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石見銀山の町並み散策その2

2015-12-10 16:09:45 | 島根
2015年12月6日、5日に温泉津温泉に宿泊し、今日は、石見銀山の町並みを散策します。
石見銀山の町並み散策その1より続きです。
再び町並みに









郵便局














西性寺
「もとは照善坊という天台宗寺院でしたが、寛正年間(1460~1466)に浄土真宗に改宗しました。現在の本堂は弘化2年(1845)に再建されたもので、門と経蔵、庫裏を備え、大森町では最大の規模の寺院です。」

山門



本堂







鐘楼

経蔵の鏝絵
「壁の四面には、鳳凰や菊、牡丹などの鏝絵が描かれています。





再び町並みに



















熊谷家住宅(重要文化財)
「熊谷家は、文献によると17世紀に石見銀山の経営に携わり、その後、掛屋や郷宿、代官所の御用達を勤めたことが知られている。当主は代々町役人(年寄職)を勤めていた。主屋は寛政12年(1800)の大火後の享和元年(1801)の建築で、幕府巡視使の公用宿や町役人としての用向き、御用達などの商用や日常生活にあてたと考えられる。町並みの中で最も規模が大きく質の優れた民家建築で、有力商人の身分や生活の変遷をよく示した建物として高い価値が認められる。」

















石見銀山資料館、大森代官所跡
「代官所跡は、大森地区の北東側に位置する。17世紀から19世紀半ばまで、江戸幕府が石見銀山と周辺地域の150余村を支配するために、江戸幕府が代官を派遣して現地に置いた役所の跡である。敷地面積は2.657㎡あり、瓦葺き平屋建ての表門とその左右に付随する門長屋建物が現存する。現存建物の規模は、幅約4m、総長33mである。1800年に起こった大火の後の1815年に建築されたもので、当時の棟札が現存するほか、1841年制作の古絵図にも描かれている。敷地の中央部にあった母屋は1879年に解体され、その後1902年に邇摩郡役所が建てられた。」









城上神社
鳥居





亀石









拝殿(島根県指定有形文化財)
『正面10.22m、側面11.88m、屋根は重層式の入母屋造り瓦葺きで、江戸の亀戸天満宮を手本にしたものと伝えています。内部は、前半分が拝殿、後半分は5室に仕切り、中通りに弊殿を置き、本殿から向かって左側に直会殿と神輿殿、右側に神楽殿の神供舎を配しています。拝殿の鏡天井には、三瓶山近くの絵師であった梶谷円隣斎守休が極彩色で「鳴き龍」を描いています。この絵天井は柏手で共鳴することもあって、大田市指定文化財となっています。』













本殿



岡家(島根県指定史跡)、石見銀山代官所地役人遺宅







勝源寺
「銀山奉行代官18名の位牌と東照宮に家康公を初め12代将軍までの位牌を安置。欄間彫刻、家康と将軍図、羅漢図、キリシタン地蔵マリア像などを展示している。」境内工事中でした。
山門











城上神社から戻り、銀山地区に進みます。















渡辺家(島根県指定史跡)、石見銀山代官所地役人遺宅

























大森小学校



西本寺
「元西本坊と称し、江戸時代初期の寛永年間に銀山の熊谷宗右衛門尉直政の請により六世空乗の代に出雲国神門郡白枝村から現在地に移転したと伝わる浄土真宗の本願寺派の寺院である。」

山門
「この山門は、一対二本の丸い親柱と前後四本の角控柱からなる四脚門で、17世紀初頭の特徴をそなえた優品です。」

門の横の木に野鳥

本堂

鐘楼



豊栄神社(大田市指定文化財)
「毛利元就が祭神の、毛利家ゆかりの社である。」













お疲れ様でした。


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