日々是ほぼ好日

小さな幸せを探して、好奇心満載の毎日。

そのときどきで。(小学校編)

2016年07月28日 | コラム

小学校に入学しました。

妹がまだ小さな赤ちゃんだったので(というのがその理由だと思います。もしかすると父が望んで、かもしれません)、入学式には父と一緒に行きました。

式が終わり教室に入ると、机のうえに名札が置いてあります。みんな母親のところに駆け寄って名札をつけてもらっているので、私も父のところに行きました。予想通り「自分でつけなさい」の一言。心のなかで「だよね〜」と思いながら(当時はちょっと言葉が違っていたと思いますが)、名札をつけて記念撮影。後から写真を見た母が、私だけ名札を右につけていることに気づきます。私は、私だけカラーのタイツを履いていることに気づきました。ほかの女の子はみんな白いタイツだったのです。

このころ住んでいた家の近所に新聞記者の方がいて、スキー場オープンなどのときは、私が写っている写真を記事に使ってくれていたそうです。その記事が残っていないのが残念。

父はとてもたくさん本を読む人でした。幼稚園の頃から、私にも毎月絵本が届けられていました。父が本を広げると、いつも横に並んで絵本を広げていたそうです。

小学校に入ってまもなく、大きな書店に連れて行ってもらいました。正面がガラス張りのその書店の中から外をみるとキラキラととても綺麗で目眩がするようでした。高い棚の上から一冊の本をとった父に「これ、欲しいか?」と聞かれたのですが、子供の本は家に届くものと思っていた私は意味がわからないままうなずきました。それが、アンデルセンの「おやゆび姫」だったのです。挿絵はいわさきちひろ。これがいわさきちひろとの出会いなのですが、それに気づくのはずっとあと、高校生になってからです。

大人のお店(書店)で自分の本を買ってもらったこと、書店には子供の本も売っていると知った驚きは今でも忘れません。
その時に買ってもらった「おやゆび姫」は今でも大切にしています。ボロボロになってますけど。

小学2年生になりたての頃は、何故か10代で結婚して成人式を二人でお祝いしようと思っていました。
結婚の意味も成人式の意味もわかりませんでしたが、二人でケーキの蝋燭を吹き消して「おめでとう」と言い合う映像を思い浮かべていました。どうしてだったのでしょう?

2年生で転校しました。そして3年生でもう一度。この頃、弟が産まれました。父のバイクでちいさな弟を見て帰ると、遊びに(私たちの面倒をみるために)祖母に、「赤ちゃんの5本の指全部に、ちゃんと爪がついてか見てきた?」と聞かれたときは、「確認するのを忘れた!」と焦ったのを覚えています。

私が3年生になる頃まででしょうか、父は毎日、お土産を買ってきてくれました。小さな箱の飴だったり、ガムだったり。サイコロキャラメルの登場回数も多かった。それもあって、父が帰宅する音が聞こえたときは、玄関に飛んでいったのもです。

5年生くらいになると、予定通り(というか)生意気な子供になっていました。後に母は、あの頃のあなたは好きじゃなかったと言っていました。自分にもこんな部分があるのだと言われてる気がしてと。そうでしょうね、私もあの頃の私は好きじゃなかった。あの当時でさえも。エネルギーを持て余していたのかもしれません。そしてそのまま、ちょっと嫌な自分を抱えたまま、中学生になるのです。先が思いやられます。












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