餘目駅から集落へ向かって下りてみます。
下から見上げると相当迫力ありますよ。よくこんなものを明治時代に作れたよと思います。
橋のたもとには案内板があり、橋ができたのちも餘目駅ができるのは昭和30年代に入ってから。それまでは集落から線路まで上り、鉄道のダイヤを見計らって余目鉄橋を歩いて渡り鎧駅まで行かねばならないとは驚かされます。人が歩くようにはできていない鉄橋の上を、ダイヤの隙間をつぃてとは今なら絶対ありえませんし(列車往来妨害で訴えられかねません)、客車の扉も開けっ放しの時代ですから「自己責任」なんですね。もし今の時代走行中に開いて落ちたら世間もマスコミも、間違いなく鉄道会社を叩くでしょう。しかし昔は開けっ放しの扉から落ちたとしても国鉄には非が無く「落ちた人が悪い」と片づけられるだけです。
でも実際に死人はいなかったのか?突風に煽られて橋から落ちたとか、トンネル内で列車に牽かれたとか。
橋のたもとには現代の駅”道の駅あまるめ”があります。
ここからだと現在の橋がよく見えます。何か美味しいものがあったらと思ったんですが、それほど大きな道の駅ではないので食堂はあるけど地場の産物はあまり売られていませんでした。
駐車場にいいものを見つけました。
地元周遊の路線バス「たじまわる」というのがあったんです。
http://tajima-tabi.net/tajimawaru/img/tajimawaru03.pdf
ダイヤは11時30分に浜坂方面、香住方面双方にありこれは助かります。というのもこのまま次の列車を待つと、浜坂方面は12時40分、香住方面は12時19分ですが、浜坂方面行バスはJR浜坂駅経由で湯村温泉へ向かい、浜坂駅には12時着きます。すると12時17分に浜坂始発鳥取行きに接続し、鳥取には1時間以上早く着けます。よしこれに乗るぞ!
ってやってきたバスはなんと空車。ここから乗ったのは私だけ。バスの車内にはガイドが乗っているのでマンツーマンだ。定期観光の乗客が1人ってこんな感じなのだろうなと思いました。ガイドも「竹田城を回るコースは大変人気があるが、ここは香住と浜坂、湯村温泉を結ぶコースなので地味なのは否めなく、今日はあなたで3人目です」。普通の路線バスならとっくに廃止になっていますね。「ぜひ家に帰ったらこのバスを宣伝してくださいね」と言っていましたので、せいぜい利用してあげてください。