平和のつくりかた

「戦争のつくりかた」という絵本を読み(今の平和を守るためには、何かをしなければ!)とこのブログを始めることにした。 

BANKSY(バンクシー)について

2021年04月24日 23時05分32秒 | 平和のつくりかた

    前回、Broken Windows Theory について触れながら、バンクシーの芸術にまで高められた落書きが、消されることなく大事にされ、世界に様々な問題があることを問いかけてきたことについて書いた。でも、よく考えると、自分がバンクシーのことをどれほど知っているかと恥ずかしくなり、どんな絵をこれまで描いてきたか、彼の作品が掲載された本を探して読んでみることにした。

   「銃の代わりに花束を描く!”アートテロリス" バンクシーを読む」(宝島社)

    1番驚かされたのは、パレスチナの分離壁に、壁を打ち破ったかのような絵を描いたり、”The World Off Hotel" というホテルを作り、そのホテルに観光客が集まり、現地の人の雇用を産んでいること。彼が、パレスチナへの強い問題意識を持ちコミットしてきたことだ。こんな基本的なことすら知らなかった。本を読んでよかったと思った。

    他にも、石のかわりに花束を投げつける男の絵”Flower Bomber"や、銃を下ろさせられたイスラエル軍の兵士を少女が身体チェックをしている"Girl Searching Soldier" 、ロバにまで身分証チェックをするイスラエル兵を描いた"Donkey Documents",などの作品など、多くの作品が残されていることなどが分かった。初めてみる作品がいっぱいだ。ホテルの室内の作品や、ホテルで開かれた「謝罪パーティー」という劇めいた仕立てのイベントもあったようだ。ガザの破壊された壁に描かれた”Kitten"。イスラエルの監視塔に回転ブランコをつけて子どもが遊ぶ様子を描いた”Watch Tower Swing" 想像以上の素晴らしい作品に驚かされた。バンクシーとひと目でわかる作風。陰影でディテールを抜かしているのに、そのものがしっかり浮かび上がるようなその独特な描き方。美術品としても、本当に消すのがおしい素晴らしいものが多いと再認識した。

    驚いたことには、バンクシーにインタビューをしたことがある鈴木沓子さん自身が書いた「バンクシーはなぜパレスチナで書き続けるのか」という文章も掲載されていたことだ。現地の人には冷ややかにいう人もいるようだが、私はマリア=テレサの「愛の反対派憎しみでなく無関心」という言葉を思い出し、バンクシーの行いは彼のパレスチナや他の社会問題に「無関心でない」態度の表出として断然評価する。それに、彼の作品には、人々の心の中にそうした問題への「関心」を呼び起こす力があると思った。

   ”The Son of a Migrant from Syria"という作品では、シリア難民だったスティーブ・ジョブスが描かれていて、彼を受入れたことが今のアップルが世界にもたらした人類への財産に繋がっていることを、人々に思い起こさせる。以前、日本で難民問題に取り組んでいるWELgeeの代表の渡部清花さんが「難民の人もそれぞれに優れた才能をもった人なんです」と言っていたことを思い出した。難民を厄介者のように考えることの間違い。難民も自分と同じ人権を持ち、才能を持ち、未来を切り開く権利があるのだ。その視点の大切さを再認識した。

   バンクシー、私の想像以上の人でした。

   ところで、偶然ですが、今、日本でバンクシー展をやっているようだ。お近くの人は、コロナ禍でどうなっているか確認の上、実際の作品に触れてみるのもよさそうだ。きっと感じることが多いと思う。映画もあるようだし、本も他にもあるようなので、覗いてみよう。

     

    *上の画像をクリックすると、オリジナルのサイトで詳細がみられます。

   

   

       


(Broken Windows Theory)トイレの小さな花の力

2021年04月11日 20時42分02秒 | 平和のつくりかた

   今日は、珍しく自分の話を書いてみます。というのも、ちょっと嬉しいことがあったのです。実は、職場できれいに花をいつも飾って下さっていた方がいて、見るのをいつも楽しみにしていました。その方が、退職されて、自分にもできるかな?と私のフロアのトイレに小さい花瓶を置いて、大した花ではないのですが1週間に1回、自分の庭からその時の季節の花を持って行って飾るようにしました。

