これは孔子の言葉です。
ある時、門弟の子路(しろ)と顔淵(がんえん)に孔子が〈君たちそれぞれの「志」を言ってみないか〉と投げ掛けました。
子路は、孔子の最も古いお弟子さんで素朴にして積極的な武人でしたが、彼がまず言いました。〈馬車や馬、また上等の上着や毛皮などでも朋友と一緒に使い、それをぼろぼろになるまで使われても無念に思わないようにしたいと思います。〉
次に顔淵が言いました。〈自分の善行を自慢せず、苦労は自ら行って、人にさせないようにしたいと思います。〉
日常生活の中で物に即して述べる子路の言葉はいかにも子路らしいと思います。
顔淵は、孔子が最も敬意を払っていた好学の門弟で、謙虚にして徳を積む人でした。(惜しいことに彼は孔子に先立って亡くなってしまうのです。)
すると子路が願い出て言います。〈どうか先生の「志」をお聞かせください。〉
それに応えたのが、表題にもあげた次の言葉でした。
〇「老者は之を安んじ、朋友は之を信じ、少者は之を懐けん。」
[ろうしゃはこれをやすんじ、ほうゆうはこれをしんじ、しょうしゃはこれをなつけん。]
〇大意 「私は、老人が安心して暮らせると思えるようにしたい。友だちから信頼を得るようにしたい。若い者からなつかれるようにしたいものだ。」
私は、子路の言葉も顔淵の言葉もそれぞれにいいなあと思います。
そして、孔子の言葉は、子路や顔淵の言葉よりももっと社会全体から見た人のつながりを述べているようで、これまたすごいなあと思うのです。
「志」は、「心(こころ)+之(ゆく)」から成る字だという説があります。上の「士」は「之」が原形だと言います。すると、「志」は、〈心の之く〉ところ、すなわち、心の目指すところと言うことになります。孔子が目指した社会は、老人が安らかに暮らせて、朋友と信じ合ってものごとに取り組み、若い人からも慕われてよい社会に向かっていける、そういう社会だったと思います。
戦乱の春秋時代にあって、こうした「志」をもって社会改良や教育に尽くした先人がいたことは驚くべきことです。
孔子の述べた「志」は、古今東西を問わず、為政者(政治家)の目指すべき社会ではないでしょうか。
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