ピットブルのハヤコ

ハヤコとかあさん

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ごろ寝と心配と希望

2018-10-02 | かあさん

私が。

この夏。

いやそれまでも。

ハヤコはたくさん散歩に行っていない。

家の中で、ごろごろごろごろ、それしかハヤコはすることがない、ごろごろごろごろ。

私は、ハヤコがうらやましいとも思っている、ハヤコが自由に寝転がっている姿は、私の心の真ん中へんをやさしくさせる。

 

だが、理由があるとはいえ、ハヤコが文句を伝えてこないとはいえ、どこか、ごろ寝し過ぎて退屈で心の起伏もそんなになく足が弱ったりしないかと、漠然と、心配な気持ちが湧いてくる、それほど、この夏ハヤコは散歩に行っていない。

 

だからか、少し前から気になることがある、ハヤコがあまり飛び跳ねない。たまに足取りがおかしい。

 

これは、暑さが引き起こしている一時的なものか、ただ歳のせいか、私のせいか。

 

ハヤコは8歳だ、まだまだ元気に生きてもらわねばならぬ、私、かあさんのために、それが、ハヤコの使命なのだ、ハヤコが我が家にきた「責務」なのだ。

と。

飼い犬に、責任だとか、務めだとか、アホらしい表現かもしれない。

が。

私はハヤコに言う、いつも、言う、いつも、言う。   願う。

 

「ハヤコ、まだまだかあさんと元気で一緒にいてな。」「はちゃんはね、あと4年は元気で生きんにゃいけんよ。」

 

散歩もロクに行っていないくせに、身勝手な飼い主の、希望。

ハヤコ、ごめん。

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災害発生の夜

2018-09-20 | かあさん

7月6日の夜だったなー、7月7日の明け方だったなー。

じゃんじゃん雨が降って、我が家裏の待ち受け擁壁の水抜きから泥水が噴出してた。

それに気が付いてジジイを起こし、普段鉄板を蓋にして暗渠となっている水路を開渠にして水道を確保する。

7月6日の夜、あれで終わればよかったのだが。

数時間は寝た。

が、裏山が「ドン」と音を立てた、一瞬で目が覚めた、ヤバイやつだと悟る、裏山へ向いた窓を開ける、我が家の横にある裏山へ向かう階段に小島のような木切れたちが滑るように流れてきたのが見えた。

迷わない、ジジイを起こす。出動だ。

 

この日、我が家には、私とジジイとハヤコしかいなかったのだ。

 

明け方の時間とはいえ、暗かった。

懐中電灯を手に、我が家周辺の様子を確認する。

雨に濡れることをどうこういっていられない。

裏山から流れてくる再びの泥水と、降りしきる雨水が合わさって、坂の上にある我が家から坂下へ向かって大量の水が束になって流れ下っていく。

 

水は、上から下へ、流れるのが常だ。

 

このような様子を伝えると、さっさと避難をすべきと言われてもおかしくない。そのとおりだ。

 

ジジイは昔取った杵柄、元来の頑丈さを余るほど発揮する。まるで現役土木作業員と化し、水道を確保する作業に力を振るう。

私は、知っている、ジジイの馬鹿力を、無駄のない力加減を、それを無駄なく発揮できるよう、私ができることをする。それは、懐中電灯の光をジジイの動きに合わせて照らすことだ、作業しやすいように。

これは地味だが、だれかがやらねばならないもので、これを不用に失敗すると、円滑な作業に繋がらない、ジジイの文句に繋がることは、幼い頃から、身に染みている。

悲しいかな、それとも喜ぶできかな、普段文句をも言い合うことさえ避けるほど、断絶に近づいている関係性になっているというのに、言葉少なく目的に向かい力が合わさる。無駄な言葉はもちろんない、向かう先は同じだ、いちいち説明などいらぬ。

 

そんなこんなで、大災害を引き起こした雨の中、びしょ濡れになったのは人間だけではない、「玄関にいなさい!」と言葉を吐かれ置いて行かれたハヤコもだった。

ハヤコは、私とジジイの邪魔はしない後方で、どうしたらいいのか分からない顔をして雨に濡れていた。それは、私は知っている。

だが、この時は、ハヤコにどうこう言っている場合でなく、後方でハヤコ自身が危なくないと判断し、ハヤコの困惑は無視していた。

 

