コーヒーブレイクでカバの話をした。
モモのように人口哺育カバもいれば、アフリカでは人間の
欲望の犠牲になり、絶滅寸前に追い込まれている野生の
カバもいる。
30年前は約3万頭のカバが居たコンゴ民主共和国には
今では約900頭しか残っていない。
最近では生息地である世界遺産になっている国立公園に
内戦で追われた兵士、避難民などが居続け、食用として
またカバの歯を売るために1頭約5500円で売っている。
この内戦をなんとか止めようと旧宗主国のベルギーやフラ
ンスが動き、国連も部隊を派遣するが紛争解決にいたって
いない。コンゴ民主共和国はアフリカ最大ともいえる鉱山
資源に恵まれた国だ。
ダイヤモンド、金、銅、コバルト、亜鉛に石油、コルタン
という電子部品につかう鉱石が世界有数の規模で採掘も
されている。
こうした地下資源に恵まれた国、中東やアフリカでは
その富を支配し絶対的に君臨する個人、ファミリー、部族
企業があり、絶対的に貧困する部族、人種と2極化する
傾向がある。武器を持ち、殺戮や盗みをなんとも思わず
コンゴ周辺では考えられないようなことが起こっている。
1994年ルワンダで起こった大虐殺は、ヨーロッパでは
旧宗主国のベルギー、フランスで特に連日、自国内での
出来事のように報道されていた。
当時はフランスに出張が多く、パリで見ていたテレビや
新聞の報道、映像は目をおおいたくなる残虐なものだった。
この大虐殺がアフリカの暗部、また人間の欲の深さの限り
なさをあらわしている。
もともとルワンダは農耕系のフツ族が住んでいたが15世紀に
同言語だが牧畜系のツチ族がやってきて、武力でフツ族の
土地であったルワンダ、コンゴ民主共和国、ブルンジに侵入
し支配した。
17世紀にルワンダ王国建国。1889年にドイツの保護領となり
第一次大戦前まではドイツ、その後はベルギーの植民地。
ドイツ、ベルギー共に植民地政策において両民族の対立を
あおって、支配に利用した。フツ族、ツチ族であることを証明
する身分証明書を発行し、同一言語で同じアパート、通り、街
に住み、互いの伝統、習慣を理解し共存していた2つの部族を
別=敵対するものという政策をベルギーはすすめていく。
ベルギーは人口で少数派でありながら戦闘力、指導制に優れた
ツチをフツの上位において植民地支配を続けた。
1962年独立を果たし少数派のツチ族を中心とした国家が成立す
るが、長くベルギーの植民地政策によって対立、敵対心を植え
つけられた両部族はやがて必然的にどちらかを抹殺する機会を
その日を、きっかけを待つだけになっていた。
その後1973年に多数派のフツ族がクーデーターを起こし首謀者
のハビヤリマナ少将が大統領に就任。今度はフツ族がツチ族を
支配する事となった。
ツチ族は、ルワンダ愛国戦線(RPE)を組織して北隣のウガンダ
に拠点を置き、フツ族政権に対する反政府運動を続ける。
1990年にはRPFがルワンダ北部に進撃し内戦勃発。93年に和平
合意に至ったが94年4月にフツの大統領の乗った飛行機が
何者かに撃墜された事件をきっかけに、フツ族によるツチ族の
大量虐殺(ジェノサイト)が始まり6月までの約3ヶ月でツチ族
だけでなく、虐殺に反対するフツ族も多くが犠牲となり80万人
が虐殺された。
この大虐殺の際にツチ、フツに関係なく殺戮から逃れる人々を
自分がマネージャーをしていたホテルにかくまった男がいた。
ルワンダのシンドラーとも呼ばれた彼の実話を描いた映画
「ホテル・ルワンダ」は昨年全米で公開され非常に高い評価を
受けた。
虐殺を逃れたツチ族の多くは北のウガンダに逃れ、そこで
ウガンダ軍の支援を受け、ルワンダに逆襲して今度はフツ族を
西隣のコンゴに追い出すことに成功する。新たな虐殺を恐れた
約200万人のフツ族は隣国のザイール(現コンゴ民主共和国:以下
ザイールと表記)に逃れたが、難民と追いかけるルワンダ軍の
侵入を恐れ、国境周辺でザイール軍に阻止され、難民キャンプが
国境沿いに作られた。
RPFは7月には全土を制圧し、ビジムング大統領、カガメ副大統
領とする新政権が発足し紛争は終結した。
しかし終結したといってもルワンダの戦火はザイールに飛び火
しただけで、ツチの兵隊は逃げるフツを追ってザイール領内に
侵入していく。
ザイールは面積でルワンダの30倍、人口も7倍の5000万人がい
