観音寺から先は海沿いの小さな駅が多く、そんな駅を経ながら新居浜へ。


10分停車の間に特急列車と行き違い、そしてこちらはいよいよガラガラに、10人切った。15時台なので学校がある日なら高校生で混むのかもしれませんが。昨年8月3日にGoToトラベルでオレンジフェリーで東予港から大阪南港へ帰って以来の伊予西条を過ぎ車窓も日が傾いてきた感じ。

8月だというのにどこか薄暗く寂しい、今治の手前の伊予富田で5分停車。

運転士も休憩がてら降りたし、私もトイレを済ますべく降りてみる。トイレなしに乗っている以上、用足しが可能な駅では済ますべきなのと。

伊勢の富田から伊予の富田に来て小便をするというのもどことなく愉快な話だ。予讃線というか四国全体に伊予富田のように旧国名が前に付く駅が多い、四国の鉄道が遅れたから富田と名乗ろうにも先客がいたので旧国名を付けたのだ。予讃線が松山に達したのが昭和2年ととんでもなく遅く、この区間でも大正13年。四国は関西を結ぶ船便が早くから充実していたので、鉄道に乗って高松に出て連絡船で宇野・岡山を経て大阪へ行くよりも、今治や三津浜から直接船で行ったほうが便利だったのだろうと察します。
もっとも「富田」という駅は関西本線に限らず両毛線にもあり、切符には(関)富田と表記できるので、この駅も単に富田と名乗ってもおかしくないんだけど格が全然違うと判断されたのだろう。伊予富田ができた頃に四日市の富田は紡績の街として発展していましたしね。

今治ではホームに交代乗務員が待ち受けており、列車番号も4127Mから545Mに変わる。

そして観音寺から締切回送してた後部車両を再び開放して車掌が乗務。さすがに松山近づいているのに1両だけではきつかろう。初めて四国を旅行した、1997年7月28日と記憶するが駅前のビジネスホテルに泊まり、この時は生涯初めて作ったクレジットカードを使った。名前も忘れたしもう営業はしていないだろう。結構古かった。

この先は高いところに線路があり海が望める区間が多い、フェリーが見えて結構陸地近くを航行しているのがわかる。瀬戸内海は航行海域が限られてしまうのでね、しかし結構大きなフェリーというか客船でこんな時間にあったかな?どこの船かとAIS位置情報を検索すると上海へ向かっている船と判明。この時期にと思うが客など殆ど乗っているとは思えずトレーラーとか海上コンテナが積まれていると察します。そして17時52分に松山到着。

いやー、疲れたよ。でも距離的には全然なんだということに気づく、坂出から松山まで173キロほどで、これを私の周囲に当てはめると近鉄富田から大阪難波まで158キロなので、すごく遠いようでそうでもないというかさ。でも単線で停車時間が長いので。

急いで駅前の電停から路面電車に乗って本町六丁目へ。

路面電車が単線なのは珍しい気もするが松山は意外に多い、なぜここへ来たかと言うと。

本町六丁目から延びる伊予鉄本町線が未乗車で残っていたのでどうしても片付けておきたかった。だってとにかく乗りづらい路線だから。Wikipediaによれば2005年以前は20分間隔で運転されていたのが30分間隔となり、2018年に40分間隔になり昨年には平日のみ運転で土休日はすべて運休となってしまう。なので去年8月に来たときに乗ろうと思ったが日曜日で諦め、そして今年3月からは平日ダイヤも削減されて1日14往復のみの運転となり、本町六丁目でみると始発は7時丁度で9時05分の次は11時40分、15時の次は17時40分とおよそ路面電車らしからぬ状態。終電も19時40分なので伊予鉄的には廃止にする気マンマンなのだろう。実際にここから乗ったのは私込みで3人だけ、発車してしまえば途中停留所から1人乗っただけで、ダイヤが悪いのも悪循環になって利用客がいない。まるで国鉄のローカル線のようだ。本町一丁目というか南堀端で完乗!このまま松山市駅に向かいましょう。

松山来たからには絶対食べたいものがある、それは銀天街のラーメンショップのネギラーメン。ラーメンショップ数あれど私好みの味わいで好きになりました。なので昼食に世にも不味くて塩辛いだけの家系ラーメン食べましたが、これを食べれば間違いなく口直しになって万事オッケーですよ、と思ったら。

