2/25 バレンシア→ラ・マンチャ→グラナダ→フラメンコ
バレンシアで、世界遺産のラロンハの建物、外から見る。どちらにしても、建物の中は、がらんどうだそうだ。絹織物の交易拠点としても価値で、建物自身が特別なものではないと、説明。添乗員さんは、バレンバレンシアで、ガイドの免許がないために、説明にはおりれないとのことでした。
ラロンハ(絹織物取引所)
ラロンハ周辺の細い路地が素敵ですね。ヨーロッパは、路地に顔があるとつくづく思います。
バレンシアから、一路ラ・マンチャ地方に移動。マドリード方向に300km近く移動する。そこは、荒れた赤い色の土、植物をかっては全く寄せ付けず貧しい土地だったらしい。いまは、灌漑が進んみ、農地化が進んだというが、あうものは、オリーブとほとんど枝のない背の低いブドウの木と赤い土で、今も変わらないなと思う。この光景が、バレンシアからラ・マンチャ、ラ・マンチャからグラナダへの行程全域で続く。オリーブは、あらゆるところに、植栽されていて、一面オリーブである。山は、ほとんどない。
荒れた赤い土、手前が葡萄
バレンシアからラマンチャ三百キロで唯一見た堰止湖
赤い土が続く。送電線がある。
現代の風車
ドンキホーテ時代の風車@カンポデクリプターナ村
セルバンテスは、今でも、人気者で、クリスマスでも、日本人観光客が、カンポデクリプターナ村を、多数訪れる。もっとも、世界中の人々が訪れる。
昼食は、プエルトラピセ村のドンキホーテの旅籠でいただく。お麩を醤油で煮込み、卵を添えたもの、鳥肉、コメダのロシニヨールのように、パイ生地にアイスクリーム。
ドンキホーテの旅籠前の道路に立つ
ドンキホーテ旅籠入口
中庭
痩せ細ったおじいさん ドンキホーテ
食堂内部
グラナダに、向かう。オリーブが人工的植えられた、それも山一面、不思議な光景だ。珍しいという雨が降り始める。雨雲から、陽射しが漏れる。峠越えを行う。バスは、永延と峠を登る。途中、休息したドライブインの外は雨にぬれる。標高千 メートル位であろう。それでも、谷間が、はっきり見える。この距離がグラナダまで、、380kmあまりである。イベリア半島の真ん中から、海まででの距離だから、イベリア半島は、800kmの横断かな?
人工的に並んだオリーブの木
雨雲と陽射し
雨に濡れたドライブイン
峠を越えると一気にグラナダへ。峠から、光が点滅するのが見えて大都会と知る。明るいネオンでまばゆい。
ホテルは、古いホテルで、部屋は、ピンクでとういつされていて、古いヨーロッパ調のソファが置かれている。
食事は、硬い豚肉とボイルした野菜だが、食欲が、落ちていて殆どを残す。
食後九時に、フラメンコを見に行く。アルバシーンの街並みが非常に特徴的で、アラブ系の街並み白い狭い路地と坂が、続く。この狭い路地を、車が、何事もないように通って行く。日本じゃ考えられないなあと。
フラメンコは色の浅黒い彫りの深い女性が、激しい手拍子と、激しく鳴らす足音で、始まる。事前にジプシーというインプットがあったせいか、暗い社会の底辺を思ってしまう。豊満な肉体が汗と掛け声の中で踊る。
アルバシーンにあるフラメンコの店へ
洞窟のような狭い踊り場に飾られやフラメンコの絵
リズミカルな手拍子、踏み鳴らす足音、高いボーカルの声、そして、汗
二組目のフラメンコ、女性のボーカルのしわがれた声
フラメンコが終わった後、アルハンブラ宮殿の夜景を案内される。案内は、フラメンコを勉強にきている若いジーンズの男子、二年経ったが、踊らせて貰えないということを、ガイドさんが話ししていた。
花のある狭い路地
グラナダの夜景
アルファンブラ宮殿
アルバシーンの街並みは、白い壁の家々が、狭い路地に並ぶ。見通しはつかない。迷ったら帰れそうにない。グラナダとは、ざくろという意味で、路面、家にザクロが描かれている。
ザクロがえがかれたドアと路面
狭い路地
オレンジの中庭
イスラム系の入口
こうしてフラメンコ、アルバシーンの街並み、夜景と夜が更けていく。ホテルに着いたのは、12時だった。
2012年12月25日 夜半
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