平和のつくりかた

「戦争のつくりかた」という絵本を読み(今の平和を守るためには、何かをしなければ!)とこのブログを始めることにした。 

米軍を追い出したフィリピンに学ぶ

2020年08月21日 11時14分18秒 | 平和のための勉強資料

  このブログのココで、以前1948年に軍隊を廃止。軍事予算を社会福祉に充て、国民の幸福度を最大化する道を選んだコスタリカの奇跡に迫ったドキュメンタリー映画『コスタリカの奇跡 ~積極的平和国家のつくり方~』を見て、軍隊を廃止することがどういう変化をもたらすかについて書いたことがある。

  そして、今回は、やはりずっと勉強してみたいと思っていた、フィリピンについて書いてみる。

  フィリピン、同じ米軍基地があった国でありながら、米軍を自国内から追い出した国だ。ただ、確かに1995年に米比共同軍事演習が取りやめとなったものの、アメリカ軍撤収の直後から中国などの活動が活発化。フィリピンが領有権を主張する環礁を占領して建造物を構築したりしたため、1998年には「訪問米軍に関する地位協定」(VFA)が締結され、1999年には共同軍事演習を再開。アラヨ大統領時代にはクラーク・スービック両基地の再使用を承認し、アメリカの対テロ戦争にも協力。2000年半ばからマニラなどで頻発していたテロ行為に軍による掃討作戦を行うにあたって、アメリカ軍もこれに参加したという経緯もある。中国の人工島建設などを阻むために、2016年3月には、フィリピン国内に5基地を利用する協定も結んだそうだ。でも、日本とは、全然違う関係を米軍と持つフィリピン。その様子を知りたいと思った。

  今はどうかというと、2020年に入り、再度米軍をまた追い出そうとする動きも出ているようで、協定をドゥテルテ大統領が2月に米国側に破棄を通告したことで、8月に失効する予定だった。だが、フィリピンが6月に保留措置をとったことにより、両国の同盟関係の決裂はひとまず回避された状態という。

  さて、今回の勉強のために選んだのは、日本の首相とは違う対米スタンスをとり続けているドゥテルテ大統領に焦点をあてた「アメリカに喧嘩を売る国」ーフィリピン大統領 ロドリゴ・ドゥテルテ 政治手腕-(古谷経衡:著)だ。私にとっては、まとめてしっかり頭にたたき込むための作業ともなる。一緒に、何が書いてあるかざっと見て、時間のある方は、実際に読んで見て頂きたい。面白く、新鮮な視点をわたしに与えてくれた。自国以外の国の歴史をしっかり見るにはいい機会だろう。他国を知ることが、日本を知ることにもなる。

  アメリカを批判しつつ、中国から2016年には中比経済フォーラムで「軍事的にも経済的にもアメリカと決別する」と言って、公式訪問。2兆円以上の経済援助を取り付けたドゥテルテ。日本の政治家にはない手腕をもつやり手だと思えた。

  では、本から得た知識を箇条書きで並べていく。

  ・支配された苦悩の500年の歴史。日米戦争(著者は太平洋戦争、第2次大戦と呼ばずにあえてこう呼ぶ)の犠牲者が1番多かったフィリピン。フィリピンで死亡した日本兵は50万人にも上るが、その闘いに巻き込まれたフィリピン人の犠牲者は、100万人とも150万人とも言われる。   

  ・フィリピンは「米国の属国」の先輩の国。スペイン、アメリカ、日本(1942~45年)、そしてまたアメリカと500年の間、常に大国に支配され、翻弄されてきた歴史をもつフィリピン。その支配された期間は、アジアの中でも最も長いと言われる中で、一方でその「植民地支配に抵抗する精神」もずっと捨てなかった国。

  ・ドゥテルテの故郷ダバオ市を訪問した著者が、彼の市長時代の実績と偉業(なにはともあれ強硬手段でも麻薬や汚職の撲滅を成し遂げ、不正を除去した手腕)を感じ取った感想。飾り気のない質素な住まいに驚かされたようだ。彼は、強権をもち、暴君のように誤解されがちだが、決して国民から収奪するタイプの政治家ではないことが、伝えられている。

  ・スペイン、ポルトガルの収奪型植民支配にフィリピンは苦しめられた。一方、スペインから16世紀に独立をしたプロテスタント教の国であるオランダは、スペイン・ポルトガルにかわり世界の植民地を支配し始めるが、収奪した富を植民地の国内産業の育成に投資。近代資本主義国家が誕生した。さらにそこにこれを拡大させた新教国=イギリスが、登場する。

    *(日本)は、鎖国で旧教国を退け、オランダ、イギリスなど新教国のみを受入れた。カトリック化した大名などは、フィリピンのマニラに追放になり、高山右近はマニラで歓迎を受けたが、そこで1615年に死没している。(旧教国に支配収奪されたフィリピンと、新教国のみ受入れた日本との成長に明治時代初期には大きな差が生まれていた。

