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はちみつブンブンのブログ(伝統・東洋医学の部屋・鍼灸・漢方・養生・江戸時代の医学・貝原益軒・本居宣長・徒然草・兼好法師)

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貝原益軒の養生訓―総論上―解説 006 (修正版)

2015-04-08 16:52:28 | 貝原益軒の養生訓 (修正版)
(原文)

養生の術は先、心気を養ふべし。心を和にし、気を平らかにし、いかりと慾とをおさへ、うれひ、思ひ、をすくなくし、心をくるしめず、気をそこなはず、是心気を養ふ要道なり。又、臥す事をこのむべからず。久しく睡り臥せば、気滞りてめぐらず。飲食いまだ消化せざるに、早く臥しねぶれば、食気ふさがりて甚、元気をそこなふ。いましむべし。酒は微酔にのみ、半酣をかぎりとすべし。食は半飽に食ひて、十分にみつべからず。酒食ともに限を定めて、節にこゆべからず。又、わかき時より色慾をつつしみ、精気を惜むべし。精気を多くつひやせば、下部の気よはくなり、元気の根本たへて必、命短かし。もし飲食色慾の慎みなくば、日々補薬を服し、朝夕食補をなすとも、益なかるべし。又、風寒暑湿の外邪をおそれふせぎ、起居動静を節にし、つつしみ、食後には歩行して身を動かし、時々導引して腰腹をなですり、手足をうごかし、労動して血気をめぐらし、飲食を消化せしむべし。一所に久しく安坐すべからず。是皆養生の要なり。養生の道は、病なき時つつしむにあり。病発りて後、薬を用ひ、針灸を以病をせむるは養生の末なり。本をつとむべし。

(解説)

 益軒は養生訓で同じことを何度も繰り返し言います。今回は、「貝原益軒の養生訓―総論上―解説 003 」と内容が大分重なりますが、それは重要な事柄だからです。心を和やかに、気持ちを落ち着けて、怒らず、欲望に身を任さず、憂いや考えすぎを少なくし、眠りすぎず、食べ過ぎ、飲み過ぎをせず、食べても直ぐに寝ないで、色慾を慎み、よく歩き、身体を動かすことなどが養生の要です。

 益軒は、「養生の道は、内慾をこらゆる」が本であり、「病発りて後、薬を用ひ、針灸を以病をせむるは養生の末」と考えました。本と末は「本末顚倒」の本と末のことで、これらはどちらも樹木から作られた指示文字であり、それぞれ木の根や幹と、木の梢を指し示しています。これは養生における行為の、重要性や軽重を意味しているとともに、時間的な先後関係も示唆しています。つまり、病気になる前の健康な時に、養生法を行なうことが重要であり、病気になった後に薬や鍼灸で治療するのは「養生の末」であるのです。

 「精気」とは、『素問』に、「夫れ、精は身の本なり」とあるように、人の身体を成り立たせている気であり、精があるから人の脳髄や骨や脈、筋、肉、皮膚、毛髮など身体の組織が生じると考えられていました。両親の精が合体して、子が生まれ、食事により飲食の精を取り入れて成長し、生命活動を続け、子供を作る時にも、その精を使う、というのが古代中国で生まれた医学の考え方です。それゆえ、養生のためには、精気を無駄に使わないように、色欲を慎むことが必要であると、益軒は説きました。とは言っても、これは紀元前からある「房中術」(男女の交合により健康になる方法)の基本的な思想で、『素女経』や『千金方』、『抱朴子』や『医心方』など、多くの書物に取り上げられています。

 また「補薬」とは、朝鮮人参(高麗人参・御種人参)や黄耆など、体力・気力が落ちた時に使う生薬のことです。特に江戸時代には、人參は大変高価であり、病人がいる家では娘を遊郭に売って手に入れるようなことがあったようです。現代では漢方薬や栄養ドリンクによく使われていますが、これらの薬を使用し、また食事で栄養をとっても、養生しなければ、その効果は期待できません。

 「導引」とは身体をうごかす養生法ですが、後にくわしく出てきますので、ここでの説明は割愛します。

(ムガク)

(これは2011.3.16から2013.5.18までのブログの修正版です。文字化けなどまだおかしな箇所がありましたらお教えください)


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