ある日の電車の中で起こった出来事です。
とある駅から子供を連れた両親が乗ってきました。ドアが開いて入ってくるなり、『座りたいよーっ』と子供が声を出しました。
ちょうどその親子の前に女子高校生が座っていました。すると『この子に座らせてくれない?』と、母親がその高校生に声をかけていました。
「ちょっと体の具合が悪いので、立てないのです」と、その高校生がか細い声で答えていました。
次の駅で、向かいの席が空くとすばやくそこに走りこんでその子は座り、靴も脱がずに、座席に座り込んで外の景色を見ていました。
「今どきの高校生は席も空けてくれないのね」と聞こえよがしに母親が言っている声がが聞こえました。
高校生の隣にいた中年の女性がそっと「気にしなくていいのよ」とフォローしてあげていたのが、とても心地よい空気を醸し出していました。
たぶん、この高校生は、もし健康であったら黙って席を空けてあげたことでしょうが、やむに已まれぬ事情があったのでしょうね。
電車やバスの中の放送で、小さな子どもや、お年寄り、体の不自由な人には席を譲ってくださいとアナウンスが入りますが、明らかに優先席に座らない方がよいと思われる人が座っていたりすることがありませんか?これは論外ですが、私はちょっと気になる時があります。
小さな子を一人分の席に座らせて、大人が立っている時です。譲り合うということを考えたら、むしろ小さな子は大人の膝の上に乗せ、席を一つ明けてあげられたらいいなと思うのです。
両親が普段そのような気遣いをしていれば、子どもたちも、自然にそうするものと意識し、駄々をこねることもなくなることでしょう。また、比較的大きな子どもには、立たせておくというしつけも大事かもしれません。
子どもは座るものと思い込んでしまうのではなく、空けてもらったら『ありがとう』の感謝の気持ちを表せるように、子どもたちに教えてほしいですし、我慢をすることも覚えてほしいなと、この日一日、考えさせられることになりました。
このブログはともすればクレーム・苦情風なものになりがちですが、電車の中での光景としてこんなことも見聞したことを思い出しましたので、それについても記しておきたいと思います。
数年前のことですが、これも電車の中で、まだ小学生になっていない年ごろの女の子と父親が並んで外を見ながら、「じゃんけん」をしていました。まず、ルールを決めています。けっして声をあげないことがそれで、勝つと指を折って数を数えることにしたようです。二人は、夢中になってそのゲームに熱中し、ついに下車駅に着くまで静かに過ごしていました。
また、これは私が実際に経験したことですが、10年ほど前に、夫の先輩(高齢者)が末期がんを宣告され失意の中で病院から自宅まで帰る電車の中でのことでした。
満員電車の中でわたしは、前に座っていた女子高校生二人に声をかけました。
「この方は病気なので、席を代わってあげてほしいのですが…」
すかさず、二人の学生が席を立ってくれました。(私の分もです)
これだけでしたら、たぶんよくある光景といえるでしょう。その二人は、下車駅につくと私たちに向かって「お大事に」と言って降りていきました。
話はこれだけですが、冒頭記したこととの違いの大きさに驚いてしまいます。
何も注釈は要らないでしょう。
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