垂直落下式どうでもいい話

基本的に凡人以下なので期待しないでよね-=≡Σ(((⊃゜∀゜)つ

ブラックホーク・ダウン(7)“デュラント解放までの道のり”

2009年09月05日 01時10分47秒 | ブラックホーク・ダウン
(1~6過去の記事はこちらから)


17:45

●99名のレンジャー、デルタの地上主力部隊は第一墜落地点付近に集結。敵民兵に包囲され釘付けになる。今後の主戦場になっていく…。

【マイク・デュラント解放までの道のり】
後回しにすると面倒くさいのでwwここでスパー64の唯一の生存者、マイク・デュラントについて書いていきましょう。
デュラントは墜落の衝撃で背骨を折る重傷を負いました。救出に来た2名のデルタ隊員にヘリから出され、重傷を負いながらも壁にもたれながら自動小銃でデルタの掩護をしていました。まもなくデルタ2名及び64のクルーは民兵の手によって殺害されますが、デュラントはユースフ・ダヒール・モリアム(実名かは不明)という地域民兵の指導者に助けられ保護されます。その後、ムーリャン(無法者)という別の民兵グループにデュラントの身柄を引渡します。モリアムはデュラントを米軍に捕まった捕虜の解放に利用しようとしましたが、ムーリャンのグループは身代金目的でデュラントを利用するつもりでした。両者の意見は違いましたが、ムーリャンのグループの方が武力が上だったために、モリアムは仕方なくデュラントを渡しました。
デュラントはムーリャン達に連行され、どこかの一室に監禁されますが、そこで第10山岳師団と遭遇します。そして、デュラントを監禁しているムーリャンと第10山岳師団の間で一時激しい戦闘が行われ、デュラントは自分を救出に来てくれたに違いない!という期待を感じたと同時に、“MK19自動擲弾銃”や50口径の凄まじい銃撃音の恐怖に襲われたそうです。結局この部隊はデュラントの存在を知る由もなく、墜落地点に向かうのが目的だった為にその場を通り過ぎていきました。
その後、デュラントはムーリャン達にカメラの前でインタビューを受けることになりますが、ここで撮影された映像は世界に伝えられます。様々な新聞や雑誌にもインタビューの内容とデュラントの顔写真が掲載され話題を呼びました。

ムーリャンはアイディードにデュラントの身柄を渡し(もちろん金を貰って)、アイディード派の宣伝部長のアブデゥラヒ・ハッサン通称“フィリンビ”という人物がデュラントの世話役になります。両者が出合った当初は、デュラントも痛みと恐怖に襲われていて、怒り狂った状態でした。一方フィリンビも多くの仲間を米軍に殺されている為、憎悪に満ちた視線を目の前に横たわるアメリカ人に浴びせていました。しかし、デュラントはスペイン語、フィリンビはイタリア語、この意思の疎通が可能な2つの言語で会話していくうちに、互いに理解しあい笑顔を見せ合うほど良好な関係を築いていきました。それぞれの立場上、色々と思惑はあったと思いますが、胸を張って友人と言える間柄になっていたのは事実でしょう。
その裏で、デュラント解放に力を注いでいたのが前駐ソマリア大使のロバート・オークリー。アイディード派幹部と交渉の際、クリントン大統領は無条件のデュラント解放を求めていることを伝えます。アイディード派幹部は、アメリカが捕虜にしている約70名の同胞の解放を求めますが、オークリーの一歩間違えば脅迫とも取れそうな強気な言葉でデュラントの解放を決定付けることになります。

