。

 

△『賢者のおくりもの』より

 

「O・ヘンリー」というのはペンネームで、本名はウィリアム・シドニー・ポーターといい、アメリカ南部のノースカロライナ州で生まれ育った。早くに母親を亡くし、文学好きの叔母に育てられたことが、彼の文才を育んだと思われる。

家が貧しかったため15歳で薬剤師として働き始め、その後、波乱の生涯を送るのである。

 

1.テキサス時代

 肺が弱かったらしく、空咳に苦しんでいたO・ヘンリーは、転地療法のために空気の乾いた西部のテキサス州に移り住む。

 

1882年

19才

テキサス州の牧場で働くようになる

1885年

23才

州都オースティンで不動産会社の帳簿係として働く

1887年

25才

土地管理局の仕事に就く

 

 

この頃結婚し、家計を助けるために文筆活動を始める

1891年

29才

銀行の出納係に転職

 

 

銀行勤務のかたわら、新聞社を立ち上げて独自の新聞発行を手掛ける

銀行を辞めて新聞づくりに専念するが、経営不振で1年後に廃刊

1895年

33才

ヒューストンで新聞記者となる

1896年

34才

勤めていた銀行で発覚した資金横領の容疑で起訴され、出廷する途中で逃亡する

 

 この横領疑惑については本人が一切弁明をしなかったため、資金不足を指摘された銀行が出納係をしていたO・ヘンリーに罪をきせたという無罪説と、自身が経営していた新聞社の赤字補填のために資金を流用したという有罪説とがあり、今も真相は明らかになっていない。

 

2.逃亡と服役時代

逃亡したO・ヘンリーはニューオーリンズからホンジュラスを放浪し、6か月後、妻の容態が重篤と知り、家へ戻る。その後、家族に説得されて自首をするが、妻の看病のため保釈される。

 

1897年

35才

看病の甲斐なく、妻死亡。

1898年

36才

懲役5年の判決を受け、服役

1901年

39才

3年3ヶ月に減刑され、出所する

 

服役中は従順で誠実な模範囚だったので、所内の診療所で薬剤師としての任務にあたっていた。真面目な働きぶりで医師や職員から信頼されていたO・ヘンリーは、検閲を逃れて新聞社や雑誌社に短編小説を投稿していた。そこで、本名ではなくペンネームを使うのである。服役前の小説はアマチュアの部類であったが、服役中とその後に書いたものはプロの作品になったと言われる。彼がどんな気持ちで判決を受け、服役したのかは知る由もないが、この経験が「小説家O・ヘンリー」を生んだと言えるだろう。実際、彼が服役中に書いた作品10編以上が出版されている。

 

3.ニューヨーク時代

 出所後、義父母の元で暮らすが居心地が悪く、執筆した作品が出版物に掲載されたのを機に、ニューヨークに移転。また、この頃から、服役中には断っていたお酒を連日飲むようになったらしい。

 

1902年

40才

ニューヨークで本格的に執筆活動

月間雑誌や新聞の日曜版に短編小説を書く

1904年

42才

短編集も出版され、不動の人気を得る

1905年

43才

再婚するが、飲酒と浪費で生活は逼迫

1909年

47才

肝障害に糖尿病、心臓病も併発しており、ナッシュビルで1年間静養

1910年

48才

ニューヨークに戻るが、3か月後に生涯を終える

 

 以上がO・ヘンリーの生涯である。

彼は、アメリカ南部、西部、逃亡、服役、そしてニューヨークと移り住んだ多種多様の経験と、そこで見聞きしたことを基に作品を書いている。ゆえに、フィクションでありながらいかにもありそうな物語であるのが興味深い。そして物語の最後は予想外の結末となり、その人生観に感心させられるのである。

しかも、O・ヘンリーの作品はすべて2000~3000語で収まる短編で、小説など読み慣れていない人でも、気楽に読んで楽しめると思う。これを機に、是非一度あるいはもう一度、O・ヘンリーを読んでみませんか。

