大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

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大阪~青森間の特急「白鳥」が廃止された日!

2015年03月02日 | 鉄道

特急「白鳥」は、大阪~青森間の約1040kmを12時間以上かけて走っていた在来線の最長距離電車特急でしたが、2001(平成13)年の今日(3月2日)限りで廃止されました。

   

 

    


特急「白鳥」は、1961(昭和36)年10月1日のダイヤ改正で誕生した日本海側では初の特急列車でしたが、当時の日本海縦貫線はほぼ全線がまだ単線非電化だったので、車両には新製の82系気動車が使用されました。

当初は大阪~直江津~上野間の上野編成も併結していましたが、1965(昭和45)年10月1日のダイヤ改正で上野編成が上野~金沢間の特急「はくたか」として分離されたため、「白鳥」は単独運転となりました。

当時の「白鳥」は、関西・北陸方面から北海道連絡の役割も担っており、青森駅で青函連絡船の深夜便に接続するため、下りの青森着は深夜の24時前、上りの青森発は早朝の4時代というダイヤでした。
このダイヤのパターンは、その北海道連絡の役割の大半を実質的に航空機に譲ってからも踏襲されましたが、それでも青函トンネル開通後はいくらかふつうのダイヤに改められました。 とはいえ、その後も青函連絡船の深夜便に代わって青森と北海道とを結んでいた夜行急行「はまなす」に接続するダイヤが組まれていました。
ちなみに、廃止時のダイヤは、下りが大阪発10時52分で、青森着が22時59分、上りが青森発6時11分で、大阪着が19時6分でした。

私は大学時代、北海道旅行の帰りに札幌から夜行急行「はまなす」で早朝の青森駅に着き、特急「白鳥」で大阪まで乗り通しましたが、とにかく時間が長いので退屈でした。 それに昼食の時間帯になると、車内販売の駅弁が飛ぶように売れていたのを覚えています。


《特急「白鳥」の変遷史》

・昭和36年10月1日:82系気動車特急「白鳥」誕生。 大阪~青森・大阪~上野間に1往復。

・昭和40年10月1日:上野編成が分離独立して「はくたか」となる。 「白鳥」は新潟を経由するようにになる。

・昭和47年10月2日:使用車両が82系気動車から、485系電車(青森運転所所属)に替わる。 これにより大阪~青森間の所要時間が1時間短縮されて13時間40分になる。

・昭和50年3月10日:湖西線を経由することになり、所要時間が10分短縮される。

・昭和53年10月2日:グリーン車を2両から1両に減らし、13両編成から12両編成になる。また普通車3両が初めて自由席になり、ヘッドマークが絵入りになる。

・昭和57年11月15日:金沢~青森間に運転されていた急行「しらゆき」が特急に格上げされて、福井~青森間に運転の「白鳥1・4号」となった。 これにより従来の大阪~青森間の白鳥は「白鳥3・2号」となり、2往復の運転となる。

・昭和60年3月14日:福井~青森間の「白鳥1・4号」が「北越」に吸収され、再び大阪~青森間の1往復運転となる。 使用車両が青森運転所の485系12両編成から向日町運転所の485系10両編成に替わり、食堂車がなくなる。

・昭和61年11月1日:使用車両が向日町運転所の485系10両編成から上沼垂運転所の485系9両編成に替わる。 約20分のスピードアップにより所要時間が13時間になる。

・昭和63年3月13日:青函トンネルが開通し、青函連絡船は廃止される。これに伴い、青森での北海道連絡が青函連絡船の深夜便から夜行急行「はまなす」に変わり、上りの青森発車がくり下がる。

・平成元年7月:車内設備をグレードアップし、車体色もリニューアルした編成が「白鳥」でも使用されるようになる。

・平成9年3月21日:使用車両が上沼垂運転区の485系9両編成から、京都総合運転所の485系9両編成に替わる。

・平成13年3月2日:この日限りで廃止。



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1 コメント

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私も乗りました (オフコース)
2015-03-02 08:45:34
かつて私も上りの白鳥に青森から京都まで乗ったことがありますが、さすがに疲れましたね。
白鳥の発車前に、早朝の青森駅のホームの売店で駅そばを食べた記憶があります。
途中の新潟駅で進行方向が変わるので、シートの向きを転換しましたよね。
全てが懐かしいですなぁ。
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