だから、一作業終わって、びしょ濡れで家に入ると、ハヤコもびしょ濡れで家に入ってきて、身体を拭かれながら私に小言を言われる。

「玄関にいなさいって言ったじゃん。びったこじゃん。かあさんのシゴト増やさんといて、もう。」なんて、呆れられながら。

しかし、びしょ濡れのハヤコを拭きながら、口元は緩む。

 

ハヤコは、ハヤコなりに、どうしていいのか分からなかったのだろうし、ハヤコなりに、何かしなければいけない気持ちになったのだろうし、いつもとは違う数時間を感じ取っていたし、ハヤコなりに行動していたと思う。

これも、いちいち説明がいらぬ。

 

そんな、災害発生の夜だったな。

水は、やっぱり、怖いものだな。

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thank you

2018-09-19 | かあさん

ありがとうございました。

災害にあったと、ブログ休止をし、それでも、声をかけてくださった方々、ありがたく、うれしかったです。

感謝。感謝。感謝。

失礼を承知。しかし、どこか、気になりながら、それでも、放置をし、今に至る。

故に、深く、感謝申し上げます。

酷い災害にあったあと、しばらくは日常が一変。

自然が起こした状態は、どこか、多くに、諦めというのか、気持ちが、削がれるようで、一様にうなだれはしないけれど虚を張る勢いもなく。

ああ、だから、謙虚に生きろということか、もしかしたら、そういう、ことか。

そんな、気持ちに、嫌でもなる。

 

しかし、そういう気持ちは、都合のいいもので、日常で、できれば忘れたい。

なんて、勝手なものか。

 

そんな、勝手な日常を、再び、書き残そうと、思う。

なので、夜露死苦、候。

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災害

2018-07-12 | かあさん

我が家地方、広島県呉市、酷い災害に遭ってしまった。

 

豪雨のあと、ご心配をいただいたきました方々、ありがとうございます。

我が家だけのことを言うと、豪雨の最中からいろいろ大変でしたが、家族は皆無事ですし、家の本体は無事です。

我が家は裏に抱えた小山が崩れてしまいましたが、テレビで流れている被害を見ると、我が家は軽症の軽症です。

 

そして、我が家地方のことを言うと、いや我が家地方だけでなく広域に、しばらくの間、災害対応に、とても大変です。

 

私のシゴトは、こういう時、力を出さなければならないところです。

ですから、しばらくの間、ブログはここのところ放置気味だった以上に、キレイに放置します。

もし、お気遣いいただいき、コメントくださる方がいらっしゃったら、大変失礼なことにご返事を返さないことになりますが、どうぞご理解ください。

 

それから。

ハヤコは、豪雨の時から、かあさんたちみんなが大変そうだということは分かっているようで、ハヤコにできることをしてくれているのでしょう、我慢をしてイイコでお留守番してくれています。

そうはいえ、私たち人間もハヤコも、我慢ばかりが続くと、精神も身体もおかしくなります、体力温存しながら、そして、ほどほどには我慢を開放しながら、しばらくのあいだ、頑張ります!!

 

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開口

2018-06-03 | かあさん

朝。

私の横にピタリといるものだから、枕元に置いておいたスマホカメラを起動させ、ハヤコに向ける。

いつもの朝の臨場感を撮ろうと。

これでどうだろうか。

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2018-05-28 | かあさん

散歩の始まり

私の横着者の性分が前面に、先頭きって顔をだしている、ばあちゃんが少しずつ不自由になっていっている、一日の時間は、たくさんあるようで、あんまりない、なにせ、休息の時間がなければ壊れる、私の脳みそは、弱い。

 

久しぶりに、ハヤコと、散歩にでかけた。

いつも、とうさんに任せっきりになっていて、私自身が、横着者になっていっているのも、自身で感じている。

だからこその感慨、ハヤコと、遊んだ一時間、楽しかった。

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夢、満足

2018-05-01 | かあさん

ハヤコの夢って、なんだろうか。

 

ありきたりに、「主人と一緒にいること」っていうことじゃない、気がする。

 

ハヤコの満足は、なんだろうか。

 

ありきたりに、「主人と一緒にいること」でない、気が、する。

 