 

  1909年のO・ヘンリー

 △ 『 「最後の一葉」はこうして生まれた』より

 

参考資料:  『 「最後の一葉」はこうして生まれた』 斉藤昇/著 角川学芸出版 930/ヘン (臨川所蔵他)

              『 English Journal 2004.3月号~5月号[特別企画] 朗読で味わうO・ヘンリーの世界』

アルク(区内所蔵なし)

 

 写真引用:『賢者のおくりもの』 リスベート・ツヴェルガー/画 冨山房 ヤング/726/ヘ (中央所蔵他)

              『「最後の一葉」はこうして生まれた』 斉藤昇/著 角川学芸出版 930/ヘン (臨川所蔵他)


2011年オススメ本紹介

2013年01月13日 | 文学

2011年に出版された本からオススメの本を紹介します★☆

 

図書館のカウンターにいると、「最近なにか面白い本ある?」と聞かれることがあります。

そんなときに紹介できる本の選択肢を増やしたいと思い、今回は、2011年出版の本で予約が落ち着いてすぐに借りられる本の中から、あらすじが気になった本を読んでみました。

読んでみて誰かにお薦めしたくなった本を紹介します!

 

まず1冊目。

 

 

 

書名: てふてふ荘へようこそ

著者: 乾ルカ

出版社: 角川書店

要旨

直木賞候補作『あの日にかえりたい』の異才が挑んだ、笑いあり涙ありの連作ヒューマンドラマ!

敷金礼金なし、家賃は月13,000円。このアパート、なにやら秘密があります。

特異な事情を抱えた6人の住人たちが出会った奇跡。

切なくて、哀しくて、でもあったかい、おんぼろアパート物語。

予想外のラストまでノンストップ。

 

*読み終わったあと、あったかい気持ちになれる本です。

そして、設定が面白いので、とにかく読みやすかったです。

この本を原作にしたドラマがNHK BSプレミアムで10月27日(土)から

スタートするそうです。(中村俊介さん主演)

 

2冊目。

 

 

 

書名: おしまいのデート

著者: 瀬尾まいこ

出版社: 集英社

要旨

この世はいろんな“デート”で溢れてる。待ち合わせが生み出すワクワクする気持ち、

楽しいひととき、別れる時のちょっとした切なさ。

 

こんなふたり(+α)がデートしてます。

  • 親の離婚後、月に一回外で会うようになった孫と祖父
  • 元不良の教え子と定年間近の老教師
  • ほとんど話したことがない同じクラスの男子同士
  • 捨て犬を見つけてしまった、OLと大学生
  • 保育士と手のかかる園児、そしてその父親

 

*    この本は、短編集ですが、どのお話もほんわかします。

誰かと一緒に過ごす時間そのものがかけがえのないものだと気づかされます。

  

  

3冊目。

 

  

書名: 想い出あずかります

著者: 吉野万理子

出版社: 新潮社

要旨

海辺に住む不思議な女性と女子高生の、切なくも幸せな出会いー。

嬉しいのに涙が出て、傷ついても信じてみたい。

自分にそんな感情があることを、初めて知ったあの日。

こんなに大事な想い出も、人は忘れてしまうもの?

毎日が特別だったあの頃が、記憶の海からよみがえる。

  

*    子どもたちしか知らない、「おもいで質屋」。

そこでは、不思議な女性(魔女)が想い出を買い取る質屋をやっています。

想い出の質(魔女が面白いと感じるかどうか、希少性があるか)によって値段を決め、「おもいで質屋」のことをすべて忘れてしまう20歳になるまでにお金を返しにくれば想い出は戻ってくるというルールになっています。

 

「記憶」と「想い出」の違いは、心が動いたかどうか。

そこには、楽しい出来事、辛い出来事、日常の何気ない出来事、いろいろな想いを

抱えた子どもたちがやってきます。

「おもいで質屋」に出会うことで、自分にとって大切なものに気づいていきます。

 