  ・米西戦争が会った時、フィリピンにはスペインの300年の支配から独立しようとする機運(アギナルド将軍)があった。そこで、新興国である米国側について、これを応援し独立を目指したが、その約束は反故にされ、アメリカの支配下へ移ることになった。アメリカの支配はスペインよりは収奪は低減した。だが、アメリカにとっての軍事拠点の位置づけではあった。    *(日本)は、この頃日清・日露戦争で勝利。

  ・ドゥテルテの故郷ダバオの街について アメリカ時代に日本人道路工夫が1903年にダバオに入植。工事を終わった後も、今度は未踏のジャングルの開拓へ。麻畑を広げ、入植から20年でダバオとミンダナオ島に日本人入植地を整備した。最盛期1930年代には、2万人近くになったという。 *(日本)は、徐々にアジアへ進出、さらには危険な太平洋戦争へ

  ・1935年からフィリピンに住み始めたマッカーサー。1941年日米開戦後、間を置かずに、年末には南方の油田を目当てに進軍(本間雅晴)。前記したフィリピンに住む日本人が、現地で敵国人として軟禁状態になっているのを解放する目的も当時理由にされた。 山下奉文率いるマレー部隊の勝利などで、1942年マニラ陥落、バターンでの闘い、マッカーサーが脱出して日本の支配へ。ただ、日本の「八紘一宇」の考えなどを唱えていたが、フィリピンの人にとっては理解不能で、現地では反日感情が生まれた。カトリックのフィリピン人には「天皇」よりGODが絶対の存在だった。抗日ゲリラが、米国に情報を流した。日本は、懐柔するために1943年、フィリピンの独立政府を許したが、あくまでも傀儡政権だった。1944年、マッカーサーが戻ってきてレイテ沖海戦で日米が闘いで日本は破れる。1945年日本敗れて終戦。

   その後、米軍が基地を置いていたが、1991年に「対米自立」を志向したアキノ政権が米国との軍事基地協定の批准を拒み、米軍撤退を決議。1991年のピナトゥボ山大噴火によって基地が被災したことも、米軍側の受入れ決定の後押しになったと思われる。1992年に米軍撤退。この本では2012年に一部の米軍がフィリピンに戻りだしているが、2017年時点でも、基地や米兵の姿を濃密にみることはなかったとある。日本のように、常駐基地が多数ある状態はフィリピンには今もないようだ。

   最初に書いたように、米軍に対するドゥテルテの行動は、地位協定(VFA)に不満を抱く人も多く、また追い出す動きになってはきていたが、今現在は、追い出しは保留状態になったようだ。フィリピンの上層階級が、米国植民地時代から続くフィリピン人の特権階級の子孫によって占められていること。ごく少数の大地主や資本家が富の大多数を手にしていること。経済格差などが途上国としての色彩が色濃いフィリピン。米軍との関係は、完璧に断たれているわけではないのだ。

   大戦中に日本に占領されたフィリピンではあるが、日本に対する感情は、「反共」として「同じ米軍の傘下の国」として、親米のマルコス時代に改善されたようだ。中国や韓国などの日本に対する感情とは違い、フィリピンが戦勝国側に立って闘い、勝利した一翼をになっているからか、反日感情は現在少ない。日本への「報復」を自ら闘ってしたことが、日本への感情の違いを生んでいるのではないかと著者は見ている。戦後日本人が慰霊の旅に訪れ、交流を重ねたことも手伝っているだろう。日本人が、学校建設や、いろいろな援助をしているのも、このような縁が元になっているのかもしれない。

   この本は、アメリカ100年、スペイン300年の支配と屈辱の長い歴史の中を生きたフィリピンの人の心の中を、覗かせてくれた。「フィリピンは、もう植民地ではない」そういうドゥテルテの強さには、この長い苦しい時代から自由を勝ち取ってきた民族の強さが後押ししている。決して、ドゥテルテの言いたい放題の様子から、オカシナ米大統領の行動と同列に語るようなことはできない、ということも理解できた。 民衆の支持を受けた行動であることを訴える著者の意見に賛同する。

   そして、振り返って、米軍に対しておとなしく、怒りをもっつことのない、平和ボケの日本人。いつも、抵抗しようとし、変わろうとしているフィリピンのエネルギーの魅力が語られている。「一度も他者を虐げた経験を持たない国家が、大国になったことはない。でも、もしフィリピンが、今後繁栄を続けて、日本に対抗できる大国になれば、それこそ希望の大国になるだろう」と、著者はこの本の最後に述べている。

   確かに!富を奪う国が主役の座から退き、富を奪われてきた国が今後栄え、世界の富を世界の人々が偏ることなく等しく分かち合って生きる世界が生まれてくることを私も望む。そこにこそ、きっと平和で安定した人々の生活が実現されるだろう。

   



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