平和のつくりかた

「戦争のつくりかた」という絵本を読み(今の平和を守るためには、何かをしなければ!)とこのブログを始めることにした。 

「フェアトレードの時代」(長尾弥生:著)から学ぶ

2019年01月20日 16時29分17秒 | 平和のつくりかた(フェアトレード)
   フェアトレードについて、実例がたくさん載っている「フェアトレードの時代」という本を読んでみた。
   フェアトレードについて、少し見えてきた。そこで、ここに文字化して皆さんと共有してみたい。

  * 「フェアトレードの時代」を読み進め、その中の内容を紹介しながら、そこに私の感じたことも入れて書いていくので、本とは少し違う表現も入ってしまうことをご了承ください。

  ・ 「安い」ってなんだかうれしい。でも、「こんなに安くて大丈夫?」と思うことはないだろうか?

    「安い」と思った商品の表示に中国、インド、バングラデッシュ、ベトナム・・・などの発展途上国の名前が入っている。途上国では、日本に比べてずっと安い賃金で働いている人がいるから、たくさんのものを安く作れるのだ。

     安いことは悪いことではない。でも、それが厳しい労働条件のもとで働いた人が作った商品だったら・・・「安くてラッキー!」と考えていいのだろうか。

     資本主義のビジネスでは、企業の目的は利益を生むことだ。儲けを大きくするには、安い原料で安く作れるのが1番。世界中にネットワークが広がった今、世界のあちこちで物が作られ、貿易も盛んだ。昔と違って機械や農薬の進歩で大量の食品が作られ、保存技術の向上で長く商品を保存でき遠くまで運べるようになった。
  
     豊かで便利になったように見えて、でもその豊かさが1部の人にとってはむしろ生活を苦しくするものだったらどうだろう。そこに生まれたのが、「フェアトレード」だ。
 
     フェア(公正)な貿易で、同じ地球に住む、生産者も幸せになれる貿易のやり方。実は、消費者のためにも、生産者が安全で良質なものを手に入れる有効な手段にもなりうる貿易がフェアトレードだ。生産者が健康を害するような薬品や農薬を使わないのは、消費者にもいいことなのだ。
    
     
   ・ フェアに取引するには、どうしたらいいの?

      生産コストや将来への投資分を考えられる価格を支払う。市場の情報や資金へのアクセスを可能にし、長期的な生産計画が立てられるように、生産者に長期取引を保障する。途上国の特に弱い立場の人や、小さな生産者たち、貿易拠点から離れている人たちに注目していく。

      今は、消費する側が強い影響をもっているけれど、フェアトレードで生産側が消費する側に向かって行動を起こせる流れを作る。フェアトレードは、消費者である私たちが買う時にモノの背後にある人や社会を考えようというところからスタートしている。

まとめてみると・・・
  ・ 顔の見える貿易 
      
      個人対個人の取引は難しいので、実際の取引は、生産者たちで構成される生産者組合や、団体をまとめるNGO法人との取引が多いが、メリットを享受したら、生産者が暮らす地域全体がよくなるようにと考えるのがフェアトレード。生産者の暮らす地域が向上して、それが生産者たちの手で維持されていくように目標が立てられる。地域で病院や学校、技術研修もできるように。
      大事なのは、顔が見える。生産者の様子を消費者が知ることができること。
       *生産者と消費者の間に、NGO法人や、団体や、フェアトレードショップは当然ながら入るが、情報を共有できる距離感が近いこと。

  ・ 環境にも配慮

      「持続可能」を目標にしているので、短期で大量生産とかで環境を破壊することのないように、土壌や健康に配慮し、農薬や肥料についても過度に使わない。

  ・ 認証の問題
  
      フェアトレード商品の普及のために、国際基準を作ってFLOの認証があれば「フェアトレード・ラベル」を貼れるようにした。
      ただ、ラベルを管理するためのコストや体制の問題もあり、経済的に苦しい生産者にはコスト面や書類作成がむずかしいといった声もでている。スーパーでの大量なフェアトレード商品の流通とかが、小さな専門店などの営業を危うくする・・・でも、フェアトレードの普及を進めるメリットもある。