この本を読むと、目に見えるものだけがすべてではないということに気づかされます。

 

参考文献

書誌情報

「BOOK PAGE 2012-2」 日外アソシエーツ 025/ブ (中央所蔵他)

 

画像

読書メーター<http://book.akahoshitakuya.com/>


なんとなく、クリスタル

2012年07月05日 | 文学

1980年前半渋谷、原宿、表参道、青山を舞台に若者たちが繰り広げる青春小説がありました。

それが、『なんとなくクリスタル』です。

 

 

小説家から長野県知事、政治家へとマスコミを賑わした田中康夫氏が一ツ橋大学在学中に書き下ろした『なんとなくクリスタル』[1]は爆発的ヒットで100万部を超すベストセラーとなりました。

ストーリーの設定は1980年代はじめの頃のことです。渋谷4丁目の大学[2]に在学し、神宮前4丁目のマンション[3]に暮らす主人公由利[4]と、女子会館[5]に住む友人の江美子を含む由利の友人たちが登場し、恵まれた環境で育った学生たちが東京で繰り広げるハイソなカレッジライフが描かれています。この作品では、登場する地名、流行りの店やブランド、音楽などに註釈[6]が付けられていて、その時代のファッション、食文化、ショップ名にいたるまでわかりやすくなっています。この画期的手法が人気を得た理由の一つであった。

当時地方の女子大生の私もこの「なんとなくクリスタル」の影響を受けた一人であります。流通やネットワークが発達した今は、流行のファッション、ブランド、飲食など、どんなものでも地方都市に店舗があり、なんでも買えます。私が学生の頃は、そこに行かなければ見ることも感じることもできなかった時代です。東京に行くこと、東京で見てくること、そして東京のお店でなにか買うということが、ステータスでした。流行を発信する街、日本の最先端の街、それは東京、そしてその街が、・・・渋谷、原宿だったのです。

 

さてここで、この小説の中で由利が紹介しているスポットを地図上にマークしてみました。青色のマークが紹介された場所やお店。赤のマークが由利のライフスタイルとして登場している場所です。



[1]  文藝賞受賞、1981年芥川賞候補にもなりました。かとうかずこ主演の映画化でも話題でした。

[2]  青山学院大学だと思われます。

[3]  表参道ヒルズの裏あたりに住まいがあったと推測されます。

[4] 千駄ヶ谷の鳩森神社近くモデル事務所に所属。学生の傍らモデルのバイトをしている。

[5]  現在セコム本社ビルの場所に「東郷女子学生会館」があった。東京の大学に通う地方の子女を預かる有名な女子寮だった。

[6]  442個もの註釈がつけられていた!

 

当時地方の女子大生の私もこの「なんとなくクリスタル」の影響を受けた一人であります。流通やネットワークが発達した今は、流行のファッション、ブランド、飲食など、どんなものでも地方都市に店舗があり、なんでも買えます。私が学生の頃は、そこに行かなければ見ることも感じることもできなかった時代です。東京に行くこと、東京で見てくること、そして東京のお店でなにか買うということが、ステータスでした。流行を発信する街、日本の最先端の街、それは東京、そしてその街が、・・・渋谷、原宿だったのです。

 

さてここで、この小説の中で由利が紹介しているスポットを地図上にマークしてみました。青色のマークが紹介された場所やお店。赤のマークが由利のライフスタイルとして登場している場所です。

 

 

 

このふたつのマップから由利の生活圏が、渋谷、原宿あたりに集中していることがよくわかります。

 

 

 

 

野菜を買うなら青山の紀ノ国屋、魚だったら広尾の明治屋か築地。パンなら代官山のシェ・ルイ、ケーキは六本木のルコントか銀座のエルドール。学校の仲間とは六本木エストや乃木坂のカプッチョで。彼と一緒の時には少し上品に高樹町のルポゼでパイにトライ。夜中にケーキを食べるなら青山3丁目のキャンティーで。キラー通りのスウェッセンスではサンフランシスコフレーバーの大きなアイス。特別な日には天現寺のプティポワンでフランス料理。聖心や女学館から散歩しながら帰ると丁度いい。特別な手料理は舌平目のワインソース添えにデザートは竹下通りの昔ながらのケーキ屋ローリエ[1]で買っておく。