   どうして、トイレにしたかというと、私の職場は不特定の来客がとてもたくさん来るところだったのですが、トイレの掃除が朝1回入った後は翌日までそのままなので、トイレが汚れていることがあったのです。

    Broken Windows Theory”と言うようですが、ジュリアーニ・ニューヨーク市長が、市内の落書きや不法駐車を許さないなどを取り締まることで、大きな犯罪の減少を果たしたというのを聞いたことがありました。(軽微な犯罪を取り締まることで、凶悪犯罪を含めた犯罪を抑止できる)とするジョージ・ケリングという犯罪学者を顧問に迎えて、実践した政策だったようです。

   日本語には、「朱に交われば、赤くなる」という言葉がありますが、オセロのように、小さいコマを動かすことで、他のコマを大きく良い色に転換できる政策があるということに、ジュリアーニ市長の話でハッと気づかされ、頭の隅にずっと残っていました。

   それで、トイレに花を飾ってみることを思いつきました。冬枯れの時期は花がなく、時には花屋で100円とか200円で小さな花を買ったりもしましたが、家の小さな庭の花でほぼ絶えさせることなく続き、もう何年続いているか、結構続けています。

   出勤が他の人より遅いので、ほとんど誰にみられることなく続けて来たのですが、長くなったせいか、最近は私がやっていることを知る人が多くなったようで、先日 職場の知らない方に声をかけられて「いつも、きれいな花をありがとうございます」と言われて、驚いていると、そのお友達が「えっ、お花をいつも持ってきているのはあなただったのですか? 私、花をみて何か手伝いたくなって、洗面所がちょっと汚れていたら、ティッシュとかで拭いておいたりする気持ちになったんですよ」って言ってくれたんです。

   ただ、有難うと言うだけでなく、そこまで行動に移してくれていたなんて! こちらの方が嬉しくなって、「あなたの方が、素敵ですごいですね」って応えました。まさに、ジュリアーニ市長の話のように、小さな行為が大きな行為に移っていく手応えというのでしょうか。

   確かに、花を飾るようになって、トイレの汚れているのを見る機会が減ったような気がします。彼女のように、他の誰かも動いてくれているのかもしれません。とても幸せな気分になりました。

   ただ、ちょうどこの話をブログに書くために、ジュリアーニさんが最近悪い噂が出たりしたこともあり、彼の関連記事を読んでいたら、

「就任から5年間で犯罪の認知件数は殺人が67.5%、強盗が54.2%、婦女暴行が27.4%減少し、治安が回復した。また、中心街も活気を取り戻し、住民や観光客が戻ってきた。その反面、無実の人間が警官により射殺されるという深刻な事態も発生し、アマドゥ・ディアロ射殺事件においては大規模なデモに発展した」(ウィキペディアのココより)が目にとまりました。非武装だった黒人の市民が、白人警察官4人に射殺された事件。最近のBlack Mattersに繋がるような黒人への過激な警察官の行為をこのジュリアーニ市長の政策が引き起こしていたことは、知らなかった。 最後まで、このウィキペディアの記事を読むと、この政策で本当に犯罪が減ったかの検証も不確定要素もあると分かった。

  取り締まりとかで落書き、駐車違反を減らす。その「取り締まり」というやり方に問題があったのだろう。落書きが例えば、バンクシーの落書きだったら! そうだ、気づいたのは、私とジュリアーニの違いは、例えば 私のは「花を飾る」という人に害を与えない行為から、トイレをきれいにしようという他の人の行為に繋がったこと。そして、バンクシーでは、彼の落書きが人を不快にさせることがなかったこと。彼の描いた絵には社会風刺も強く含まれているが、彼の芸術性がその作品の品位を保ち、消すことを許さないで観光客すら集めていることだ! 

  東京にもバンクシーと思われる落書きがみつかって大騒ぎになったことがあったが、消されたりせず大事にされている。

  大事なのは、「社会に迷惑にならず、笑顔や、バンクシーの絵のようにプラスになる行為」をすることを通して、社会に良いことが広まる活動をしていくことだ。私の始めたような小さいことでもいいのだ。それぞれができることを、始めること、そして続けることだ!