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府中の街を散策(広島の備後国府があったところ)

2015-07-25 20:32:26 | 広島
2015年7月21日、生口島の耕三寺を後にして、北に約25kmほど走り府中に来ました。
府中は、奈良時代に国家を整備する中で、約60ほどの国(今でいう県)に役所がおかれ、備後国府といわれていました。江戸時代には、島根県の石見銀山に通じる石州街道の要で、宿町としての役割を果たしてました。
府中学園の西側に「お祭り広場」という無料駐車場があります。
map
府中市観光協会です。アイスクリームを食べて、観光パンフレットをいただきました。



恋しき(登録有形文化財)、の観光協会に西側です。
『明治5年、土井利助が恋しきの原型である「旅館土生屋」を開業しました。現在は飲食やケーキ類を売っています。』









観光協会の横の店

金比羅神社、観光協会の道路を挟んで東側です。
鳥居

日本一と言われる石灯籠です。





絵馬殿



本殿



一番街のアーケードを西に向いて歩きます。





















みちしるべ
「石州街道の出口と入り口を「かんのき」と呼んでいました。道筋がTの字形になっており、当時木戸があり、夜間は扉に閂を差し込み通行を規制していたのでその名が残っている。この三差路に石の道しるべが残っており、次のように彫り込んである。北 上下-小畑 石州道 西 市邑・甲山道 東 福山・上方道」



石州街道の説明書
「石州街道は石見銀山で採取した銀を幕府へ運ぶなど多くの人馬が往来し賑った街道でありました。旧藩時代、ここに木戸があり夕方には閉されました。」















慶照寺
「永禄2年(1559)開基、田坂教春が高倉に建立、現在地の建物は元文3年(1738)第7世知教によって建てられる。」
山門



本堂









棟瓦が積むだけでなく、化粧瓦で装飾しています。













出口通りの案内板











胡神社

番所跡
「出口村の人はここを御番所と呼んでいました。旧福山藩の時代、郡奉行の支配下に口留番があり、その場所の一つがこの場所です。口留番所は江戸時代、自領と他領に通ずる水陸の要所に設けた小規模な関所です。旅人の通行も取締りましたが物資の移出入の監視が主な役目で、通り手形と貨物を照合したり、移入品には口留運上などを徴収していました。」







茶屋跡
「旧藩時代、石州街道沿いの藩主が、山陽道に出るため、出口村を通過するとき、休憩したと伝えられています。」















オオムラサキの里があるので舗道にタイルで飾っています。










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