テニスの練習がある時には朝からテニスウエアを着て、普段の日にはボートハウス[1]やブルックスブラザーズのトレーナーを着る。スカートはそれに合わせて原宿のバークレー[1]のものがいい。でも着ていて気分がいいのは飽きのこないオーソドックスなサンローランやアルファキュービック。六本木に遊びに行く時にはクレージュのスカートかパンタロン。

輸入レコードを買うなら青山のパイドパイパー・ハウス。フュージョンに強いのは原宿メロディーハウス[1]。渋谷シスコはロック系、高田馬場のオーパスワンではマイナーレーベルのものを。カット版なら吉祥寺芽瑠璃堂。

服を選ぶのはデパートやファッションビルではなく、青山のフロムファースト[1]で。千代紙を買うのは千代田線に乗って千駄木のいせ辰まで行く。カードを買うなら青山のオン・サンデーズ

 

 



当時私は特に、主人公由利のライフスタイルに憧れました。由利が発信するその東京、華やかな東京の街並み、ファッション、そこに流れるBGM、東京の空気。そこに描かれるすべてが素敵でした。東京で暮らして数年がたち、私もここに描かれているお店のもつブランド、ステータスの意味が理解できるようになりましたが、当時は東京を知りたいという好奇心で、地理もブランドも解らずこの本を繰り返し読んでいた自分を思い出しました。この『なんとなくクリスタル』は、まさしく私の東京の最高のガイドブックでした。

 

なんとなく気分のよいものを、買ったり、着たり、食べたりする。なんとなく気分のよい音楽を聴いて、なんとなく気分のよいところへ散歩し、遊びに行く。

 

それが由利が提案する、クリスタルな生き方だったのです。

 

学校を出て表参道を一気に駆け抜け、原宿駅前へ出る。そこから、代々木公園を横に見ながら、代々木深町の交差点まで走る。NHK放送センターのまわりを、ぐるぐるとまわる感じで、渋谷公会堂のところへ出る。そうして、渋谷消防署の前の、通称、ファイアー通りを通って帰る。

 

 

 

一時代の渋谷を駆け抜けた由利。由利を育んだ渋谷の街は、それからもますますきらめき、国内、世界へと情報を発信する成熟した街へと発展てきました。当時大学2年生だった由利は今ではアラウンドフィフティー・・・・・。この街のその後の発展をどのように見ているのでしょうか。そしてその後由利はどんな人生を歩み、どこでどんな風に暮らしているのだろうか・・・・。 今を生きている由利のその後の続編を期待することにしましょう。

 

 

引用 (参考資料)

『なんとなくクリスタル』 田中康夫/新潮文庫Xタナ(中央所蔵)

『原宿 1983 』 原宿シャンゼリゼ会発行S13(中央所蔵)

『しぶやNo46~No55』(1980)渋谷区企画室S02(中央所蔵)

『新渋谷の文学』 渋谷区教育委員会発行S33(中央所蔵)

『東郷神社誌』東郷神社/東郷神社S13(中央所蔵)

『表参道のヤッコさん』高橋 靖子/アスペクトS34禁(中央所蔵)

『散歩の達人80年代地図で原宿を歩く』(2005年11月号)S02(中央所蔵)

『アンアン』(1982年3月26日号)(都立多摩マガジンバンク)

 

 

 

 

 