たが、紛争によって血に飢え戦闘力が高いルワンダ軍を抑えられ
ず、ザイール領内は徐々にルワンダによって占領されていく。
国際批判を避けるため、ルワンダ政権はザイール内の反政府活動
家をリーダーにしてゲリラ活動を支援し、ザイール政権を転覆さ
せることに成功。ウガンダ軍もこの混乱に乗じて侵入し、ダイヤ
モンド鉱山を奪い・・・
やがてアンゴラは石油、ジンバブエもダイヤモンドの採掘権を
めぐってザイールに・・・
という、まあなんと形容していいのやら人間の欲のぶつかりあう
場所、その代表的な国がザイール、部族間の激しい対立はルワンダ
という、この2つの国でおこった紛争、内乱は欧州では連日のよう
に報道されていたが、遠いアジアの日本には身近な国際問題として
は伝わってはいない。
アフリカの民族対立に日本が関与したことはない。逆にいえば
だからこそ、そこに日本外交の目指す道があると思うが、遠い
遠いアフリカの大地につながる道は今はまだ見えない。
唯一の被爆国という立場で核拡散防止の旗手にもなれない国だ。
遠いアフリカの根深い民族対立の間に入ってにらみあう部族や
国家の仲裁役など出来そうもないか・・・
そこまでの勇気はオレも求めない、ただ国連の場を利用して
「日本の国際貢献として」という声を出す事はできるはずだろう。
中国のように鉱山資源を手に入れるためなら、非人道的国家や
部族を支援するような真似は日本には出来ない。
出来ない、しないことを誇りとしていく日本外交をオレは支持し
ているのだが・・・
あの大地に立ったものにしか、生まれたものにしか解決できない
問題があるのかもしれないな。
ルワンダの大量虐殺を描いた映画「ホテル・ルワンダ」は有名俳優
が主演で出ていないということで日本では公開が決まっていない。
(ジャン・レノの名があるが脇役であり登場時間も短いようだ)
配給会社もビジネスである。強要できるものではないよね。
確かに日本ではアフリカの小国の悲劇を果たしてどれだけの日本人
がシネマに足を運ぶのだろう・・・
ネットで騒がれた程度で、配給に踏み切れるのだろうか?
日本のシンドラーとも呼ばれ、リトアニアでユダヤ人の多くの命を
救った杉原千畝にしても誰もが知る人物ではないだろう。
しかしきっかけさえあれば、やがて人々の心に必ず、その功績を知り
たい、苦悩や喜びを分かち合いたいという想いがあふれるはずだ。
杉原氏の物語は読売テレビ系で10月には反町隆、飯島直子主演で
公開されるはずだ。
6千人の命のビザ(仮題)ブログでは8月28日にとりあげてみた。
人種、国籍を越えて、人が人を救う行為を題材にした映画の配給に
有名・無名の俳優うんぬんというのは悲しい話だ。
杉原千畝の名とともにルワンダのホテル・デ・ミル・コリンのマネー
ジャー、ポールの名と彼の人道的行為を我々が知る日が近い事を
望みたいものだ。
モモのように人口哺育カバもいれば、アフリカでは人間の
欲望の犠牲になり、絶滅寸前に追い込まれている野生の
カバもいる。
30年前は約3万頭のカバが居たコンゴ民主共和国には
今では約900頭しか残っていない。
最近では生息地である世界遺産になっている国立公園に
内戦で追われた兵士、避難民などが居続け、食用として
またカバの歯を売るために1頭約5500円で売っている。
この内戦をなんとか止めようと旧宗主国のベルギーやフラ
ンスが動き、国連も部隊を派遣するが紛争解決にいたって
いない。コンゴ民主共和国はアフリカ最大ともいえる鉱山
資源に恵まれた国だ。
ダイヤモンド、金、銅、コバルト、亜鉛に石油、コルタン
という電子部品につかう鉱石が世界有数の規模で採掘も
されている。
こうした地下資源に恵まれた国、中東やアフリカでは
その富を支配し絶対的に君臨する個人、ファミリー、部族
企業があり、絶対的に貧困する部族、人種と2極化する
傾向がある。武器を持ち、殺戮や盗みをなんとも思わず
コンゴ周辺では考えられないようなことが起こっている。
1994年ルワンダで起こった大虐殺は、ヨーロッパでは
旧宗主国のベルギー、フランスで特に連日、自国内での
出来事のように報道されていた。
当時はフランスに出張が多く、パリで見ていたテレビや
新聞の報道、映像は目をおおいたくなる残虐なものだった。
この大虐殺がアフリカの暗部、また人間の欲の深さの限り
なさをあらわしている。
もともとルワンダは農耕系のフツ族が住んでいたが15世紀に
