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大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

主に学生時代から撮り続けている全国の駅の写真等をブログで毎日公開しています。

加古川線 滝駅!

2019年12月26日 | 

兵庫県加東市上滝野にあるJR西日本の滝駅は、山陽本線の加古川駅と福知山線の谷川駅とを結んでいる全線単線の加古川線(34.6km)の駅です。
もともとは播州鉄道の仮滝野駅として1913(大正2)年8月10日に開業しましたが、その後、播丹鉄道を経て国鉄加古川線の駅となりました。

谷川方面に向かって右側に配置された単式ホーム1面1線のみを有する無人駅で駅舎はなく、直接ホームへ入る形になっています。

2018(平成30)年度の1日の平均乗降人員は102人で、これは起終点駅を除く加古川線の全19駅中12位です。

滝駅が属する加古川線は、兵庫県の中央部を流れる加古川に沿って山陽本線と福知山線を結んでおり、パークアンドライドの普及とともに、神戸市や大阪市への通勤輸送が増加する一方、地域輸送も担っています。 また、この加古川線は1995(平成7)年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の際には、JR神戸線が寸断されたため、東海道・山陽本線(JR神戸線)の迂回路線として非常に重要な役割を果たしました。

  <滝駅の年表>

 ・1913(大正2)年8月10日:播州鉄道の旅客駅である仮滝野駅として開業
 ・1913(大正2)年8月28日:停留場に格下げされて滝停留場となる
 ・1914(大正3)年1月1日:営業休止
 ・1914(大正3)年5月1日:営業再開
 ・1921(大正10)年5月9日:臨時停留場に格下げされる
 ・1923(大正12)年12月21日:播州鉄道が播丹鉄道に譲渡され、同鉄道の所属となる
 ・1943(昭和18)年6月1日:常設駅に昇格して滝駅となる
 ・1943(昭和18)年6月1日:播丹鉄道が国有化されて国鉄加古川線となり、同線の駅となる
 ・1949(昭和24)年8月1日:駅の無人化
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる
 ・1990(平成2)年6月1日:加古川鉄道部の発足により、その管轄となる
 ・2009(平成21)年7月1日:加古川鉄道部の廃止に伴って神戸支社管轄へ変更され、加古川駅の被管理駅となる
 ・2010(平成22)年12月1日:組織改正により、近畿統括本部の管轄に変更される
 ・2013(平成25)年8月1日:駅構内終日全面禁煙化
 ・2016(平成28)年3月26日:IC乗車カード「ICOCA」の利用が可能になる

 
(駅 名 標)

 
(谷川方面を望む)

 
(滝 駅)

 


 撮影年月日:2015(平成27)年12月29日


今日はクリスマス!

2019年12月25日 | 今日は何の日

12月25日はクリスマスです。

クリスマスは、イエス・キリストの誕生を祝う祭ですが、今日では一般的年中行事としても楽しまれ、ジングルベルなどのクリスマスソングは多くの人に親しまれています。

キリスト教圏では、クリスマスには主に家族と過ごし、クリスマスツリー(常緑樹で、一般にモミの木)の下にプレゼントを置くそうです。

クリスマスツリーの習慣は、中世ドイツの神秘劇でアダムとイヴの物語を演じた際に使用された樹木に由来しており、またクリスマスツリーに飾りつけやイルミネーションを施す風習は、19世紀以降のアメリカ合衆国で始まったものです。

日本では、1552(天文21)年に周防国山口(現在の山口県山口市)において、カトリック教会(イエズス会)の宣教師であるコスメ・デ・トーレスらが、日本人信徒を招いて降誕祭のミサを行ったのが、初めてのクリスマスであるとされています。 しかし、その後江戸幕府の禁教令によってキリスト教は禁止されたことで、明治の初めまでの200年以上の間、隠れキリシタン以外には全く受け入れられることはありませんでした。 そして、 日本でクリスマスが受け入れられたのは、1900(明治33)年に明治屋が銀座に進出し、その頃からクリスマス商戦が始まったことが大きな契機でした。

大正時代になると、児童向け雑誌や少女雑誌の12月号には、表紙をはじめとしてクリスマスにまつわる話や挿絵がたくさん導入されるようになり、1925年(大正14)年に日本で初めてクリスマスシール(結核撲滅の寄付切手)が発行されました。

昭和初期の頃には、銀座、渋谷道玄坂から浅草にいたるまでの多くのカフェや喫茶店においてはクリスマス料理の献立を用意し、その店員はクリスマスの仮装をして客を迎えました。


水間鉄道 近義の里駅!