イメージの変化

2012年06月28日 | 文学

1.はじめに

 今回のブログのテーマは「イメージの変化」です。文学という言葉の範囲は非常に広いです。その中でも有名人や有名な事件は様々な作家の筆にかかることになります。その中で実在の人物をそのまま登場人物にしたり、あるいはモチーフに使ったりすることも良くあります。そういった文学作品に使われることで変化していった人物・事件のイメージの変化が今回のテーマになります。
 代表的な例で行くと歴史小説や時代小説に多いですが登場人物が実在の人物、というやつがあります。テレビの時代劇を思えば分かりやすいかと思いますが、徳川吉宗・水戸光圀・宮本武蔵…このあたりは定番といっていい登場人物です。が同時に思いっきり脚色されている人物でもあります。前二者はまあ言うまでもないですね。さすがに将軍や副将軍といえどあそこまで好き勝手なことはできません。例に挙げた宮本武蔵、イメージとなると厳しい修行の旅をする剣の道の求道者、というものが多いのではないでしょうか。現在連載されている井上雄彦の漫画「バガボンド」でもそのイメージです。この武蔵像を作り上げたのは一つの小説作品です。それが吉川英二の「宮本武蔵」です。この作品が人気になったことで現代の武蔵像がかなり固まったといわれています。
 そんな風に無色透明だったイメージが色を付けられたり、一色だったイメージが多色に増えたり。そんな後世のイメージの変化をちょっと取り上げてみたいと思います。

2.実在の人物から伝説の存在へ

 史実が元になっているが後世の脚色やフィクションのモチーフになったことで大きくイメージが変わった人物はたくさんいます。そういった人物達の中でも同じような業績を持ちながらまったく両極端な方向に変化した2人の人物がいます。片方は西ローマ帝国の終末期の軍人、片方はヨーロッパ中世の時代に大きく勢力を増すオスマン・トルコに抵抗したバルカン地方の一領主。どちらの人物も自分の所属する国や住む土地を守る為に外敵に対して奮戦し、その勇猛さから語り継がれた人物です。しかし現代に伝わる彼らの名前はまったく両極端なイメージを持たれています。
ローマ軍人の方は個人の特定はできていません。しかし彼の行動は一つのキャラクターとして語り継がれています。円卓の騎士たちの王、聖杯を捜し求めた王、岩に刺さった剣を抜きイギリスを救った王、様々な伝説と逸話を持つアーサー王がその人です。現代でも高い知名度を持ち彼の伝説に登場する魔法使いマーリン、騎士ランスロット、ギネヴィア王妃などの人物たちと共にファンタジーでお目にかかることも多い名前です。日本のRPGをやったことのある人なら聖剣エクスカリバーなんて道具を目にしたことがあるのではないでしょうか?
 アーサー王のお話の時代設定は五世紀から六世紀、ローマ帝国が滅亡に瀕している頃の時代として語られます。もっとも小道具や技術・文化の段階から考えると作中の描写には明らかにおかしい点も多く、まとめられた時代の脚色が大きかったことが分かります。しかし近年の研究によるとその伝説の始まりの部分、イギリス島に来た外敵サクソン人に攻め込まれるイギリス(当時の呼び方はブリタニア)を守った人物という点にはどうもモデルがあるようだ、というのが定説になっています。そのモデルが当時イギリス島に駐留していたローマ人の軍隊司令官であるといわれています。当時のローマ帝国はゲルマン人をはじめとする周辺の部族に侵入と略奪を繰り返され存亡の危機にありました。そしてとうとうローマ軍は各地の駐留地から本国イタリアに軍隊を引き上げてしまいます。当然イギリス島にいたローマ軍も本国への帰還が命じられます。しかしイギリス島にも蛮族は侵入しておりここで本職の軍人たちがいなくなれば後は荒されるままになるでしょう。そんな状況の中で本国への帰還命令を蹴り、イギリス島に残って住民たちと共に外敵に立ち向かったローマ人の軍団があったそうです。その行動が語り継がれ、いつしか伝説の王として現代まで残ることになったのです。
 しかしもう一方の例では外敵を追い払う為の行動が、敵のみならず味方にも恐れられ現代では恐ろしい怪物として語られることになっています。もう一方の人物の名前はブラド。彼は当時西アジアから発生し勢力を拡大し続けていたオスマン・トルコ帝国に対抗し自国ワラキアの領土を守ろうとした領主です。彼の土地は現在では中欧のバルカン地方と呼ばれる場所にあり、国土の大きさや軍の規模などでは到底オスマン帝国に敵いませんでした。そこで彼は敵に補給をさせないために自滅覚悟で自国の土地を荒らし、敵兵を残虐な方法で殺すことで士気を下げさせることを主眼に戦いました。そしてその最たる例が侵入してきた敵軍の目前に串刺しにした敵兵の死体を林のごとく並べ立てるという方法です。この光景にオスマン兵の士気は崩壊したといわれています。そしてその行動からブラド公は敵から「串刺し公」と呼ばれるようになります。この異名は現地語では「ツェペシュ」と発音します。ブラド・ツェペシュ、ホラー小説や伝奇小説ではよく出てくる名前であり、ある怪物に縁が深い人物としての役が多いです。その関係性はもう一つの彼の異名と結びついています。それは彼の父が竜を意味する「ドラクル」の異名を持っていたことから、ドラクルの子「ドラキュラ」というものです。世界中で有名なモンスター吸血鬼の中でも代名詞になっている名前です。
 そう、彼はブラム・ストーカーが書いたホラー小説「ドラキュラ」に登場する怪人ドラキュラ伯爵のモデルとなっています。ドラキュラ伯爵のモデルとなった人物は複数いたといわれますが、彼は名前が使われた点と生前の恐ろしい行為、そしてドラキュラ伯爵の住処が彼の国だったワラキア(現在のルーマニア)に設定されたことでモデルとなった恐ろしい人物として語られることになります。現在ではブラド公は国内の治安を高く保った公正な人物であり、また敵国の侵略に対して小国ながら果敢に戦った君主という評価もされています。
 しかし侵入してきた外敵に立ち向かった2人の人物がかたや騎士の鑑、かたや全世界的に有名な吸血鬼と見事に後世の見方は異なっています。そこに至るにはかなり大きな部分で小説や各地の伝承の影響があったといえるでしょう。

