「秘すれば花」 (世阿弥)
今から600年前の芸能論です。芸能論としての枠にとどまらず、芸術論、人としての生き方まで考えさせられる奥深い書です。もともと秘伝書として、これを伝えることのできたのは、一家に一人。たとえ実子であっても、才能や志のないものには一見することすら許されなかった秘伝書を今日、見たい者が誰でも手にとることができるというのは なんとすばらしいことなのでしょうか? 能というパフォーミングアートはその時、その場でしか存在することのできない、一瞬のもの。その一瞬で、演じる側が見るものを魅了し、感動を呼び覚ますことが「花」という言葉で表わされています。少しでも芸事に関わった人なら、見るものをはっとさせたり、その心に深くしみ入ることの喜びがおわかりになるかと思います。
実は「風姿花伝」は はるか昔大学の授業で課題図書でした。随所に印象が深い部分があったのですが、その時には原文だったので苦労して読んだ思い出がありました。しかしこの本は、本当にすらすら読める! 最初に口語訳を読んでおけば、原文も味わい深く読めます♩ 日本の素晴らしい古典を気軽に鑑賞できるという点で、本当におすすめです。
「風姿花伝」は七篇にわたり、いかに花を体得するかを、能に命をかけた「世阿弥」が言葉を尽くし、情熱をかけて語っています。美しい姿や声、若々しくしなやかな肉体、しなやかな動きには「花」が咲きます。しかしこれらは「時分の花」であり、時とともに失せてしまう「花」でもあります。「花」を咲かせるために、厳しく正しい稽古を積み、柔軟な思考で貪欲に芸に邁進すること。芸の技を学び、錬磨し、幅広い芸域と熟練した演技力、多くの得意曲を持つこと。さらにその蓄積したもののすべてをいつでも表現できるように保つことが「まことの花」につながると言っています。またそうした努力や鍛錬を見るものに感じさせることなく、意外なところで見せることで、観客に驚きと感動を与えるというのが「秘すれば花」の極意だと世阿弥は語っています。
六世紀以上も前に書かれた本ですが、これって芸能論という枠を超えて、今でも生き方として充分に通用しませんか?
誰も想像し得なかったことを、さらりとできるということは、その人の、新しさ、意外さを演出でき、新鮮な感じでその人の引き出しの多さや奥深さを感じさせます。
父観阿弥の築いた能の世界を芸術にまで高めた世阿弥。彼の能への情熱が時を超えてひしひしと伝わってきて、私に最初に立ち返るやる気と勇気をくれた本です。
初心忘れるべからず(世阿弥)
「すらすら読める風姿花伝」 林 望 著 講談社 ISBN 978-4062117959
773/ハ 中央・西原・富ヶ谷・臨川 所蔵