待ちに待った「愛の讃歌」です。
何曲か越路吹雪の歌を歌いますが、この歌大好きを通り越してます。
<100年の残響 昭和のうた物語>(5)1952(昭和27)年「愛の讃歌」 ロゼとノワール 通い合う情熱 原曲作詞 ピアフの精魂、越路吹雪の絶唱
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1971年にリサイタルでピアフを演じる越路吹雪さん=千代田区の日生劇場で
ロゼとノワール-。フランス語で「バラ色」「黒」を意味する。「越路吹雪はね、二つの色彩で『愛の讃歌(さんか)』を歌ったんですよ」
最初はロゼ、やがてノワールに深めていった。親交の深かった音楽評論家安倍寧さん(91)は、そう表現する。
20世紀フランスの不世出の歌手エディット・ピアフ(1915~63年)が作詞した名曲を越路さん(24~80年)が初めて歌ったのは52年のことだ。シャンソン界の第一人者だった二葉あき子さん(15~2011年)が病気で公演「巴里(パリ)の唄」に立てなくなり、代役に選ばれたのが宝塚歌劇団を退団して間もない越路さんだった。
「ただ代わりを務めるのではなく、彼女を輝かせる歌がないかと周囲は考えたそうです」(安倍さん)
公演の音楽監督だった作曲家の黛(まゆずみ)敏郎さん(1929~97年)がフランス留学中に聞いた「愛の讃歌」の譜面を持ってきた。日本語の詞をつけたのは宝塚時代からの友人でマネジャーだった岩谷時子さん(16~2013年)。生前、安倍さんのインタビューに明かしている。「黛さんがピアノを弾きながら歌詞を訳し、私がアクセントを合わせて歌詞をつける…」
こうして完成したのが「あなたの燃える手で あたしを抱きしめて…」で始まる甘く情熱的な愛の詞だ。華やかなフランスのイメージとも重なり合い、ロゼの「愛の讃歌」は大ヒットし、シャンソンを代表する曲となった。
しかし、この詞は岩谷さんの大胆な意訳がなされている。原詞では「空が落ちてこようと 大地が崩れようと構わない あなたの愛があれば」「あなたが望むなら…財宝だって奪う…祖国だって 友人だって捨てる」と、背徳的ともとれる言葉が並ぶ。
ピアフがこの詞を書き上げたのは1949年。ボクサーのマルセル・セルダンへの愛を綴(つづ)ったとされる。妻子あるチャンピオンへの思いを込めた詞には「あなたが死んでしまっても構わない…私も一緒に死ぬから…」という一節もある。この言葉をなぞりかねない悲劇が起きた。ピアフに会うためにセルダンが乗った飛行機が墜落したのだ。船便の予定だったが、ピアフの「早く会いたい」という願いで変更していたとされる。
死の知らせを受けた夜、ピアフはステージに立っていた。その時の思いを自伝で書き残している。「『今晩は彼のために歌います』と客席に言いました。私に自殺を思いとどまらせたのはマルセルではなかったでしょうか」
それから14年後、47歳で亡くなった彼女の人生を日本で舞台化したのが「愛の讃歌~エディット・ピアフの生涯」だ。越路さんが主演し、71年から、56歳で亡くなる前年の79年まで演じた。この舞台で「愛の讃歌」はセルダンの死を悼んで歌われる。かつてパリでピアフのライブを見た越路さんは「そのまま死んじゃうんじゃないかと思うくらい精魂込めて歌うんです。頭をガーンと殴られた」と話している。そのピアフが乗り移ったような黒服での越路さんの絶唱だった。
安倍さんはこのシーンを「初めて聴くノワールとしての『愛の讃歌』であり、最高の『愛の讃歌』だった」と評価している。
一方で、越路さんが歌い続けた岩谷さんの詞は、多くのシャンソン歌手から距離を置かれた。シャンソニエ(シャンソン喫茶)の草分け「銀巴里」でデビューした歌手クミコさんは「美輪(明宏)さんはじめ、多くの歌手がピアフの直訳に近い詞で歌っていました」と明かす。銀巴里が90年に閉店した後、クミコさんは岩谷さんの詞で「愛の讃歌」を歌う機会があった。最初は「この詞は何なんだろうと迷うばかりで…」。
だが歌い続けるうちに、岩谷さんの訳詞にも原詞にも通底する「愛の讃歌」の神髄に気付いたという。
「この歌は『だれに何を言われようと、私は自分の決めた愛に生きる』という一言に尽きるんです。愛する思いのままに生きる。それによって起こることも全て受け入れる。聴く人はそこに力強さを感じ、惹(ひ)かれる。ロゼであっても、ノワールであっても…」
ピアフ、越路さん共に身を削るように捧(ささ)げた愛の対象は歌そのものだったのかもしれない。今年は越路さんの生誕100年に当たる。今もファンが訪れる元麻布の記念碑には「愛の讃歌」が刻まれている。
【子規365日】■7月25日
夏草やベースボールの人遠し 1898(M31)年
夏井いつき【子規365日】朝日文庫
《夏草》の俳句
生い茂る夏の草。野道のほとりや土手、空地、至る所に見られる。
・夏草に這ひ上りたる捨蚕(すてご)かな 鬼 城
・夏草に気罐車の車輪来て止る 誓 子
・生きのびてなほ夏草の眼にしみる 秋 声
横田正知編「写真 俳句歳時記 夏」現代教養文庫 より
西 逈さんのコメントです。
《五輪への讃歌 (西 逈)
フランスという言葉から連想するのは、パリ。その次は、エッフェル塔でもナポレオンでもない、エディッ・ピアフ。シャンソンといえば、男と女の粋な歌のようだが、「愛の讃歌」の絶唱! 革命の歌とも成り得る力強さがある。まさに国民的な歌手だ。アメリカなら、西部劇にエルビスプレスリー。日本といえば、富士山と美空ひばり。 私は今東光和尚がパリで買ったダーカー(ウイスキーを入れる小瓶)を持っている。取敢えず、酒でも飲みながら、オリンピックの競技に酔いしれたい。》