3.旅行記からファンタジー小説へ

 次に取り上げるのは紀行文や風土記として書かれたものがいつの間にかファンタジーになっていたものです。古代では遠距離の旅行が困難だったため外の世界はほとんど空想の世界になっていました。しかし全くの空想世界だったわけでもありません。文化文明間は現代人が思うよりもずっと交流がありました。例えば紀元前の時点でギリシャ人はヨーロッパからインドまでは陸続きであり、さらに東方にも人の住む世界があることを知っていました。これはアレキサンダー大王が東征した際の情報です。しかしギリシャからローマに時代が進むにつれ伝聞に伝聞を重ねた情報は歪んでいき、空想とも妄想ともつかない世界が出来上がります。
 このように当時の外国は現代で思うよりもずっと遠い世界でした。そのためそこを旅した人物の記録は貴重なものとなりましたが、同時にもっと派手に、もっと不思議であるべきという脚色もされやすいものでした。
前置きが長くなりましたが現代にファンタジー小説として伝わる「西遊記」、お隣の国の妖怪小説であり日本でもさらに様々な形で受け入れられているお話です。これに登場する三蔵法師こと玄奘。彼は実在の人物であり本当に中国からインド(天竺)まで仏典を得る為に徒歩で往復した人物です。余談ですが彼が女性というイメージを持たれているのは日本独自のものです。テレビドラマの配役によるイメージなのですがなぜか定着してしまったそうで。
 三蔵法師はその長い旅の間に通過した様々な国を記録として残していました。それを帰国後書物としてまとめて「大唐西域記」という名前で皇帝に報告します。これが民間で伝わるうちに当時の中国民間宗教がごった煮の如く注ぎ込まれてゆき、私たちが知る孫悟空と三蔵法師一行のファンタジーとなってゆきます。孫悟空にいたっては漫画「ドラゴンボール」のおかげで世界中にその名前だけを知られることにもなります。
 割と実際のことを書いたのに一点だけが拡大されてしまった例としては、マルコ・ポーロの「東方見聞録」や大航海時代の新大陸の報告などでしょう。黄金の建物や美術品がある、という報告がいつの間にか「黄金の国ジパング」や「黄金境エルドラド」の伝説を生んだといわれてます。やはり伝言ゲームや噂話の尾ひれは人の話につき物ということでしょう。

