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思いつくままに書くブログ

基本旅行記と日本ハムファイターズの事しか書きません。そして忖度なくものを言う。いいものはいい悪いのは悪いと。

三笠市 幾春別の名店 更科食堂のもりそばと天丼を食べる

2022-04-13 06:24:26 | 2022年の旅行記(国内旅行)
幌内を出て幾春別へ向かう。



道路も途中で付け替えなどがされていて走りやすくなっている。国道452号線経由で札幌と富良野の最短ルートでもあるので大型車が結構走ります。2000年と01年夏休みに限って三笠経由の高速ふらの号が走ったこともある。



この道路も付け替えされてからすっかり寂しくなったものだ。そもそも歩いている人を見かけない。



やってきました更科食堂!とくに駐車場はないので店の周囲に路駐しますが車の数が多い、実はまだ11時半過ぎで早めに来たつもりだったがそんなこともないようだ。



私が初めて来たのは小学生の頃に親に連れられて、冬場に来ると店内で石炭ストーブが煌々と燃えており、そばが旨いのは勿論だけどラーメンも案外美味しい。田舎の蕎麦屋あるあるみたいな話ですが。しかし経営者の高齢化で閉店を余儀なくされたけどもニホン継業バンクを通じて跡継ぎを募集。三笠市もバックアップを整え、継いでくれる人には3年間は任用職員として給与が支払われるほか、この店舗も無償で使うことができ3年満了後は土地屋敷無償提供するとのこと。そのおかげで後継者が見つかり修行ののちに店を再開したのが2021年12月。

店内には空席が2卓も見えるものの「外でお待ちください」、さらに1組出たので再度入るも「もうちょっと待って」。どうやらホールは1人でやっているようで手が回りきってない。私「一番奥、空いているけど座って待てないの」というと「じゃあどうぞ」。雪残って寒い外で待たすくらいなら座らせたほうがいいに決まっている。あとに並んでいた家族連れも座ることができた。



店内照明が少し明るくなったように思うけど(LED?)雰囲気は全く変わらない。石炭ストーブが石油ストーブに変わったくらいだ。







メニューはこれですべてでとにかく安いんですよ。安いけど勿論手打ちそば。その代わりといっては何だが盛りは少な目かな。なのでこの店では男なら蕎麦と丼の両方を頼むのがいいし周囲も大半がそう。大ざるそば2枚!と頼んでいる御仁もいたが、よほど蕎麦が好きなんだろうな。私は天丼ともりそばを。とにかくここの天丼は特徴的なんです。



これがその天丼、600円。子供の頃は500円で小学生の頃はそば食べずにこれだけ食べた記憶もある。海老天や野菜天がのることも大きなかき揚げがのることもない、揚げ置きの薄っぺらい天ぷらを甘塩っぱいつゆにくぐしてから丼へ。よってツユがご飯にかなり染みている。でもこれこそが更科の天丼であり昔のまま、味噌汁などの汁ものは昔からつかない。もし単品で食べるなら熱い番茶がいいね。天ぷらの具はなんとほうれんそう。これは初めて知った、子供の頃は「菜っ葉の天ぷら」ぐらいの認識でなかった。



遅れてもりそばが運ばれる。そうめんのように色白できれいな更科。それでいてちゃんとそばの風味はきちんと感じられる。そばつゆはきりっとした味わいながら甘め。東京の蕎麦屋と比べて甘いというところでみりんが多めとかザラメが多めとか、そんなところかと。確かに量は少な目で、大もりそばにしておけばよかったな。あとから運ばれるそば湯はどろっと濃いなんてことはない。ゆで汁なんだから本来はそんなに濃くならない。わざわざ粉を湯で溶いたそば湯は本末転倒だよ。食べ終えたら待っている人いますのでそそくさと空けましょう。1,200円でペイペイやauペイでも可能。ここだけ非常に現代的。旨かった、機会あれば再訪します。



そば屋の近くに神社がある、しかし宮司もいない神社なので参道も除雪されていない。川湯温泉の神社もいないけどきっちり除雪されてたのと対照的。



この道の両側には商店や飲食店がずらっと並び、百貨店まであったという。長安百貨店と言ったそうだが勿論その時代には生きてないので知らない。

そういえば私が小学校の頃は三笠の学校から転勤してた教員が多かったな。閉校や学級数削減の影響でしょうが、子供に組合(北教組)活動の自慢話をしたがるのがいて、中学か高校時代か忘れたが地元出身の倉橋ルイ子の恩師ということでテレビに出てきてびっくりした。あと小学校1年の時の担任だったがとにかく実行できない嘘ばっかり子供に言ったり、クラスを班分けして悪いことしたわけでもないのに目標未達だから連帯責任で居残りで全員に謝れとか言うのもいたな。こちらは当然PTAでやり玉に挙がったが「これが私が長年かけてやってきた方針だから」となかなか折れなかったと聞いている。高校の頃に癌で亡くなったはず。



大正時代にかけられた幾春別橋、通称はコンクリ橋。



川の向こうに炭住街があったためでかつては橋の中央に洋風ランタンもあったが取り外されている。狭いのと老朽化で徒歩専用だけど昔は車も走ってたそうだ。




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2 コメント

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Unknown (佐藤)
2022-04-13 06:54:36
昔お盆のお墓参りの帰りによく食べていました。
家族がお蕎麦食べている中私1人だけ天丼食べていました。
春菊だと思っていましたが、ほうれん草なんですね。
いつか又行ってみたいです。
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Unknown (admin)
2022-04-13 08:50:10
はじめまして。
私も春菊だと思ってた(天ぷらの菜っぱなど限られる)ので、へー!と思いましたよ。
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