「その者達が解放されるように努力はするが約束はできない。最善は尽くすが、それはデュラントが解放されてからの話だ。まだ具体的な計画はないが、数週間経ってもデュラントが解放されなかった場合、一体何が起こるだろうか?我々は身代金は払わないし、取引に応じるつもりもない。我々にはデュラントを武力で救出するしか手段はなくなる。それが正しいかどうかは分からないが、確実にソマリア人と戦うことになるだろう。そちら側が発砲した瞬間にアメリカ軍の受ける制約は一切なくなる。戦闘が始まったら航空母艦、戦車、攻撃ヘリコプター、全てを総動員してあなた方を殲滅させる。鬱積した怒りの全てがあなた方に向けられ街は破壊される。男、女、子供、ラクダ、猫、犬、山羊、ロバ、全てが殺されることだろう。それは両者にとって最悪の悲劇になるが、そういうことが起こるだろう」
このメッセージを幹部から伝えられたアイディードはデュラントの無条件解放を認めました。
いや~脅迫以外の何者でもないですが、タラタラ平和的な言葉を並べるより、効果的な交渉術だったようですねwww
無条件解放の一報を聞いたフィリンビとデュラントは喜び、「これで二人とも自由の身だ」と冗談を言い合いました。フィリンビは、デュラントを暴徒から守る責任から解放されると同時に、今回の無条件解放によって世界のソマリア人に対する凶悪なイメージも変わってくれるだろうと願っていたようです。
しかし、フィリンビはデュラント解放で怒った過激派民兵の襲撃を恐れました。ここでデュラントを殺されてしまっては全てが終わる。隠れ家の警備を厳重にしてデュラントを守り続けました。アメリカの陰謀でデュラントが毒殺されてしまう可能性も心配し、診察にきた軍医の痛み止めの注射も拒否するほどだったようです。
フィリンビの献身的な待遇の甲斐あって、ほどなくしてデュラントはアメリカ側に引き渡され11日間の監禁生活を終えました。診察した軍医によれば「右脚大腿骨、頬骨、椎骨の骨折に脚と肩に小さな銃創を確認したが、しっかり手当てはされていた」とのこと。
デュラントはこの時、初めて64のクルーとデルタ2名全員の死を知り、ショックを受けました。デュラントにとって喜びの日でしたが、悲しみの日でもあったようです。輸送機まで続いてるアメリカ兵の人垣の道を担架で運ばれ、多くの仲間の喜びの声を聞きながら、マイク・デュラントは無事に帰国したそうです。
アメリカに拘束されているアイディード派幹部の解放については、こちらもオークリーの働きかけにより、この戦闘の当初の目標だったオマール・サラド、ハッサン・アワレをはじめ、米軍によって捕らえられた全てのアイディード派幹部が解放されました。



22:00

●アメリカ陸軍第10山岳師団主導による巨大多国籍救出部隊が編成され、出撃に向けて準備を進める。


23:23

●巨大救出部隊がスーパー61とスーパー64、二箇所の墜落地点を目指して出撃。

【救出部隊の規模】
市街地に取り残されている99名の特殊部隊員救出のために編成された車輌部隊は第10山岳師団二個ライフル中隊300名を筆頭に、動けるレンジャーの大多数、デルタ・フォース全員、SEAL隊員、空軍戦闘統制技術下仕官も合わせて総勢500名近い大部隊になりました。さらに、パキスタン軍戦車4輛、マレーシア軍APC(装甲兵員輸送車)28輛に加え、第10山岳師団の“AH-1 コブラ”が航空支援に参加。出来上がった車列の長さは約3.2キロにまでなったそうです。
この超巨大な車輌部隊をまとめたのは第10山岳師団第14歩兵連隊第2大隊長ビル・デイヴィッド中佐。彼は自分の部隊とタスクフォース・レンジャーをJOCからマレーシア軍とパキスタン軍のいる新空港に移動させ、両軍と合流、交渉し、救出計画を練り上げ、それを各部隊の隅々まで行き渡らせる作業をしなければなりませんでした。アメリカ側は「パキスタンの戦車とマレーシアのAPCは借りるが、運転手以外の兵隊は必要ないので車輌から降りてくれ」という大変失礼な要求を出しましたが、運転手と銃座に兵を置くという約束で交渉成立。その他様々な要求を出し、ある程度妥協もしながら、なんとか出撃にこぎつけたようです。








(7)に続く……。


この記事書くのやっぱり本当にしんどいなwwwたぶんあと2、3回で終わる予定でいますが、今年中に終われないかも知れません。

皆様、長い目で見守ってやってください。






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