2019年12月24日 | 

大阪府貝塚市にある近義の里駅は、貝塚駅から水間観音駅までを結んでいる全線単線の水間鉄道水間線(5.5km)の旅客駅として、1969(昭和44)年6月10日に開業しました。

水間観音駅方面に向かって右側に配置された単式ホーム1面1線のみを有する無人駅で駅舎はなく、直接ホームに入る形となっています。

2018(平成30)年度の1日の平均乗降人員は243人で、水間鉄道の駅の中で最も利用客が少ない駅です。

この近義の里駅は、水間鉄道の中では隣の貝塚市役所前駅に次いで最も遅く開業した駅です。

近義の里駅が属する水間鉄道は、厄除け観音で名高い泉州の古刹、天台宗別格本山龍谷山水間寺(通称:水間観音)への参詣鉄道として建設されましたが、その後、沿線の宅地化も進み、現在は通勤・通学路線となっています。 そして、2009(平成21)年6月1日のダイヤ改正より、朝夕ラッシュ時間帯を含む全列車でワンマン運転が行われています。

  <近義の里駅の年表>

 ・1969(昭和44)年6月10日:水間鉄道水間線の旅客駅として開業

 
(駅 名 標)

 
(貝塚方面を望む)

 
(駅 全 景)

 
(駅 正 面)

 


 撮影年月日:2015(平成27)年9月21日


舞鶴線 淵垣駅!

2019年12月23日 | 

京都府綾部市渕垣町林ノ下にあるJR西日本の淵垣駅は、山陰本線の綾部駅と東舞鶴駅とを結んでいる全線単線の舞鶴線(26,4km)の旅客駅として、1960(昭和35)年3月29日に開業しました。

東舞鶴方面に向かって右側に配置された単式ホーム1面1線のみを有する無人駅で駅舎はなく、ホームへ直接入る形になっています。

2018(平成30)年度の1日の平均乗車人員は379人で、これは起終点駅を含む舞鶴線の全6駅中4位です。

この淵垣駅は舞鶴線の駅では最も遅く開業した駅で、また線内で唯一交換設備のない駅です。

淵垣駅が属する舞鶴線は、もともとは日本海軍の舞鶴鎮守府が置かれ、軍港のあった舞鶴への鉄道として建設されました。そのため、かつて出征者や引揚者の輸送で賑わいましたが、現在は京都府北部の中核都市である舞鶴市などへのビジネス利用や丹後・若狭地方への観光路線となっています。

  <淵垣駅の年表>

 ・1960(昭和35)年3月29日:国鉄舞鶴線の旅客駅として開業
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる
 ・1991(平成3)年4月1日:舞鶴鉄道部の発足により、その管轄となる
 ・2006(平成18)年7月1日:舞鶴鉄道部の廃止に伴って福知山支社管轄に戻され、西舞鶴駅の被管理駅となる
 ・2013(平成25)年8月1日:駅構内終日全面禁煙化

 
(左は現在の駅名標:右はかつての駅名標)

 
(踏切上から東舞鶴方面を望む)

 
(綾部方面を望む)

 
(ホームへの入口)


 撮影年月日:かつての駅名標のみ1997(平成9)年9月8日、それ以外は2016(平成28)年1月10日


近江鉄道 愛知川駅!

2019年12月22日 | 

滋賀県愛知郡愛荘町にある愛知川駅は、米原駅から貴生川駅までを結んでいる全線単線の近江鉄道本線(47.7km)の駅として、1898(明治31)年6月11日に開業しました。

相対式ホーム2面2線を有していて列車交換可能な有人駅(平日の7時20分~8時50分のみ)で、互いのホームは構内踏切で連絡しています。
かつてあった開業時に建てられた木造駅舎は、2000(平成12)年3月にコミュニティハウス(るーぶる愛知川)を併設した新しい駅舎に建て替えられました。

2018(平成30)年度の1日の平均乗降人員は705人で、これは近江鉄道本線の全25駅中7位です。

この愛知川駅は中山道の宿場町として栄えた愛荘町の代表駅で、当駅の南東側には東海道新幹線が並走しています。

愛知川駅が属する近江鉄道本線は、東海道本線や草津線のルートから外れた近江盆地の穀倉地帯を縦断する鉄道として、北陸から関西鉄道(現在の草津線)へ伊勢参詣への短絡路も兼ねて建設されました。 しかし、昭和40年代に入るとモータリゼーションが進み、鉄道の利用客は減少し始め、さらに昭和50年代後半になると国鉄側の貨物輸送の拠点間輸送化の影響を受けて近江鉄道の貨物輸送の縮減が進み、1984(昭和59)年9月にキリンビールの輸送、1986(昭和61)年3月にセメント原石の輸送、1988(昭和63)年3月に日本石油の輸送が廃止されて貨物輸送が全廃となりました。 ちなみに、2013(平成25)年3月16日からは、米原駅~高宮駅に多賀線多賀大社前駅間に「彦根・多賀大社線」(ラインカラー:      赤)、高宮駅~八日市駅間に「湖東近江路線」(ラインカラー:      青)、八日市駅~貴生川駅間に「水口・蒲生野線」(ラインカラー:      黄)の愛称が付けられました。

  <愛知川駅の年表>

 ・1898(明治31)年6月11日:近江鉄道本線の終着駅として開業
 ・1898(明治31)年7月24日:近江鉄道本線が八日市駅まで延伸されたことにより、途中駅となる
 ・2000(平成12)年3月4日:コミュニティハウス(るーぶる愛知川)を併設した新しい駅舎が竣工
 ・2013(平成25)年3月16日:「湖東近江路線」の愛称を使用開始
 ・2019(令和元)年9月15日:駅構内終日全面禁煙化

 
(駅 名 標)

 
(貴生川方面を望む)

 
(駅舎・ホーム側)

 
(愛知川駅駅舎)

 
(駅 舎 内)


 撮影年月日:2018(平成30)年8月11日