      大きな企業では、2002年スターバックスが日本で初めてフェアトレードコーヒーを販売。2003年にイオンが続いた。  *イオンのフェアトレードについては、このブログのココで紹介したように、一人のお客さんの声から始まったという話が印象に残る。

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  さて、ここからは具体例です。

  ・一橋大学 ラポンテの2003年から始まった「まちづくり」というオリジナル実践型授業から生まれた、学生が始めたチョコレートのフェアトレード。
   国立市制40周年の記念チョコとしてフェアトレードのチョコを作った(2007年)

  ・NGO シャプラニール 1974年からフェアトレードに取り組む バングラデッシュで女性対象の手工芸品の生産活動を支援のため、フェアトレードを始めた。ネパールにも取り組みを広げて、「手工芸を通じて、作り手と買い手がつながり、笑顔になれる」の思いを込めて「クラフトリンク」と呼ぶ活動で、今はインターネット楽天市場でも販売。

  ・第3世界ショップ 生産者の顔が見えない既存貿易に対して、対案(オルタナティブ)として、フェアトレードを推進した。コーヒーから、カレーペーストの「カレーのツボ」販売など。日本のカレールーの文化を自国に逆に持ち帰り工場を作ったマリオさんから買う。

  ・オルター・トレード・ジャパン フィリピンのネグロス島の砂糖、バラゴンバナナを扱う民衆交易機関として、生協や、生活クラブの出資を受けたりしつつ設立。生産者と消費者が顔を合わせる貿易。

  ・ ピープルツリー
 フェアトレードだから買うというだけでなく、「かわいいから買ったらフェアトレードだった」とフェアトレードの認知を広めていく。自由が丘や表参道に店を持ち、有名デザイナーのデザインの服を、現地に行って指導をしながら作っている。生産者の技術向上や働く環境支援もしている。

  ・ ネパリパザーロ ネパールに学校を作って支援しようとしたが、学校に通えない子の現実を知り、親の就労を考えてフェアトレードを始める。教育を受けたことのない生産者に教えるのは大変だが、長い時間をかけ手工芸品や日本伝統の紙布服の生産まで取り組んでいる。小規模生産にこだわって、顔と顔が見える関係を続ける。
    「ひとりひとりが世界を意識する。そのわが広がれば、世界を変える力にもなるはず。同じ地球に暮らす者同士、これからは助け合っていく時代だと、感じている」(代表、土屋春代さん)

  ・ぐらするーつ 最初は、手織りや手刺繍など手工芸品を直接取引してスタートしたが、「売りたいけれど仕入れられない」との声に、卸しをする中で、他のフェアトレード団体のを中継ぎしたりし、やがて様々なフェアトレード団体からまとめて仕入れて全国のショップに卸すようになった。大きなスーパーのフェアトレード販売については、認知を広げてもらう意義を評価。小さなフェアトレードショップは、それとは違う、地域の活性化にもつながる「フェアトレードの魅力は顔が見える生産者のストーリーが聞ける」専門店としての魅力を広げていけば十分生き残っていけると考える。300店と関係をもっている。

   スイマセン。これ、最後まで追っていくとこの倍以上の量になりそうなので、ここらで止めにします。後は、本で読んでみてください。

   でも、最後にスローウォーターカフェの方が、自分たちの活動のたとえに使っているハチドリの話だけはお伝えしたいと思います。

   アマゾンに伝わる神話で、アマゾンの森が燃えた時、強い動物は我先にと逃げたのに、小さいハチドリだけはそこに残って、くちばしに1滴ずつ水を含んでは、飛んで燃えている森に水をかけた、というのです。
 それを見て、「そんなことをして、森の火が消えると思っているのか?」と笑うモノに、小さなハチドリは「私は、私に出来ることをしているの」と答えたというのです。 さあ、私たち1人1人には何ができるのでしょう。


