私の妻は抹茶系のお菓子が大好きなのですが、今日は朝からスーパーに行って写真のようなお菓子をいっぱい買ってきてました。
妻はこれらのお菓子を2日間で全て食べてみせると言って、訳のわからない闘志をみなぎらせていました(苦笑)。
私の妻は抹茶系のお菓子が大好きなのですが、今日は朝からスーパーに行って写真のようなお菓子をいっぱい買ってきてました。
妻はこれらのお菓子を2日間で全て食べてみせると言って、訳のわからない闘志をみなぎらせていました(苦笑)。
5月2日はえんぴつ記念日です!
1887(明治20)年の今日、真崎仁六が東京の新宿(内藤新宿1番地)に真崎鉛筆製造所を創立し、日本初の鉛筆の工場生産が始まりました。
真崎仁六は、1878(明治11)年のパリ万国博覧会の会場で、美しく陳列された様々な鉛筆を初めて見て感動を受けたことをきっかけに鉛筆の国内生産を決意し、材料から製造機械の設計まで様々な研究と努力を重ね、水車を動力とした工場を建てて、鉛筆に量産にこぎつけました。
しかし、量産が始まったものの、日本では昔から文書を毛筆で書く習慣があったので鉛筆の普及は遅れましたが、1901(明治34)年に逓信省(後に郵政省、現在の日本郵政グループ)が、郵便局内で真崎鉛筆の量産型鉛筆3種類(局用鉛筆1号・2号・3号)を採用したことから全国に鉛筆が供給されるようになり、小学校でも1920(大正9)年までに毛筆から鉛筆への切り替えが順次行われ、一般生活にも深く浸透するようになったのでした。
鉛筆の生産高は1966(昭和41)年がピークで、それ以降は年々減少に転じ、近年は少子化の影響やシャープペンシルの利用増やパソコンの普及などが原因で鉛筆の需要は大きく落ち込んでいます。
1998(平成10)年には、労働省(現在の厚生労働省)が事務用品の買い控えによる生産量の減少を理由として鉛筆製造業を「雇用調整助成金の指定業種」に指定しました。
ちなみに、この真崎鉛筆製造所は1952(昭和27)年に社名を三菱鉛筆株式会社に変更しますが、三菱グループとは全く関係がなく、「三菱マーク」は真崎鉛筆が1903(明治36)年に商標を登録して使用を開始し、後から三菱グループが許可をとって使用したのでした。
ところで話題は変わりますが、今日は秋元康の誕生日(57歳)です!