北関東ばんがいち

ネットの極地に住む、ダメ大学生が日常と社会を淡々とつづるブログ。ネットで会ったおもろい人紹介アリ

珍妙な法律解釈

2006-05-13 19:51:51 | 社会とかそういうことについて
さて、向こうでツッコミ入れても良かったんだけど、煙管氏とほぼ解釈の
内容は被ってしまうので異なる視点からこちらではツッコミを。

まあ、アレが「かまってーかまってー」とクネクネしていたので
「気の良いサヨンボ」であるオレはエサと言うか媒介を与えたんですよ。
こんなのを

>「戦後教育(=こういう場合日教組と置き換えておけば大体読解できる)が
>情操教育をやらなかったのがどうのこうの」とかおっしゃってますが、
>全国有数のいじめ件数を誇る栃木県には
> 日 教 組 三 人 し か い ま せ ん
>あと、学力も低いです(笑)。日教組が殆どいない県として栃木や四国四県
>などがあるんだけど、だからと言って情操教育が進んでいたり学力が高い
>などの相関関係は全く見られません。むしろ組合のせいにするよりは、文科省の
>せいにした方がよっぽど整合性のある説明が出来るんですけどね。事実、文科省は
>私立大学へは口を良く出しますけど、私立小中高を統括する能力は全くないですから。
>そういう意味で公立より私立校の方が教育力が優れているのは事実でしょうね。
>情操教育にしても進学教育にしても愛国教育(笑)にしても高校以下ではかなり
>学校の裁量に任されていますから。

そうしたらアレはこう答えた。以下アレのアレな書き込み

>607 :マターリ観察人:2006/05/13(土) 08:45:38 ID:z0sQWOkA
>今度は日教組を庇うのかな?教育と言えば日教組と思い浮かべる人は多いでしょうが、
>日教組だけではない、戦後民主主義教育全般に問題があると思いますよ、一組織のせいにのみ
>還元される問題ではないでしょう。ただし、教育の問題は正直深く論考したことはありません、
>全くの門外漢ですので言及は避けたいのですが、一つだけ言うと、戦後は基本的人権の尊重が
>憲法の三本柱の一つになっていたわけですが、その概念は「あらゆる個人(人間そのもの)は尊く、
>その権利は保障されなければならない」ですが、この前段には注意符がつけられねばなりません。
>「理性と良識を尊び、多彩な価値観を身に付けた(或いは付けようとする)個人」が尊ばれるのであって
>「犯罪を犯そうが他者に迷惑をかけようが何をしようがあらゆる個人は尊い」のではないのですね。
>ここに一種の誤解と言うか失敗があった、とは思っていますね。

ええとちょっとでも大学レベルで法律系の授業を取ったことがある人間なら
吹き出すようなことを書いていますコイツ。多分、彼の脳内にある日本国憲法には
「公共の福祉」という文言はきれいすっぱり抜けていてかなりアナーキーなことが
その代わりに書いてあるのでしょう。

それにしても
>「理性と良識を尊び、多彩な価値観を身に付けた(或いは付けようとする)個人」
↑この部分にアレの非常に歪んだ意識が見え隠れしている気がするのは気のせい
でしょうか。あの大日本帝国憲法でさえ「朕が許す範囲でお主等は何をやっても
いいぞよ」と条件付きの「公共の福祉」の元、自由が認められていたと言うのに
(だから、大日本帝国憲法は一条から読み下すと絶対王政寄りに解釈でき、最後の
条文から読み下すと象徴君主寄りに解釈できると書いてある本もある)アレの
要求していることははっきり言って大日本帝国憲法よりも後退した憲法を要求
しているんだが本人は分かっているんだろうか?

アレが要求していることって結局は良く言えば「超人思想」、悪く言えば
「身分制度」なんですよ。要するにアレは
>「理性と良識を尊び、多彩な価値観を身に付けた(或いは付けようとする)個人」
以外には自由を制限するという「公共の福祉」よりも更に踏み込んだ領域に
突っ込んでるワケですから。
ウチの大学に例のタカ派の憲法学者(オレから言わせれば、彼もまた「教育への
復讐者」以外の何者でもないんだけど)がいるけど、彼だってそこまでは
言ってませんよ。まあ、普通に政府の権限を強化すれば充分な話だしね。
それなのに共産圏の国家でさえやっていない「身分制じみた権利の制限」を
法律へ組み込もうとするアレっていうのは本当に愚かなのか根っからの
差別主義者なのか無知なのか「ボクチン特別」という自意識に支配されて
いるのかは分かりませんが、少なくともコイツが社会から隔離されている
とおぼしきことを素直に喜ぼうと思います。

「公共の福祉」で十二分に制限できること(むしろ、小林よしのりが言う
ところの『公』とは、『公共の福祉の再興』とも取れる部分があるしな)
なのに、それを踏み越えて「超人」を要求する男、しかし、彼は恐らく
「そのような社会」では超人になれないだろう。彼は、自分の夢によって
今まで維持してきたプライドも身分も生活も全て失う、『必然的な敗北者』
であるのだ。オレはこのこと(要するに自分の言ったこと、やったことが
まず自分に突き刺さること)を「ブーメラン」と呼びたい。

しっかし、まず最大限自由なり権利を認めておいてそこに「公共の福祉」
なり「朕の思し召し」なり網をかけていく方法の方がよほど合理的
なのに、アレは何故「事前に自由の範囲を決めて個人の資質によって
裁量権を拡大させる」方を望むんだろうか。前者ならせいぜい規制をする
としたら『法律』によってしか規制できないのに、後者なら『時の
権力者によっていくらでも恣意的な運用が出来る』んだが。
もし、そうなったとしてアレが思うような人間がアレに思い通りの
権力をくれるとは限らないんだがな。アレの敵対勢力(極端なことを
言ってしまえばオレのようなアレの類を嫌う権力者)や、アレの
味方のフリをして、アレを利用するだけ利用して使い捨てるような
ヤツが絶対でないなんて保証はないんだがなあ。

とりあえずアレよ、お前は本当に高等教育を受けたことがありますか?