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天王寺区の寺町②、金台寺・萬福寺・光明寺・心光寺・青蓮寺・吉祥寺

2017-03-17 20:20:16 | 大阪
2017年3月15日、地下鉄谷町9丁目駅から南に向かって散策しました。松屋町筋を南に進みます。町名が下寺町1丁目、2丁目と寺院が並びます。
金台寺
山門(大阪市指定文化財)
「金台寺の建築群、本堂、庫裏、書院、山門、鐘楼、観音堂、地蔵堂の7棟が大阪市指定文化財です。大阪城下には11の寺町がありましたが、そのうち金台寺が属する寺下町は、江戸時代初期の元和5年(1619)から延宝9年(1681)にかけて整えられ、現在と同じような構成となりました。上町台地の樹林を背景に本堂や庫裏などの巨大な甍が並び、落着いた寺町の景観が形づくられています。金台寺は慶長11年(1606)の創建で、明歴2年(1656)にこの地に移転してきました。本堂はこのときの創建とおもわれ、市内の浄土宗寺院の本堂としては最古のものです。柱に残された痕跡から、創建当初に内部空間をどのように使っていたかがわかります。その向かって右側(南側)に建つ庫裏は屋根が本堂と直交するように置かれていて、外観に変化をつけています。玄関が別棟とならずに、庫裏の内部に組み込むという古いつくり方で建てられています。そのほかにも境内には、鐘楼、観音堂、地蔵堂などが建ち並び、伝統的な寺町の寺院の構成がわかります。松屋町筋に面して建つ山門は豪快なつくりです。築地塀越しに各建物の瓦屋根が建ち並ぶ姿は、寺町の伝統的な景観をよく伝えています。」











本堂





庫裏









南隣の萬福寺です。
萬福寺
「新撰組が大坂旅宿としたのがこの寺院です。」

山門(登録有形文化財)
「江戸中期の1661-1750年に建造、松屋町筋に西面する一間薬医門。間口2.9m幅に本柱を建て、男梁と女梁間に大斗肘木を入れ、妻には蟇股を置く。二軒半繁垂木で、切妻造本瓦葺。地垂木や男梁、女梁の鼻先に絵様を施し、華やかな印象を与える。蟇股には植物紋様を彫る。」







本堂





南隣に進みます。
大覚寺









光明寺
山門(登録有形文化財)
「慶応2年(1866)建造、松屋町筋に西面する一間薬医門で、切妻造本瓦葺とする。間口3.2mで、潜戸付の袖塀を両脇に付ける。女梁を挿し肘木状に作り、男梁上に大斗肘木を組み、虹梁と軒桁を支持。妻は笈形付の虹梁大瓶束とし、軒は一軒繁垂木。鏡天井を張り、中備に龍の彫刻を飾る。」

本堂(登録有形文化財)
「宝永3年(1706)建造、松屋町筋の東に占める境内地の中央に位置する。入母屋造本瓦葺で、正面に一間向拝を付ける。五間堂で中央に双折両開桟唐戸をたてる。外陣及び内陣、脇陣からなる典型的な浄土宗本堂平面をもつ。建具ほかに改変が見られるものの、江戸中期の形態を伝える遺構である。」



庫裏(登録有形文化財)
「江戸末期の1830-1867年築造、本堂の北側に玄関を介して繋がる。東西棟の切妻造本瓦葺で、大棟に煙出、妻面に下屋を設け、南面西寄りに庇を付け、出入口とする。壁は白漆喰仕上げ。玄関は入母屋造妻入桟瓦葺で、妻は木連格子。本堂と庫裏が並び建ち、重厚な境内景観を呈する。」



心光寺
山門(登録有形文化財)
「江戸中期の1661-1750年建造、松屋町筋に西面する一間薬医門で、切妻造本瓦葺とする。間口2.7m幅に本柱を建て、女梁と男梁、冠木を架し、男梁上に大斗を載せ、虹梁と軒桁を支持する。妻は虹梁大瓶束。大瓶束の上方には木鼻を四方に出す。男梁鼻先や虹梁絵様などの細部意匠は秀逸。」





本堂(登録有形文化財)
「昭和4年(1929)建造、市内を南北に貫通する松屋町筋東方の寺町に位置する。火災後の再建になる鉄筋コンクリート造寺院で、住職の設計と伝える。ドーム屋根、柱上の相輪風の飾り、パラペットの宝珠柱風手摺子、多弁アーチなどによりインド風の外観を造りだす。」

南隣の宗念寺
山門



光傳寺
山門











超心寺
山門(登録有形文化財)
「江戸後期の1751-1829年建造、松屋町筋に西面する一間薬医門で、切妻造本瓦葺とする。間口3.1mで、袖塀を両脇に付ける。女梁を挿し肘木状に作り、男梁上、大斗肘木を介して、虹梁と軒桁を支持。妻や中備は流水や雲紋風に彫られた蟇股とする。軒は一軒繁垂木。たちの高い薬医門である。」







大光寺
山門(登録有形文化財)
「寛延2年(1749)建造、松屋町筋に西面する一間薬医門で、切妻造本瓦葺とする。間口2.8mで、潜戸付の袖塀を両脇に付ける。女梁を挿し肘木状に作り、男梁上、大斗肘木を介し、虹梁と軒桁を支持する。軒は一軒繁垂木。妻と中備は笈形付の虹梁大瓶束で、妻と中備の笈形の意匠を違える。」











本堂

稱名寺
山門(登録有形文化財)
「明治期の建造、松屋町筋に西面する一間高麗門。間口2.8mで、腰海鼠壁とする袖塀を両脇に付ける。妻蟇股とし、軒は一軒繁垂木。切妻造本瓦葺で、棟には龍の飾り瓦、隅蓋瓦に波紋を飾る。小規模ながら、たちの高い高麗門で、薬医門が並ぶ下寺町において印象的である。」





本堂

口縄坂
「坂の下から眺めると、道の起伏がくちなわ(蛇)に似ていることから、この名が付けられたという。」







善龍寺
山門







口縄坂を通り、谷町筋まで出ました。
太平寺
「十三まいりのお寺です。」











谷町筋を少し北に進み、2つ目の筋を西に進みます。青蓮寺です。
青蓮寺
map
「2代目竹田出雲墓所があります。出雲は近松門左衛門と並ぶ浄瑠璃作家の巨匠で、からくりの手法を取り入れるなど、今日の人形つかいの原形をつくった。代表作に「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」がある。」
山門





本堂













竹田出雲墓碑





再び谷町筋に戻り、道路を挟んだ反対側に吉祥寺があります。
吉祥寺
「赤穂義士の寺として有名で、元禄年間(1688~1704)に、播州赤穂藩の浅野長矩の祈願所となり、参勤交代の際に立ち寄ったという。ここに四十七士の墓があるのは、寺坂吉右衛門が義士の切腹後、建碑を依頼したためといわれています。」

















四十七士の墓





谷町筋に沿って50mほど南、筋を左に入ると上島鬼貫墓所がある
「鬼貫は、江戸時代を代表する俳人で、伊丹の酒造家に忌まれた。西山宗因に師事し、談林俳諧を学んだがあわず、独自の研究を重ねた。」



鳳林寺山門

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