北関東ばんがいち

ネットの極地に住む、ダメ大学生が日常と社会を淡々とつづるブログ。ネットで会ったおもろい人紹介アリ

ようやく

2006-01-26 09:35:12 | 日記
進級論文が提出できそうです。苦節一ヶ月、何とか教授に
「まー、これでええわ」とOK貰って、後は図表をなんとかすれば
締め切り前に出せます。まあ、締め切り日が思いっきり入社試験と
バッティングしているので早めに出さなければいけないんだけどね。

それはともかくジバクちゃんの日記を久々に見たら、ファー様は
もうどうでもいいとしてもヴァルキリーの人も元気なようで。

それにしても彼の言うことが事実ならば、オレに比べてヴァルキリー
の人は大学も良く成績も良かったみたいだけど、それも今となっては
全く意味のない状況になってしまわれているのは
なんででせうね
。まあ、あえて言わないけど。
それにしてもなーんかね、彼については薄々というかかなり
克明に脳裏に大学生活がイマジンできてしまうのが自分としても
微妙な心境だったりもしますけど。

きっと、彼は大学入って早々教授にブシャブシャ喧嘩売りに行った
だろうとか、大学時代友人がいなかっただろうとか、ゼミは最初は
入っていたが教授に喧嘩を売ってゼミを無理矢理辞めさせられただろう
とかそんな空気をビンビンに彼から感じてしまうのでスが。

実際、ゼミで教授に全否定され「かんしゃくおこす!!111!」で
そのまま義理で単位貰って卒業したコヴァの知り合いいるからなあ。
それこそ「教授はサヨンボ!サヨンボは志ねですつ!うぽぽおおお~」
とかいうお電話がそいつとオレの共通の友人にはかかってきたようだし。
ヴァルキリーの人からはそんな雰囲気が漂っている。なんとなくだけど

まあね、ネットで清談(皮肉)に耽ることも、真面目に社会生活送っている
人には必要な面はあるとは思うんですよ。普通に社会人として生きている
ならば特にね。でもね、やっぱり自己矛盾とか言われそうだけど、それが
どんな内容的には稚拙でもリアルで話し合うことにはやっぱり負けると
最近思うようになってきたのよ。オレも。
あくまでもネットっていうのは「世の中には多様な価値観を持つ人間がいて、
そいつらと容易に出会う」ための道具でしかないんだよね。そこに本質が
あるんじゃなくてあくまでも「道具(ツール)」。その道具になんらかの
意味があったり意図があるワケじゃないってことを感じ取らないと。

実はウチのゼミ、辛い辛い進級論文書きの他に、前期にはゼミレジュメ
発表の後一時間程度自由にテーマ設けて討論する時間があって、
盛り上がると普通に一時間半ぐらいやらかして四時に始まったゼミが
七時半に終わるなんてことがザラだったんだけど、そんなかで自由に
話し合っていくと普通の人の普通の意見が愛おしくて
しょうがなく感じられた
自分が居たりして。
いや、あんなとこいるとやっぱりそれこそ、ある意味朝日新聞的とすら
言えるような戦後民主主義的な意見は全て何らかの陰謀の上に
成り立っているというような妄想に駆られてしまったりもするけど
そういう「戦後生まれ日本人のごく一般的な心証」じみたものを
それこそ「隣にいる普通の大学生」みたいなヤツから聞くと、それは
それで結構感動的であったりする。まあ、思想的にスレちゃってる
からそういう感想を持つのかもしれないけど、そういう「一般庶民」の
感覚って言うのも2ch辺りに慣れちゃうとすごく新鮮だったりするからね。
まあ、そういう話をする機会が高校以前ではほとんど無いというのも
事実だけどさ。

なんとなく、これがリアリティの恢復なのかなあとか思ったり、
もし仮にヴァルキリーの人がオレより良い大学を出たとしても
そういう機会に恵まれなかったことはやはり悲惨な人生だったと位置
づけてもいいんじゃないかなあとか思ったりして。

いや、実際ね、それこそ草の根的保守団体に巻き込まれてみたり、
プロ市民の人とやり合ってみたり、コヴァ化した友人が次々とニート化
して人生の泥沼にはまりこんでいくのを高校の時から足かけ8年ぐらい
見つめているとそういうバカ正直に「普通の良い子」が素晴らしい存在に
思えてくるのよ。本当に一度で良いからさ、あのスレの人には「実際、
どうなのか」というのを左右問わず見せてみたいオレがいたりするんだよねえ。
今の大学で出会ったNなんて壮絶なものがあるからなあ。多分、コヴァ板の
人が想像する「ソレ」とほぼ寸分変わりません。性癖は知らんけど。

それにしてもやっぱこれコピペされるんだろうなw
まあ、ヴァルキリーの人には「もっと香ばしいコンテンツがここにあるよ」
とだけは教えておきませう。
まあ、ヴァルキリーの人はプロ無能だから
絶対に見つけられないだろうけどね