セレヤの山の下で

静岡県内の小さな旅、植物などを紹介しています。

金谷宿から日坂宿へ/旧東海道の旅

2011年05月06日 | 旅、ウォーキング
金谷から日坂宿へ向かいます。
川越が橋を渡るだけですむ現在、箱根を除けば、一番の難所、小夜の中山を越える旅です。

前回は金谷一里塚のところで旅が終わりました。
今回はそこからJR、大井川鉄道のガードをくぐり、石畳の坂道に向かいます。
※金谷坂の石畳の写真はさわやかウォーキングの流用です。ご承知ください。


金谷坂の石畳です。
江戸時代、街道に石が敷き詰められ、石畳の道となっていました。
雨が降ると道がぬかるみ、滑ってしまうからです。箱根と同じですね。
平成3年、430メートルの石畳の坂が復元されました。

 

 


坂を登りきってしばらく行くと、諏訪原城跡があります。
天正元年(1573)、武田勝頼によって、高天神城攻略のために築城されました。




菊川の石畳です。
21世紀の幕開けの事業として、平成13年、500人の人員を投入し、道普請が行われ、
江戸時代後期の現存する部分を含め、700メートルの石畳が完成しました。

 

 


石畳の坂を下りきり、川を越えた先は間の宿菊川です。




菊川の謂れとなった菊の形をした岩が展示されています。周辺で多く産出していたようです。


日曜日だけオープンするさんぽ茶屋です。


さて、いよいよ最大の難所、中山峠越えです。

「小夜の中山」の名で広く知られ、「古今和歌集」以来、歌枕として、多くの歌に詠まれました。
古来、厳しい坂道と、人気のない山道で、多くの旅人が難儀しました。
江戸時代になると、飴の餅を売る茶店が並んで、賑わいました。



 




道は島田市から掛川市に入ります。 


小夜の中山の「夜泣き石」伝説の石が祀られている久延寺。
曹洞宗の寺院です。



夜泣き石です。(これは二代目)
峠道で賊に襲われ、命を落とした妊婦の霊が近くの石にのり移り、夜毎わが子を思って泣いた、という伝説があります。
その子は久延寺の住職に水飴で育てられ、大きくなって親の敵を討ったそうです。



その水飴(子育て飴)を売る「扇屋」さん。現在日曜日のみの営業です。
水飴は250g入りで500円。




この茶屋を越えると、道は下り坂になります。
最初は緩やかな下り坂ですが・・・・・

山肌に「茶」の字が見えます。




小夜鹿一里塚。
江戸から56番目です。




白山神社の道標です。




最初夜泣き石はこの場所にあったそうです。
街道の真ん中にあり、旅人はそれをよけて通っていたそうです。
明治時代になって、明治天皇が京都から江戸へ遷るときに、道の脇に移されたそうです。




広重の東海道五十三次のうちの日坂。
ここに書かれた急な坂と道の中央の大きな石。
この坂は誇張ではありません。



「二の曲がり」「沓掛け」と呼ばれる急坂です。(写真では上手く伝わりませんね)
この坂、私は金谷から来たので下り、ですが、掛川方向から来ると登りになります。
旅人はこの急坂にさぞ難儀したことでしょう。

 


この坂を下りきり、バイパスの下を抜けると、日坂(にっさか)の宿に到着します。




この旅は4月17日に行いました。
今回の旅はここまでです。
次回は日坂から山内一豊の城下町、掛川に向かいます。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
坂道がキツそうです。 (19)
2011-05-06 23:28:28
haruさん、こんばんわです。

私の持っている本を見ると、金谷から日坂は距離として
6.5kmだそうです。
でも、坂道がありますから、疲れは6.5km、それ以上
あったのではないのでしょうか?

きょう、私の方は東海道の出発地点に行って一宿歩きました。
坂はなかったのですが、道路を挟んで行ったり来たりしたのと
ゴーグルをしてなかったので眼がショボショボで、
疲れてしまいました。

でも楽しかったのでヨシとします。

19さんへ (haru)
2011-05-07 21:19:35
こんにちは、コメントありがとうございます。

小夜の中山の坂道は、侮れません。
さった峠なんて、かわいいもんです。
本当に下りでも大変でした(T_T)

品川から出発ですか!
なんとも、羨ましいことです。
私もいつか、江戸から京都まで歩きたいです。

でも、今のところは県内の道を制覇しなくては。

歩いていると、いろいろな方が声をかけてくださいます。
道を教えてくださったり、見所を教えてくださったり、みなさん、とても親切です。
まあ、リュック背負って地図を片手にキョロキョロしながら歩いていたら、誰が見ても観光客ですよね(^^ゞ

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