数年前、大腿骨を折って救急搬送されたことがあった。
転倒して大腿骨骨折するのはご老人と相場は決まっているらしく
「まだ若いのに…どうしたの?」注)老人でないだけで若くはありません
と、医師は首をひねっていた。
思えば若い時から違和感はあった。
脚の開きが左右で違っていた。
歩き出し数歩、痛むことがある。
その程度の。
激痛で搬送されたが、あの日は日曜で家族がいた。
それだけでも幸運だったと思う。
大腿骨を折ると立つことはおろか、まったく動けない、絶え間なく続く痛み―
その痛みの中で考えるのはボニーのことだった。
幸い子どもは成人しているし、何とかなるだろう。
でもボニーは?
あの子はわたしだけが頼りだ。
どうしよう どうしよう どうしよう…
考えても何もできない
夫がわたしやボニーのために動いてくれるとは到底思えない
前にわたしが怪我をした時に「15分程度でいいから…」とお願いした朝の散歩も拒否された
「このおかしな犬を返してこい!」
怒鳴りつけられた嫌な記憶がよみがえる
記憶の底にたまっていた澱のような思いが浮かび上がる
もうおしまいだ もう終わりだ
救急車の中で泣いているわたしに救急隊員の方が
「大丈夫ですよ。搬送先の病院は全国から患者が来るような評判のいいところです。心配いりませんよ」
と励ましてくれた。
が、申し訳ないことにわたしの思いはまったく別のところにあった。