*HEAVENLY SHEEP/徒然記*

管理人・伽澄綾の不定期更新日記。ただいま子育て奮闘中のため、更新鈍亀です…^^;

閖上行ってきた

2012年03月25日 01時26分27秒 | 日常
震災関連です。読むのキツい方はご遠慮ください。






今日は買い物以外に特に用事がなかったので、お休みの旦那さんと息子と仙台空港まで行ってきました。
広いしフライトシミュレーターやら展示やらで遊べるし、息子もご機嫌だしで結構楽しかったです。
お舅さんが生きてた頃は義両親が旅行のためによく来てたんだけど、当時免許持ってなかったから送迎もできず一度も来たことなかったんだよね。
復旧した姿も見たかったから。

楽しめたのは良かったけど、思うこともいっぱいありました。
実は一昨晩も昨晩もあんまり寝れなくて空港着くまでに車内で息子と寝てしまって、周辺見てなかったんですよ。
着いたら空港の駐車場入口で、凄くキレイで新しい感じでビックリして。
復旧どころか新しく建て替えたのかしらと思ったくらい。
その印象からすっかり上機嫌で空港内回ってたんですが…

屋上展望台から見た風景がすごかった。
すごく遠くまで見渡せて。
白い波が海から何度も寄せては返すのが見えて。

何度か来てる旦那さんが、防潮林もなくなった。更地を指してあのあたりは住宅が密集してた。
そんな風に言う度に改めて怖くなった。
このあたりの防潮林が津波で無くなったのは家からも見えてた。
震災後初めて、波が見える位置で確認した。
小さい頃から見慣れてるはずの波の白い色がものすごく怖かった…。

帰り道は旦那さんが記憶を辿るように「○○はこの辺だった」とカーナビの地図と照らし合わせながら沿岸を車で辿りました。
瓦礫は片付いて、本当に更地が広がるばかり。
田んぼには引かないままの水。多分海水…。
たまにぽつんとある家屋はほとんどが海側の壁はそっくり無くなり、一階が剥き出しになってる。中にはトリアージの印の大きな赤×がはっきり見えたところもあった。
農業高校の広大なグラウンドに、へしゃげた車が何百台も並んでいた。
去年の今頃にみた荒浜地区の光景を思い出して泣きそうで吐きそうになったけど、止める言葉は出なかった。
旦那さんが小さい頃から親しんだ場所も、私がお舅さんや旦那さんと行った思い出の場所も、全部跡形もなかった。
朝五時起きで行った朝市、車椅子を押して歩いた道、お舅さんのお気に入りの海鮮料理屋、浴衣を着て歩いた花火大会の会場。
どの時にも必ず見えた海以外に、何にもなかった…。

言葉が出なかった。旦那さんは気をまぎらわすためかずいぶん喋ってたけど、気持ちを表す言葉は見付からずただ、悲しい…とだけ出てた。
私以上にたくさん思い出の場所があるのだから、私よりもよっぽどショックだったろう。
お姑さんが一緒じゃなくて良かった。ショックで泣き崩れたかもしれない。

ここで生活していたはずの人たちは、本当にどれだけ辛い思いをしているんだろう…。
本当に、どんなに想像したって遠く及ばないんだと改めて思い知った気がした。

いつか、以前みたいに漁や朝市で賑わう姿が見れるだろうか。
なかなか厳しいけど…自分に出来る復興支援、もっともっと頑張らなきゃと思った。
先は長いけど…いつかお舅さんと来たみたいに、今度は息子を連れて復興した閖上に来たいな…。


まとまらなくてごめんなさい。
ただ、この気持ちが薄れないうちに言葉にして、形に残したいと思った。

写真いくつか撮ったけど、気分がのらないので上げません。
いつか復興が果たされたら、その時にまた写真撮って比較できたらいいかな…。
あの時はこうだったけど、今はこんなに賑わってるよって。言えたらいいな…。