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   読み進んで、フェアトレードについて、分かったこと、大切にされていることを最後に書き留めておきます。

   売り手の生活も、自分の生活のように大切と思える感性を大切にし、互いに持続可能な生活ができるように配慮できること。高いけれど、寄付のような気持ちで消費者が買うのでなく、良質で、消費者に愛されるもの、胸を張って売れるものを生産者も作ること。

   本来は、すべての商品が作り手の心がこもったモノであったはず。でも、今は生産者と消費者の間の距離や、流通ルートが長く離れていて、自分がほしいと思った商品が、地球環境を破壊したり、他人を犠牲にしてできたものであっても自分の目には見えない。

   市場にはいろいろな品物が溢れている。その中で、私たちは商品を選択できる。生産者も幸せに生きられる。効率を重視した貿易とは違う「もう一つ」の貿易のカタチを示して、消費者の選択肢を広げたフェアトレード。この貿易が力を得てきたら、世界は変わるかもしれない。

   確実に、その道は世界の人々がお互いの命や生活を尊重し、仲良く平和に暮らせる世の中へと続く道だろう。

   フェアトレード、少しずつ分かってきましたね。
   ちょっと高めだけれど、私自身は生活クラブで食品を買っています。地産地消も含めて、作り手の話を聞きながら会員の代表が消費者と生産者の双方の立場を大切にしながら選んだり開発してきた商品が売られています。
    
   買い物の選択肢の中に、今日からでもフェアトレード製品を入れてみませんか?何事も、まずは小さな一歩から!
    

コーヒーを通してみた「フェアトレード」(清田和之)

2019年01月11日 22時40分53秒 | 平和のつくりかた(フェアトレード)
   フェアトレードについても書きたいと思いながら、なかなか機会がなく、ずっとフェアトレードのカテゴリーの記事が1つだったのが気にかかっていた。ちょっと、ここで、気合を入れて、少しフェアトレードについても記事を増やしていきたいと思う。

   まずは、フェアトレードを始めた実体験に基づいた清田和之さんの「コーヒーを通して見た『フェアトレード』」からえられた情報を共有したい。
 
   1946年生まれの清田さんは、幼稚園の運営の傍ら有機無農薬専門のコーヒー販売店を経営。コーヒーの農園や生産者の視察として、ブラジルに友人も住んでいたのでガイドを頼んで訪れた。1997年のことだ。市場価格と、現地のコーヒーの価格のあまりの格差に驚き、コーヒーの生産者たちの貧しさに問題を感じた。それが清田さんのフェアトレードにつながるスタートとなったようだ。

   5年後の2002年に再びブラジルを訪ねるが、この年コーヒーは世界的にコーヒー豆の値段が大暴落、7分の1にもなったと言われ、生産者の苦境を目の当たりにすることになる。

   ミナスジェライス州南部のポッソフンドという有機農法で小規模でコーヒー生産しているところを見学。自分では彼らの暴落に見舞われた苦境を助ける術がないが、彼ら自身から「フェアトレードをしてもらえないか」と希望されたことから、逆にそれまでの貿易が公平といえない実態であることに気付かされ、「フェアトレード」というワードを覚えて帰国した。

   そして、2004年に再び同地を訪れると、驚いたことにその村の生活は非常に改善されていた。
   前回の訪問後2002年2003年とドイツのフェアトレード団体が良い値段で豆を買ってくれ、さらに先の生産買取の約束もしてくれた話を村人から聞く。村人たちの生産意欲は向上しており、人々の笑顔があった。教育にお金を回そうとか、未来をも見つめる力のある明るい顔がそこにあった。そして、実はこのフェアトレードの実現には、そこより大きい中規模コーヒー農園主の有機栽培法の指導や助けがあったことを知った。
    
   訪ねたその中規模農園では、15歳以下の子供の労働を禁止、労働者の子どもにも教育の配慮をしていることも知る。そして、その農園主から、「フェアトレードは、小さな農園にこそ必要と応援している」と聞かされ、自分の利益だけでなく、困っている隣人を助けようとする姿勢に大いに学んだ。ブラジルにこのような篤農家が他にもいるかは不明だが、この篤農家の言葉が心に残り

