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大震災に思う…原子力発電に於ける秘密

2013-03-10 22:06:43 | 心に響く言葉・出来事
2011年3月11日の大震災に思う。
いつも連載しているブログの内容を今日明日は~~あれから3年~~今思う未曾有の大災害…これをテーマにブログ記述をしたいと思う。
あまりに大きすぎる犠牲、あまりに悲惨な大災害であった。 今だに物理的にも精神的にも終息はない。丁度第二次大戦の総括がされないように、総括のない状態で何年間も日本人の胸の痛みとして残っていくであろう。 単なる自然災害に留まらなかった。放射能汚染の大きな問題が終わりの来ない複雑な思いを持続させる。 第二次大戦は280万人の兵士が戦士、80万人の市民が犠牲死となった。 この国民の無念さは誰も本当の責任を取らないままに、いつしかうやむやになりながら、いたずらに時が過ぎって行った。 大自然の容赦ない力のせいだけであれば、諦めることもしようが、第二次大戦も、この度の原発汚染は人災ではないか? 
日本は、第二次世界大戦後の廃墟の中から、世界で最も発達した先進技術社会へと移るにあたって、20世紀で最も目覚しい変革をとげた。その変化は、かなりの電力需要をもたらし、日本の国を、世界有数の原子力エネルギー依存国に変えた。
胸の痛む話であるが、常に7万人以上が、全国9電力の発電所と52の原子炉で働いている。発電所は、技術職には自社の従業員を雇用しているが、従業員の90%以上が、社会で最も恵まれない層に属する、一時雇用の、知識を持たない労働者である。下請け労働者は、最も危険な仕事のために別に分けられる。原子炉の清掃から、漏出が起きた時の汚染の除去、つまり、技術者が決して近づかない、そこでの修理の仕事まで。
嶋橋伸之さんは、1994年に亡くなるまでの8年近くの間、そのような仕事に使われていた。その若者は横須賀の生まれで、高校を卒業して静岡浜岡原発での仕事をもちかけられた。「何年もの間、私には何も見えておらず、自分の息子がどこで働いているのか知りませんでした。今、あの子の死は殺人であると分かっています」。彼の母、美智子さんはそう嘆く。
  http://www.jca.apc.org/mihama/rosai/elmundo030608.htm

最新技術に依存した日本人への神からの警告であろう。原発危機の知らされていない部分を津波と地震災害により、隠れていた部分隠していた部分が露呈し、粛々と秘密が暴露されている。 原発は大自然と神への冒とく、人間の奢りであろう。 原発はやがて地球壊滅に向かうであろう。 戦争や大災害、隕石の落下もあるだろう…それもこれも神からの傾向であろう。 日本人よ原発依存をやめよ!っていう警告…それでも人間は気がつかないフリをするだろう。
こうしてブログする我が弟も実は福島原発のプラントに関わった設計士であった。惜しむらくは42歳で亡くなった。
もし生きていたら、現場に何度も行ったに違いない。そしてやはり短命であったかも知れない。原発汚染の終焉を願い、今日まで現場で働く人たちの無事と健康を祈らずに居られない。弟が元気な頃、私は容赦ない疑問をぶつけていた。でも弟はほとんど私の質問には答えなかった。原発は安全でない気がするけど…一番危ないのはどういう時? それには弟はポツリと答えたっけ。 「停電時が一番怖いよ」まさに今日の答えとなった。


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