大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

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今日は国際航空業務再開の日!

2020年02月02日 | 今日は何の日

2月2日は国際航空業務再開の日です!

1945(昭和20)年8月の太平洋戦争の敗戦後、日本の民間航空事業はアメリカ軍の手により全て解体され、わずかに残った航空機も完全に破壊されてしまいました。

1951(昭和26)年9月8日にサンフランシスコ講和条約が調印されましたが、同年8月1日に日本航空株式会社(現日本航空)が設立されて、民間航空再開の第一歩が始まったのです。 この民間航空の再開を一番心待ちにしていたのは、戦前の航空会社だった大日本航空や満州航空、それに海軍陸軍で数千時間の飛行経験を持つ戦争生き残りのベテランパイロット達でした。

しかし、日本航空が設立されたものの、自社で太平洋便の就航を開始するまでにはさらに2年以上の歳月を要しました。 終戦からそれまでの間は、太平洋路線には戦勝国のアメリカとカナダの航空会社が独占的に就航している状態だったのです。

そしてついに1954(昭和29)年の今日(2月2日)、日本航空によるサンフランシスコ便の運航が開始されました。 航路は東京羽田空港を離陸して、ウェーキ島(給油のため)、ホノルルを経由するコースです。 使用機種は1947(昭和22)年に開発され、1959年の生産中止までに計700機も生産されたたダグラス社製のDC-6Bという4発のプロペラ旅客機で、乗員のうち2名の機長と副操縦士、航空機関士、航空士、の各1名はすべてアメリカ人で、日本人は航空機関士と航空士各1名、客室はスチュワード2名とスチュワーデス3名の計7名が乗員に選ばれました。(ちなみに、太平洋路線をすべて日本人クルーで運行するのは、4年後の1958(昭和33)年4月1日からでした)。 この第1便は38席のうち14人が招待客で占められ、一般の乗客は5人だけでしたが、それでも日の丸の国旗を翼につけた航空機の第1便として新聞の見出しにもなり、日航関係者だけでなく日本国民にも大きな夢を与えたといいます。
その後、正式に東京~サンフランシスコ間の通常航空運輸が始まりましたが、当時の片道運賃は23万4千円でした。 現在の価値で換算すると、500万円弱だそうです。

日本航空は国際線の運航を開始するにあたって、上記のDC-6を計9機購入しました。 同機には東京、京都、奈良など日本の著名な都市を冠した愛称が付けられ、先の東京~サンフランシスコ間の国際線第1便に使用された機体の愛称は、「City Of Tokyo」号でした。
また、DC-6は初の天皇御乗用機にもなっています。 1954(昭和29)年に開催された第9回北海道国体の帰路に、千歳~羽田間で利用されました。
日本航空はこのDC-6を15年以上にもわたって使用し、全機材が退役したのは1969(昭和44)年3月30日でした。



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