そんなに、単純じゃない、気がする。 

 

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感情の連鎖

2018-04-25 | かあさん

少し前から、職場の「介護休暇」というのを取得させてもらい、家にいる。

ばあちゃん、数週間前にまた治療のため入院して、また、ヨロヨロになって退院して、ヨロヨロヨロヨロヨロヨロ、している。

ばあちゃんのヨロヨロは、先に進むことはあっても戻ることはないヨロヨロだと、率直に感じる。

 

さて、そんなばあちゃん、何もそんなんならなくてもいいのにと思うのだが、「五十肩」を発症している。

「五十肩」、実年齢に関係なく、症状は「五十肩」と呼ぶらしい。

ばあちゃんが発症している五十肩の症状は、「ああ、なりなくないな」と思うほど、腕を動かさなくても痛い、当たっただけでも痛いといった様子。

 

その痛み、ハヤコには、残念ながら分からない、座っているばあちゃんの垂れてる腕に、お構いなしに話しかけるのだ。

「ねえ」と、鼻を、頭をぶつけ、ハヤコなりの意思をばあちゃんに伝えようとする。

 

ばあちゃんは、度に顔を歪めながら、ハヤコに言う。

「はあちゃん、ばあちゃん腕が痛いんよ、つつかんといてー。」

ハヤコは、ばあちゃんの困っていることが、もしかしたら、分かってないのかもしれないけれど、いや、そんなことはない、もしかしたら、もしかして、ばあちゃんの困ったことは、ハヤコにとって困ったことでないのかもしれない。

もし、「痛い」と、私、かあさんが困っていたら、たぶん、ハヤコは、私が困ることは、しない。

いつだって私が困ることはハヤコが困るのだ。

感情の連鎖のごとく。

 

だが、その連鎖は、ハヤコとばあちゃんには、つながっていないようだ。

 

度々に、ばあちゃんはハヤコにつつかれて、痛いとハヤコに訴えている。

ただ、その訴えは、どこかやさしく、ハヤコを許していて、ハヤコもまた、そんなばあちゃんに気を許していて、甘えているんだろう。

 

ハヤコにとってのばあちゃん、ハヤコに聞いてみたいものだよ。

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ハヤコという犬。

2018-03-12 | かあさん

ハヤコは、私の犬娘である。

ハヤコは、とうさんの犬娘である。

ハヤコは、ばあちゃんの、同士犬である。

ハヤコは、ジジイの、同居犬である。

ハヤコ、まだまだ、私たちを、支えてくれ。

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記憶

2018-02-19 | かあさん

既に知られているとおりだと思うが、島根県と鳥取県の県境にある橋、いつしかCMで一躍知られることとなった、通称「ベタ踏み坂」。

正式名称「江島大橋」。

週末、久しぶりにとうさんとハヤコと旅に出た。

前にも書いたことがあるが、私は山陰が好きだ、穏やかな空気が、とても好きだ。

だから、旅先は山陰、出雲から米子を、島根半島に沿って車を走らせた。

 

山とか海とか川とか、自然メインに出かけない場合の旅は、ほとんどといっていいほど、移動時間と人間しか入れない施設での時間となる、一緒に連れているハヤコにとっては、待ってばかりである。

仕方ない面はあるのだが、まあ、旅にハヤコを連れているのだ、少しは一緒に歩こうではないかと、思う訳である。

で、「ベタ踏み坂」。

「江島大橋」を、歩いて往復、約4キロほど、一時間ちょっとの散歩。

ハヤコは、往路もそんなに楽しそうでなかった、その理由を考えるに、私ととうさんは意見が一致する。

「ひたすら歩くだけ」という、一方向だけで面白くないのだ、この先に誰かがいそうでもないし、何かがありそうでもないし、どこまで続くかわからないし、「この先に楽しそうなことがないから行きたくない」という訳だと。

 

それに気づきはしたが、まあ、それはそれ、「ハヤ、行くよ。」と声をかけ進む。

橋を渡り切ったら、復路。

まーた、橋を歩く。

復路は、かあさんと。

先の大根島を目にしながら、通称「ベタ踏み坂」を歩いた。

 

旅先、普段知らないところを、ただハヤコと歩くだけ、それだけが、結構、記憶の破片になると、思う。

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