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臨川小学校の歴史

2013年10月15日 | 地域

臨川小学校の歴史

  

 

「臨川みんなの図書館」は臨川小学校の改築の際、その一部を図書館にしたのでその名がついた事はご存知の方も多いことでしょう。今回はその臨川小学校についてご紹介したいと思います。

 臨川小学校はとても歴史のある学校で、創立は明治10年(西暦1877年)12月で初めは祥雲寺の部屋を借り、翌年の5月にやっと

草葺き屋根の校舎ができました。教室は4つ先生が3人、児童数は96人でした。

 最初は「臨川学校」という名前でした。「臨川」という名前は、高い所から渋谷川を見おろすという意味でつけられたといわれていますが、祥雲寺が臨済宗のお寺だったことから、その「臨」の字をとってつけたともいわれています。

 開校当初の校舎平面図

 

明治の中頃になると、新しく家を建てて移り住む人が増え、児童数も多くなりました。そのため何回も増改築をしてだんだん大きな学校になっていきました。しかし明治44年には児童数が1800人余りとなったため、翌45年に臨川第二小学校(現在の長谷戸小学校)ができて約750人が、大正3年には広尾小学校ができて約700人が、大正5年には猿楽小学校ができて約20人が、大正8年には加計塚小学校ができて約160人が、大正14年には常磐松小学校ができて約25人が移っていきました。それでも創立50周年の頃には1200人以上の児童がいました。

                 

       創立50周年記念誌                                                       創立50周年の時の校舎平面図

 

 昭和5年に制定された校旗

そのため、校地を広げて校舎を建て直したり、プールを作ったりしましたが、昭和16年に始まった太平洋戦争の空襲で校舎は全部焼けてしまいました。

 しかし、昭和21年には祥雲寺を借りて授業を再開し、翌年の開校70周年には渋谷区立臨川小学校と改称し、校舎を建て直しました。児童数は600人、二部授業でしたが、7年の歳月をかけて児童全員が勉強できる校舎となるよう、再び増築を繰り返し、開校80周年には児童数が1000人を超え、校歌も制定されました。

 その後、木造だった校舎は鉄筋校舎に改築され(現在の校舎)に改築されたり、幼稚園ができたり、体育館・屋上プールも完成しました。昭和52年には開校100周年記念式典が盛大に行われ、50年後に開封することを約束した100周年記念のタイムカプセルを埋めました。

一体どんなものが入っているのか、50年後が楽しみですね。

    戦後改築された校舎平面図   

  80周年に制定された校歌

  

 100周年校舎全景

 それから35年の間にパソコンルームやふれあいルームなどができ、平成5年に校庭の裏庭に作られたほたる池では、毎年5月末から6月にかけてほたるのまばゆい光に酔いしれることができます。

 現在の児童数は142人です(平成24年4月時点)。区内で1番最初にできた渋谷小学校が平成9年に大向小学校・大和田小学校と統合したため、今では臨川みんなの図書館は区内で1番古い小学校になりました。これからも統廃合することなく、歴史を刻んでいってほしいと思います。

 

参考文献・掲載写真

 「臨川」創立百周年記念副読本 臨川みんなの図書館所蔵 (館内)

 「臨川」創立120周年記念誌  臨川みんなの図書館所蔵 (館内)

 「臨川」創立130周年記念誌  臨川みんなの図書館所蔵 (館内)

  渋谷区立臨川小学校ホームページ URL  home.u00.itscom.net/rinsen/


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