先週は11回目の月命日だった
忘れていたわけじゃないけれど
ブログを書くことができなかった
「写真がない」
今までブログに書いた記事なんてほんの少し
載せた写真もほんの少し
なのに新たな写真はもうない
そのことがボニーへの愛情のなさを感じさせて
それだけで悲しくなった
ボニーは暴れ馬みたいなところがあったから
普段はカメラを構えている余裕などなくて
一方 わたしはいつも何かにせかされていた
夫とのショットをわたしがデジタルカメラで撮る
でも わたしとボニーの写真は一枚もない
唯一 わたしのひざの上に寝そべったボニーの写真がある
それは娘が撮ったものだ
悲しくてボニー亡き後送ってもらった写真だ
犬友さんにお願いして譲ってもらった写真
ご近所さんからいただいた写真もある
そしたらね
ボニーさん あなたが思った以上に老いていて びっくりした
頭の中と現実では大きな違いがあることを
今さらながら知った
それはちょうど
鏡の中の自分と写真に写った自分
鏡の中は反転している自分で その自分を見ているのだ
表情だって作っている…無意識に
写真は残酷で容赦ないものだ
もう書くことがなくなってしまった
この頃 想うのは義母のことだけれども
それをボニーのブログに書くのは間違っている気がする
こうしてプッチの写真を載せて犬ブログを装っているのも
おかしな気がしている
宙ぶらりんな気持ち
二度と戻らないあの日々
後悔だらけの自分
こうしてボニーを偲ぶことも
そんな資格が自分にあるだろうか?と思っている