空(hanul 하늘)風(palam 바람)湖水(hosu 호수)2……青空を吹きぬける風が、湖水にさざ波をたてる。

私たちの暮らしは、美しい自然と共生をとりたい物です。そんな日々の暮らしで、感じたことを綴ります。

「傾城(けいせい)の恋は誠の恋ならで金持ってこいが本の恋な…

2023-11-29 13:03:40 | 日記

「傾城(けいせい)の恋は誠の恋ならで金持ってこいが本の恋なり」-。「傾城」とは江戸時代の遊郭の花魁(おいらん)。夢中になれば城が傾くほどとはおっかない

▼戯(ざ)れ歌は花魁が客に気があるようでも、それは本当の「恋」ではなく、長く通わせる手練手管であって、「金持ってこい」の「こい」なのだという。古今亭志ん生の軽口みたいだが、「学校ではこういうことはあんまり教えない」

▼若旦那が花魁にひっかかり、吉原に通い詰めて大騒動に。落語の世界ならまだしも現実の話、しかも食い物にされているのは若い女性とあれば深刻である。ホストクラブの代金がかさみ、支払いのため売春などをさせられるケースが相次いでいるという

▼ホストが金をさんざん使わせ、最後はたまりにたまったツケ(売掛金)を売春によって払わせようとするとはあくどい。背後には犯罪グループがいるとの指摘もある

▼政府は対策に本腰を入れるようだが、利用する側もホストの甘い言葉が「誠の恋」ではないと警戒しておく必要があろう。優しい言葉、親身になって話を聞いてくれる態度。ひどいことを言うようだが、社会経験の浅い若い女性にはそのふるまいが「恋」のように思えても、それはやっぱり、「金持ってこい」の方である可能性が高い

▼学校でも、ホストへの心構えをよく教えたほうがいいかもしれない。近ごろの渡る世間には鬼が多すぎる。

でした。

 

谷口 璽照さんのコメントです。

節談説教から (谷口璽照)

 傾城(けいせい)の恋は誠の恋ならず。女郎の誠と~卵の四角~、あれば晦日に月が出る~。女郎の書く文誠ない、筆に狸の毛がまじる。
 傾城に誠ないとは言うけれど、誠あるまで通いもせずに、振られて帰る野暮なお客の憎て口。夜ごと日ごとに変る客、貞女たてたら一年三六五人に実を立てにゃなりません。憂き川竹の勤めの身、それじゃとっても身が持たぬ。だから遊女には実のないのが当り前。しかし、その実のない遊女にも「藻の花や流れの中に咲く操」という、高雄太夫の喩えあり。
 遊女の実(まこと)は客の実からと言うごとく、今も疑い深いこの私が、弥陀の実に疑い晴れて、不実心と看板あげたこの胸に蓮花の花が開いたは、私のほうから起こすのじゃない、阿弥陀如来のお実が届いたゆえ。
 弥陀と衆生は、いつも反対。弥陀は「まこと」尽くめ、衆生は不実尽くめ。弥陀は助け上手(陽声)、凡夫は落ち上手(陰声)。
 仏さまの毛穴からは光が出るそうな、蘭麝(らんじゃ)の香りがする光です。凡夫の毛穴からは汗が出るそうな、罪障の臭いがする汗です。濁りきったる、この私。汚れきったる、この私。変り通しの、この私。女心と秋の空、男の心だって同じです。雲となったり雨となったり、変りやすいが人心。
 そんな不実な私でも「まこと」尽くめの弥陀の本願、お慈悲の光に照らされて「そのまま来いよ」の、お呼び声。このお呼び声一つが、当てよ頼(たよ)りよ百人力、杖よ柱よ千人力。》

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節談説教から (谷口璽照)
2023-11-29 13:23:21
 傾城(けいせい)の恋は誠の恋ならず。女郎の誠と~卵の四角~、あれば晦日に月が出る~。女郎の書く文誠ない、筆に狸の毛がまじる。
 傾城に誠ないとは言うけれど、誠あるまで通いもせずに、振られて帰る野暮なお客の憎て口。夜ごと日ごとに変る客、貞女たてたら一年三六五人に実を立てにゃなりません。憂き川竹の勤めの身、それじゃとっても身が持たぬ。だから遊女には実のないのが当り前。しかし、その実のない遊女にも「藻の花や流れの中に咲く操」という、高雄太夫の喩えあり。
 遊女の実(まこと)は客の実からと言うごとく、今も疑い深いこの私が、弥陀の実に疑い晴れて、不実心と看板あげたこの胸に蓮花の花が開いたは、私のほうから起こすのじゃない、阿弥陀如来のお実が届いたゆえ。
 弥陀と衆生は、いつも反対。弥陀は「まこと」尽くめ、衆生は不実尽くめ。弥陀は助け上手(陽声)、凡夫は落ち上手(陰声)。
 仏さまの毛穴からは光が出るそうな、蘭麝(らんじゃ)の香りがする光です。凡夫の毛穴からは汗が出るそうな、罪障の臭いがする汗です。濁りきったる、この私。汚れきったる、この私。変り通しの、この私。女心と秋の空、男の心だって同じです。雲となったり雨となったり、変りやすいが人心。
 そんな不実な私でも「まこと」尽くめの弥陀の本願、お慈悲の光に照らされて「そのまま来いよ」の、お呼び声。このお呼び声一つが、当てよ頼(たよ)りよ百人力、杖よ柱よ千人力。
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