フランク永井さんの曲で、「大阪ぐらし」。
むかしむかしABCラジオが作ったホームソングです。
『赤い夕映え通天閣も
染めて燃えてる
夕陽ヶ丘よ
娘なりゃこそ
意地かけまする
花も茜の夾竹桃』
時々歌ってみたくなる、古き大阪の歌です。
【子規365日】■7月28日
議事堂や出口出口の青簾(あおすだれ) 1894(M27)年
夏井いつき【子規365日】朝日文庫
《青簾》の俳句
軒や縁先に、或は障子・唐紙代りに鴨居に吊る。夏日を防ぎ、人目を遮り、間仕切りになる。
・青簾走れる綾(あや)の戻りけり 竜 史
・青簾かけて屋島は絵となりぬ 吐 雨
・簾捲(ま)くいまももいろの桜島 雨 石
横田正知編「写真 俳句歳時記 夏」現代教養文庫 より
《お説教から (谷口璽照)
フランク永井には「こいさんのラブコール」という歌があります。
ここに、泣いている小母ちゃんがいる。〽なんで泣きはる泣いてはる‥‥
「小母ちゃん、どうして泣いている? 阿弥陀さまの本願を危ないと思ってか」
「いいえ、そのようなこと誰が思いましょうか」
「そんなら、如来さまのお慈悲は嘘じゃなかろうかと思ってか」
「滅相もない」
「それなら、なぜ泣いている?」
「はい。本願は結構でございます、お慈悲も忝のうございますが、いつも御化導に〝たのめ〟との仰せですが、どうも〝たのまれん〟ので困ります」
この「たのむ」というのが、地獄と浄土の分れ道、迷いと證(さと)りの追分け道。弥陀をたのむ者は浄土に往生する、そんなことは御門徒なら誰でも知っている。知ってはいても、幾つになってもその味わいがわからないのが、この「たのむ」ということ。弥陀をたのむと口では言うが、未熟な我が心を頼みにしているものです。》
ここに、泣いている小母ちゃんがいる。〽なんで泣きはる泣いてはる‥‥
「小母ちゃん、どうして泣いている? 阿弥陀さまの本願を危ないと思ってか」
「いいえ、そのようなこと誰が思いましょうか」
「そんなら、如来さまのお慈悲は嘘じゃなかろうかと思ってか」
「滅相もない」
「それなら、なぜ泣いている?」
「はい。本願は結構でございます、お慈悲も忝のうございますが、いつも御化導に〝たのめ〟との仰せですが、どうも〝たのまれん〟ので困ります」
この「たのむ」というのが、地獄と浄土の分れ道、迷いと證(さと)りの追分け道。弥陀をたのむ者は浄土に往生する、そんなことは御門徒なら誰でも知っている。知ってはいても、幾つになってもその味わいがわからないのが、この「たのむ」ということ。弥陀をたのむと口では言うが、未熟な我が心を頼みにしているものです。