はちみつブンブンのブログ(伝統・東洋医学の部屋・鍼灸・漢方・養生・江戸時代の医学・貝原益軒・本居宣長・徒然草・兼好法師)

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No.52 五行について(その2)

2008-10-14 20:12:15 | 気・五行のはなし

さて五行の出典となった『書経』洪範の五行とはなんでしょうか。五行とは箕子が周の武王に返答した、天下を治めるにあたっての九つの方法の筆頭に挙げられるものです。すこし前文を読んでみましょう。


「わたくしはこう聞いております。その昔、鯀が洪水を塞ぎ止めようとしたときに、その五行をかき乱してしまいました。そこで、上帝は激しくお怒りになって、洪きな範の九つの疇(たぐい)をお与えになりませんでした。彝倫(いりん)はここで破れました。鯀がその罪で死されたのち、禹が治水の業を継いで夏王家を興しました。そこで、天は禹に洪きな範の九つの疇をお与えになりました。彝倫はここにふたたび秩序正しくなったのです。九つの疇とは、最初の第一は、五行です。…」(『書経』洪範、赤塚忠訳)


そして、有名な以下の文が続きます。


「一には五行、一に曰く水、二に曰く火、三に曰く木、四に曰く金、五に曰く土。水を潤下と曰う、火を炎上と曰う、木を曲直と曰う、金を従革と曰う、土は爰に稼穡とす。潤下は鹹を作す、炎上は苦を作す、曲直は酸を作す、従革は辛を作す、稼穡は甘を作す…」


さて、王の仕事の最大の目的は民を飢えさせないことでした。そのため治水(洪水、黄河の氾濫対策)が最重要の目標であり、五行は「水火木金土」のように「水」を最初に記載しています。それから続いて「水を潤下と曰う」というようにその性質が述べられています。


「水」はもともとは具体的なものであり、河川の水(または雨も)を指し示していたようです。「潤下」は「水」の性質の説明でした。しかしそれと同時に「潤下」という性質を持つものも「水」とするようになってきます。これが概念メタファーであり、後の時代に陰陽五行説を完成させる動力となっていきました。


では「潤下、炎上、曲直、従革、稼穡」の五つの性質はどのように解釈すればよいのでしょうか。一つは「読書」のような述語構造型、もう一つは「身体」のような並列構造型、もう一つは「進入」のような述補構造型などです。どれが完全に正しいとも言えませんが、並列構造型と述補構造型の蓋然性が高そうな気がします。


「火」はメラメラと燃える炎と共に、炎旱(ひでり)とか炎天(夏の暑い天気)の意味合いがあったと思います。大切な水を蒸発させてしまう条件なのでこれも重要な問題です。


「木」は植物全般ですが、特に農作物のことのようですね。


商王朝では既に青銅器が使われていました。殷墟からの発掘品によると、特に商王朝では高度な冶金技術を持っていたようで、さまざまな食器(祭器)や楽器、武器が作られていました。ただ当時それらは非常に貴重なもので農具に使われることはありませんでした。ところで、


「水火は百姓の飲食するところなり、金木は百姓の興作するところなり、土は萬物の資生するところなり、これ人の用となす」(『尚書大傳』洪範)


という記述が残されています。これは秦代の伏勝の『書経』の注釈書ですが、当時の秦では鉄器が一般的になり工具や農具として使用されていたようですね。それが秦が天下統一を果たす一つの要因でしたが、もし「金」を農作物の収穫のための農具を指し示すものであるとするのなら、『書経』洪範は周初の記述ではなく戦国時代のものとなります。もし周代の記述であるのなら、この「金」は祭祀に使用した祭器や、(収穫後の戦争に使用した)武器と考えた方が良さそうです。でも広く、金属精製の技術や製造能力と考えてもいいですね。


「土」は大地や耕地、領土のことのようです。


このように『書経』洪範の五行とは王が政治的に力を注ぐべき対象のようです。ところでこの五行の記述には「鹹苦酸辛甘」という五味が記載されています。これを舌で舐めてしょっぱいとかいう「味」と考えると無理が生じます。いろいろ解釈があるようですが、続きはまた今度。


(ムガク)


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