   フェアトレードは単に適正な取引で小規模な生産者を支援するだけでなく児童労働の禁止や男女の性別による待遇差別も禁じる。
   フェアトレードの根本は「働く人の権利を守ること」なのだと学んだという。

   ブラジルから帰った2002年に「日本フェアトレード員会」を熊本市で立ち上げ、経営するコーヒー店でフェアトレード商品の販売を始めた著者は、やがて紅茶の生産国とばかり思っていたスリランカ(昔のセイロン)に昔コーヒー貿易が盛んだった話を耳にする。
   そして、どうにかまだそのコーヒーが残っていないかと、スリランカを訪ね歩くことになる。

   コーヒーには、アラビカ種、ロブスタ種、リベルカ種と3種ある。ロブスタ種はインスタントコーヒー用で、訪ね歩いた最初はこのロブスタ種のコーヒー栽培ばかり。その内に、飲料コーヒー用のアラビカ種は高地で栽培されるものだと気づいて、行くのには不便で大変だが高地を訪ねるようになる。

   アラビカ種のコーヒーを栽培している村をやがて見つけるが、そこは高地で交通の便も悪い場所。小規模で貧しい農民が多く、お金もないので肥料も農薬も使わず、腐葉土による有機栽培でコーヒーを作っていた。
   有機栽培の品を求めていた清田さんにとっては、もってこいの豆と思えた。そのパプカンダの農民と、コーヒーを買い取る約束をした。だが、作ってもらったコーヒーは彼の思ったようなものではなく、がっかり。農民の生産意欲は低く、青い実ではなく実が赤くなってから収穫してと頼んだのに、赤いのはサルが持って行ってしまったとかで「欠点豆」ばかり。製品としては使えないコーヒーだった。

   他の村も訪ねてみたが、ある村で村人を集めて
   ・ブラジルから輸入したきれいな生豆
   ・焙煎した豆
   ・一杯ずつカップで入れられるドリップパックのコーヒー

   を用意して、集会をする。
   市場で要求される品質を、生豆をみせて村人に知ってもらおうとしたのだ。
   だが、カップで飲む最高級のオーガニックコーヒーに農民たちは集まった。美味しいコーヒーを味わったことが、彼らにはなかったようだ。

   本格的に腰を据えてやるには資金が枯渇してきて、JICAの協力をお願いして、開発援助活動費をもらえることになり、技術協力も得られるようになった。そこで、2007年に、ラヴァナゴダ村というところで、164世帯580人の小農民集落でプロジェクトをスタートさせた。

   2007年から2010年に1000万円の資金を得られることになり、豆を乾燥させる機会を入れ、豆の選別などもできる小屋(工場)も作ることができた。

   コーヒー業界は寡占で4社くらいが世界を市場の4割を握り、相場を動かしていた。コーヒーの豆を買うのには、会社が巨大であるために、農園で働いている人間が1日1ドルにも満たない収入であることを考えることもないのだろう。(大会社は直接生産者に触れ、「生産者の生活」について考えるという、そういう思考回路はない。利益と消費者しか見えないでコストを考える。)

   あるレポートでは、生産者価格1.54ドルが、小売りでは26.40ドル。焙煎、加工、流通の経費は掛かるだろうが、儲けが多すぎて、コーヒーがおいしい飲み物だと、生産者は飲み方すら知らずに労働してコーヒーを作っている現実がある。

  フェアトレードの認証があれば、フェアトレードかという問題について。
  日本でフェアトレードの紅茶として販売されているスリランカのスタッセン紅茶は、巨大な農園で、スリランカ最大手。貧困国の中でも貧困でもっとも困っている中小の農園を支援するはずのフェアトレード。たくさんある中の1つとしてそうしたフェアトレード品を売り買いするだけでフェアトレードと言えるのか。生産地の実情を目で見て、話を聞いて現地と実際にトレードして日本に流通する直接の「顔と顔」で互いが理解しあって交流することが本当のフェアトレードと清田さんは、考える。