なんと売り切れで店じまい!もっとも愛媛県では今日からまん防で20時までの制限が課されているので早仕舞したのが濃厚でしょう。ただ19時になるかどうかの時間なので食べられると思っていただけに落胆大きすぎます…。
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10分停車の間に特急列車と行き違い、そしてこちらはいよいよガラガラに、10人切った。15時台なので学校がある日なら高校生で混むのかもしれませんが。昨年8月3日にGoToトラベルでオレンジフェリーで東予港から大阪南港へ帰って以来の伊予西条を過ぎ車窓も日が傾いてきた感じ。

8月だというのにどこか薄暗く寂しい、今治の手前の伊予富田で5分停車。

運転士も休憩がてら降りたし、私もトイレを済ますべく降りてみる。トイレなしに乗っている以上、用足しが可能な駅では済ますべきなのと。

伊勢の富田から伊予の富田に来て小便をするというのもどことなく愉快な話だ。予讃線というか四国全体に伊予富田のように旧国名が前に付く駅が多い、四国の鉄道が遅れたから富田と名乗ろうにも先客がいたので旧国名を付けたのだ。予讃線が松山に達したのが昭和2年ととんでもなく遅く、この区間でも大正13年。四国は関西を結ぶ船便が早くから充実していたので、鉄道に乗って高松に出て連絡船で宇野・岡山を経て大阪へ行くよりも、今治や三津浜から直接船で行ったほうが便利だったのだろうと察します。
もっとも「富田」という駅は関西本線に限らず両毛線にもあり、切符には(関)富田と表記できるので、この駅も単に富田と名乗ってもおかしくないんだけど格が全然違うと判断されたのだろう。伊予富田ができた頃に四日市の富田は紡績の街として発展していましたしね。

今治ではホームに交代乗務員が待ち受けており、列車番号も4127Mから545Mに変わる。

そして観音寺から締切回送してた後部車両を再び開放して車掌が乗務。さすがに松山近づいているのに1両だけではきつかろう。初めて四国を旅行した、1997年7月28日と記憶するが駅前のビジネスホテルに泊まり、この時は生涯初めて作ったクレジットカードを使った。名前も忘れたしもう営業はしていないだろう。結構古かった。

この先は高いところに線路があり海が望める区間が多い、フェリーが見えて結構陸地近くを航行しているのがわかる。瀬戸内海は航行海域が限られてしまうのでね、しかし結構大きなフェリーというか客船でこんな時間にあったかな?どこの船かとAIS位置情報を検索すると上海へ向かっている船と判明。この時期にと思うが客など殆ど乗っているとは思えずトレーラーとか海上コンテナが積まれていると察します。そして17時52分に松山到着。

いやー、疲れたよ。でも距離的には全然なんだということに気づく、坂出から松山まで173キロほどで、これを私の周囲に当てはめると近鉄富田から大阪難波まで158キロなので、すごく遠いようでそうでもないというかさ。でも単線で停車時間が長いので。

急いで駅前の電停から路面電車に乗って本町六丁目へ。

路面電車が単線なのは珍しい気もするが松山は意外に多い、なぜここへ来たかと言うと。

本町六丁目から延びる伊予鉄本町線が未乗車で残っていたのでどうしても片付けておきたかった。だってとにかく乗りづらい路線だから。Wikipediaによれば2005年以前は20分間隔で運転されていたのが30分間隔となり、2018年に40分間隔になり昨年には平日のみ運転で土休日はすべて運休となってしまう。なので去年8月に来たときに乗ろうと思ったが日曜日で諦め、そして今年3月からは平日ダイヤも削減されて1日14往復のみの運転となり、本町六丁目でみると始発は7時丁度で9時05分の次は11時40分、15時の次は17時40分とおよそ路面電車らしからぬ状態。終電も19時40分なので伊予鉄的には廃止にする気マンマンなのだろう。実際にここから乗ったのは私込みで3人だけ、発車してしまえば途中停留所から1人乗っただけで、ダイヤが悪いのも悪循環になって利用客がいない。まるで国鉄のローカル線のようだ。本町一丁目というか南堀端で完乗!このまま松山市駅に向かいましょう。

松山来たからには絶対食べたいものがある、それは銀天街のラーメンショップのネギラーメン。ラーメンショップ数あれど私好みの味わいで好きになりました。なので昼食に世にも不味くて塩辛いだけの家系ラーメン食べましたが、これを食べれば間違いなく口直しになって万事オッケーですよ、と思ったら。

なんと売り切れで店じまい!もっとも愛媛県では今日からまん防で20時までの制限が課されているので早仕舞したのが濃厚でしょう。ただ19時になるかどうかの時間なので食べられると思っていただけに落胆大きすぎます…。