4.美人?不美人?

 人物の容姿は近代以降ならば写真という手段で確認できます。また西洋画は写実的に描く技法が発達した影響で、かなりはっきり容貌を想像することができます。古代のギリシャやローマは彫像の形で残っているものもあり、体格や雰囲気まで分かる人物もいます(ただし、残っているものは当時の権力者が多いので美化されている可能性もありますが)。しかしわが国はデフォルメというか様式的というか、まあそこまで写実的な方向には技術が向かいませんでした。もっともこれは日本だけでもないのできっちりありのままに描く、という方向のほうが珍しいのかもしれません。美術史は門外漢なのでなんともいえませんが。
とはいえ既に死んだ人物たちの姿を直接見れない以上、歴史人物の容姿は絶対に確定できないといえます。ところが後世のフィクションの中で美男美女として認識されている人物はかなりいます。代表例では新撰組の沖田総司や源氏の源義経、女性ならばクレオパトラが挙げられます。男性陣はどちらもドラマの配役を考えれば納得できるかと、NHK大河ドラマでは沖田総司は藤原竜也、義経は滝沢秀明です。クレオパトラはまあ説明不要の美人の例でもありますね。
 ところが今挙げたお三方、実は全員同時代かその付近の時代の人間による容姿の描写が残っています。面白いことに三人とも美しいという描写はなされていないんですね。沖田は良く笑う明るい人物だったといわれてますが、現代のイメージにあるような病身の美少年という話は出てません。義経も敵方から彼を見分ける特徴として挙げられているのは非常に体格が小さいことです。クレオパトラも美点として挙げられているのは頭の良さや声の美しさ、心遣いなどで美人であることを強調する同時代の資料はありません。
 このように格別描写は無いのにいつの間にか付与される「美形」というイメージ。これはやはり物語のヒーロー・ヒロインには美しく・格好良くあって欲しいという世界共通の願望のなせるところといえます。

5.まとめ

 イメージという言葉は先入観とも言い換えられます。先入観というとあまり良い印象の言葉ではないですが、大なり小なり様々なことに付いて回るものでもあります。特に現代では情報の入手が容易いことから先入観もまた持ち易くなっているといえるでしょう。何かを調べるにあたって予断を持つことはなかなか危険なことでもあります。
 ただし個人的に物事を知るならば先にある普遍的なイメージも悪いものではないかと個人的には思っています。先に予断があるからこそ、思いも寄らない情報に驚くことができるというものです。自分や世間の常識とのそういったギャップを楽しむのも一つの楽しみ方かなと思います。なにせ情報は日々変化します。教科書の内容だって自分の頃とは相当変わっていますしね。
 探すものや探す目的にもよりますが物事は時代時代で千変万化していたことを感じていただけたのなら書いた意味もあったかなと思います。そして個人の楽しみや仕事上での注意に使っていただけたら嬉しいです。


参考資料
『ドラキュラ公』篠田真由美/講談社・1994:Xシノ 文庫(中央所蔵)
『新撰組始末記 改訂版』子母沢寛/中央公論社・1996:Xシモ 文庫(中央所蔵)
『岩波西洋人名辞典』岩波書店編集部/岩波書店・1981:283/イ 参考図書(中央所蔵)
『中世騎士物語』T・ブルフィンチ/岩波書店・1942 B/F3/ブル(富ヶ谷所蔵)