  「顔が見え、心と心が通い合う。そんな交流があれば、世界にあるいろんな問題も解決していく。『ほんとうのフェアトレード』の実践は、そんな希望を秘めている

   JICAの援助は2010年に終わってしまった。まだまだ買い支えて豆を買っても、日本で売れて収益を上げるレベルに達していなかったスリランカのコーヒー。もう軌道にのったと思われたのか、援助が打ち切られてしまったことで、もう、止める潮時かと思う時もあったそうだ。

   だが、コーヒーには裏と表があること。「消費国での顔」と「生産国での顔」と。その裏の顔を知ってしまった自分には「たかがコーヒー、されどコーヒー」。生産者から、強く「フェアトレード」が求められているということ、山岳部での貧困の現実を知ってしまったことから、清田さんは頑張り続けることになる。

   どれだけ儲けたかではなく、どれだけ役にたったか。それこそが、私たちの得たいもの。だから、フェアトレードの実践を諦めるわけにはいかない。

*上記の記述は、本の文をそのままコピーするのではない書き方になっているが、大切な要の記述は変更していない。

   
   さて、この本を読んで私は、去年の11月に書いた「平和のつくりかた」まとめ1とこの清田さんが進めた「フェアトレード」の道が、一致していることに心を強くした。

   やはり、平和を作るのは「自分以外の他者の苦しみや痛みを分かる」人なのだろう。同じ人間として、心と心で交流しあい、互いの役に立ち会う関係を築ける人間。そうした人たちの間には、話し合いや議論はあっても、「争い」は起こらない。
   
   また、消費するだけのコーヒーでなく、それを作るコーヒーの裏の現実を知ってしまった清田さんが、(他の人が苦しんでいる事実を知った以上、そこから手を引けない)と努力して流した汗には、「人として生きる」喜びのお返しもたくさんあったからこそ、清田さんはここまで続けてこれたのだろうと推察する。儲けるためだけに仕事をしているだけでは、絶対に得られない喜びだっただろう。

   清田さんは、あとがきで「障碍者施設の商品を紹介する情報誌を年4回作っている女性。好きでないとやれない、儲からない、そんな骨の折れる活動をしているある女性との出会いが、この本の出版につながり、編集作業も手伝ってもらった。不思議な縁だった」と言っている。
   たぶん、このような心をもって、人に役に立ちたいと歩き始めた道の途中には、同じ思いで歩く人々が楽しく交差していく人生に導かれるのだなぁ~と思えた。

   清田さんは、自分でブラジルやスリランカに行き、気付いた。そして、1歩ずつ道を切り開きながら歩いた。
   さあ、今度は「他国の人も幸せに生きる権利があり、他者の権利を尊重できる生活をすることで、私たち自身も平和で幸せな生活が送れるのだ」というフェアトレードの精神を受け取って、私たちが、私たちなりに自分のできる1歩を踏み出して歩いていこう。
   素敵な生き方だなと共感できたら、それで終わりにするのでなく。自分は何ができるのか、そこで一歩を踏み出すことこそが、平和な生活を人が送るために大切なことなのだ。
   黙って、生産者の見えないコーヒーを飲むのか、自分の生活の足元をちゃんと見て生きる努力をするのか。
   清田さんのメッセージをしっかり、一緒に受け止めてほしい。

  (他国に銃口を向ける高額兵器を買うことが自国の安全に大切)と思うか、(生産者に正当な代金を払って、安全で美味しい食品を作ってもらい、互いに幸せに暮らすことこそが大切)と考えるか。どちらが人間として正しい選択なのか。どちらが、恐ろしく無駄で危険なことなのか。
   まっすぐな心で考えれば、答えは考える時間もいらないほど簡単なはずだ。

   もし、「そんなに簡単ではない」とあなたが考えたなら、あなたの目を曇らせるものが何なのか、しっかりその正体を見つめ考えてほしい。