平和のつくりかた

「戦争のつくりかた」という絵本を読み(今の平和を守るためには、何かをしなければ!)とこのブログを始めることにした。 

「小さき者として語る平和」(福岡賢正:著)

2023年05月08日 23時51分46秒 | 平和のための勉強資料

 3年前に、福岡賢正の「小さき者たちの戦争」(南方新社)というタイトルで福岡賢正さんの本を読んだ感想を纏めて書いたことがある。

 福岡賢正さんの本からは、結局「戦争の帰結は、次の戦争となり、平和には続かない」という当たり前のことだが、案外 人が愚かにも学ぶことができないことを、いろいろな実例を挙げて解き明かしていた。

 曰く、

相手の人格を忘れて、自分の欲望を満たすようになると、人は力の感覚に酔う。

  他者の痛みや悲しみに無頓着なまま、ひたすら個々人がバラバラに自己実現を目指す。そんな「平和」では、阻害された人々が高揚感や生きがいや力の感覚を求めて、再び戦争へと導かれかねない。

  目指すべきは他者を踏み台にするのではなく、他者との感情の交流によってえられるしみじみとした幸福感を大切にする文化だ。

 そして、今回、この本の後ろに、対となっているような「小さき者として語る平和」という6人の方たちとの対談集が紹介されていたので、読んでみることにした。とてもよい本だったので、今回も概要をここに一部ではあるが、みなさんにお伝えしてみたい大切なメッセージを纏めておこうと思う。

1.児童文学翻訳家・清水眞砂子さん 『ゲド戦記』の訳者

  幼稚園や保育園で家族ごっこが成立しなくなっている戦慄の話から始る。ペットが1番子どもたちがやりたい役割。文句なしに愛されるから~。家族が機能しなくなっている。子ども抜きのフェミニズなんて嘘っぱち。ゲド戦記でもそれがでてきて嬉しかった。「戦争体験者が妬ましい」という声がある。「平和を生きぬくのも難しい」と知った。

  香月泰男さんが「黒い屍体によって、日本人は戦争の被害者意識をもつことができた。まるで、原爆以外の戦争がなかったみたいだ」と書いています。日本の加害を問い始めた時も、被害者の視点で糾弾する語り口になりがちで、加害者の小ささ、悲しさには思いが届かなかった。(加害者も苦しみを引きずって戦後を過ごした)

  「子育てが消費とイベントに振り回されてしまいがちだ~」と清水さんがいうと、知人が「消費とイベント以外で、幸せな思い出を聞かなきゃ」とアドバイスしてくれたので、学生に聞いてみたところ、覆い隠されていた何気ない親の行為の優しさを引き出せた。

  昔は、自分の子ども以外にも引き取って育てたりした例がある。人間が信じられるような暖かさ、幸せな瞬間が大事。今の学生でも、よく聞けばまだそれがある。希望はある。小さくても、弱くても人間いいなと思える、それを大事にしていけばいいのだ。日常の中に、小さな幸せを積み重ねていくのが大事。

  絶望は戦争につながる。なぜなら、戦争ほど大きな消費や大きなイベントはない。

2.教育が戦争を作る現実  元国連コソボ教育行政官・小松太郎さん

  途上国では、青年の就学率の向上が軍の強化や富国強兵に繋がるのではないか。日本の義務教育無償化は、明治33年。日清戦争の賠償金がつぎ込まれた。産業が発展し、軍は強くなって、日本は戦争を重ねていきました。小松さんには「教育と平和」という本があるけれど、現実では教育が次の戦争を作っていった。確かに、紛争地でもコソボで、教育が少数派のセルビア派が支配し、公教育をセルビア語でおこなったことで、人口の9割のアルバニア系と両民族が分かれて廊下に仕切りをつけて教育したりで、分断が生じた側面もある。民族融和はむずかしい。日本人はヒロシマの悲劇といい、米国人がヒロシマも真珠湾攻撃などを考えれば戦争を止めるのに仕方ないと、いう。相手への憎しみが戦争後は残るがそれをどう乗り越えるか。

  やってしまった過ち。それはもういい。でも、米国人には原爆が引き起こした惨劇を、日本人には中国でした残虐な行為を、「人として傷ついて、争った相手への人間的な感情を取り戻す」謝罪の気持ちを取り戻させないといけない。

  紛争を起こしたばかりの後は、本当に難しい。だから、相手を好きにならなくていい。信用できなくてもいい。相手にも生きる権利があり、社会サービスを受ける権利があるという認識を持ってもらう。最低限の権利の原則の共有をすることから、暴力を抑える。

  不平等・格差拡大などで不満があると、それをすくい上げるような民族主義を掲げる政治家が現われる。日本は、比較的に公平な社会だったから平和が続いた。民族同士の日常的な暖かい交流が大切。交流があっても、外国からきた研修生とかが負の感情を抱いて帰国するならマイナス。国というアイデンティティ以外にも、いろいろな好きなことが一緒、同じアニメを楽しんだ~など、複数のアイデンティティをもっていると、戦争に向かう時にストップがかかる。

3.合理性で切り開く戦争のない世界  社会学者 見田宗介さん

  部族間の血で血を洗う戦いを平和的に共存する社会へルールを作ろうとしたのは、紀元前600年ソロモンの改革からか?失敗するが、それが、100年後のアテネなど都市国家に通じていく。

  自分とは違う異質の他者との共存のルールの求め方。 

  アテネの民主制から100年。今度はソクラテスが処刑される。弟子のプラトンは、優れた人を排斥してしまう。だから民主制は危険とした。でも、問題は民主制ではなく、異質なものを排除する文化と見田さん。日本人には異質な人を変人と排除するところがあったが、小泉、朝青龍、だんだん寛容になってきた。

  報復は、かならず次の報復を産む。核がそこで使われたらお終い。オバマの核廃絶の動きもそこで出たもの。

  アイデンティティが人を不自由にし、アイデンティティが限定されると、人は恐ろしい行為もできてしまう。資源の囲い込みのための帝国主義やその帰結としての世界戦争。そして、起こった公害、地球環境問題。 

  異質な他者と共存するには、暴力がこの根底をこれまでは支えていたが、今は、合理性でささえられるかもしれない。衝突を避けて、共存するのが合理的だし、魅力的と恨みの連鎖を断ち切れる。

  恨みが恨みを呼ぶ果てしない連鎖。日本も江戸時代は仇討ちが横行した。そして、今は、ニュースで国内での家族、恋人、金目当て、殺人のニュースが絶えない。合理性で戦争がなくなるか・・・。信じたいけれど、多難だなぁ~とも感じる。

  合理性にそった理性的判断や、国や属性の違う他者も自分と同じ人間であり、自分と同じ人権をもつと、世界の人が共有できたら平和が訪れる。

  私見では、持続可能な世界の人がみな共に幸せに生きられる道をゴールとする、SDGs。目指すのはきっと、そこだ。この本には、SDGsの言葉はまったく登場しなかったけれど、平和に辿りつくには、その道しかない~と思った。

  グレタちゃんがいうように、人間はもう団結してみんなで地球を環境破壊から守るために、一致団結して行くしかないと、気づくべきなのだろう。

 


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