同言語だが牧畜系のツチ族がやってきて、武力でフツ族の
土地であったルワンダ、コンゴ民主共和国、ブルンジに侵入
し支配した。
17世紀にルワンダ王国建国。1889年にドイツの保護領となり
第一次大戦前まではドイツ、その後はベルギーの植民地。
ドイツ、ベルギー共に植民地政策において両民族の対立を
あおって、支配に利用した。フツ族、ツチ族であることを証明
する身分証明書を発行し、同一言語で同じアパート、通り、街
に住み、互いの伝統、習慣を理解し共存していた2つの部族を
別=敵対するものという政策をベルギーはすすめていく。
ベルギーは人口で少数派でありながら戦闘力、指導制に優れた
ツチをフツの上位において植民地支配を続けた。
1962年独立を果たし少数派のツチ族を中心とした国家が成立す
るが、長くベルギーの植民地政策によって対立、敵対心を植え
つけられた両部族はやがて必然的にどちらかを抹殺する機会を
その日を、きっかけを待つだけになっていた。
その後1973年に多数派のフツ族がクーデーターを起こし首謀者
のハビヤリマナ少将が大統領に就任。今度はフツ族がツチ族を
支配する事となった。
ツチ族は、ルワンダ愛国戦線(RPE)を組織して北隣のウガンダ
に拠点を置き、フツ族政権に対する反政府運動を続ける。
1990年にはRPFがルワンダ北部に進撃し内戦勃発。93年に和平
合意に至ったが94年4月にフツの大統領の乗った飛行機が
何者かに撃墜された事件をきっかけに、フツ族によるツチ族の
大量虐殺(ジェノサイト)が始まり6月までの約3ヶ月でツチ族
だけでなく、虐殺に反対するフツ族も多くが犠牲となり80万人
が虐殺された。
この大虐殺の際にツチ、フツに関係なく殺戮から逃れる人々を
自分がマネージャーをしていたホテルにかくまった男がいた。
ルワンダのシンドラーとも呼ばれた彼の実話を描いた映画
「ホテル・ルワンダ」は昨年全米で公開され非常に高い評価を
受けた。
虐殺を逃れたツチ族の多くは北のウガンダに逃れ、そこで
ウガンダ軍の支援を受け、ルワンダに逆襲して今度はフツ族を
西隣のコンゴに追い出すことに成功する。新たな虐殺を恐れた
約200万人のフツ族は隣国のザイール(現コンゴ民主共和国:以下
ザイールと表記)に逃れたが、難民と追いかけるルワンダ軍の
侵入を恐れ、国境周辺でザイール軍に阻止され、難民キャンプが
国境沿いに作られた。
RPFは7月には全土を制圧し、ビジムング大統領、カガメ副大統
領とする新政権が発足し紛争は終結した。
しかし終結したといってもルワンダの戦火はザイールに飛び火
しただけで、ツチの兵隊は逃げるフツを追ってザイール領内に
侵入していく。
ザイールは面積でルワンダの30倍、人口も7倍の5000万人がい
たが、紛争によって血に飢え戦闘力が高いルワンダ軍を抑えられ
ず、ザイール領内は徐々にルワンダによって占領されていく。
国際批判を避けるため、ルワンダ政権はザイール内の反政府活動
家をリーダーにしてゲリラ活動を支援し、ザイール政権を転覆さ
せることに成功。ウガンダ軍もこの混乱に乗じて侵入し、ダイヤ
モンド鉱山を奪い・・・
やがてアンゴラは石油、ジンバブエもダイヤモンドの採掘権を
めぐってザイールに・・・
という、まあなんと形容していいのやら人間の欲のぶつかりあう
場所、その代表的な国がザイール、部族間の激しい対立はルワンダ
という、この2つの国でおこった紛争、内乱は欧州では連日のよう
に報道されていたが、遠いアジアの日本には身近な国際問題として
は伝わってはいない。
アフリカの民族対立に日本が関与したことはない。逆にいえば
だからこそ、そこに日本外交の目指す道があると思うが、遠い
遠いアフリカの大地につながる道は今はまだ見えない。
唯一の被爆国という立場で核拡散防止の旗手にもなれない国だ。
遠いアフリカの根深い民族対立の間に入ってにらみあう部族や
国家の仲裁役など出来そうもないか・・・
そこまでの勇気はオレも求めない、ただ国連の場を利用して
「日本の国際貢献として」という声を出す事はできるはずだろう。
中国のように鉱山資源を手に入れるためなら、非人道的国家や
部族を支援するような真似は日本には出来ない。
出来ない、しないことを誇りとしていく日本外交をオレは支持し
ているのだが・・・
あの大地に立ったものにしか、生まれたものにしか解決できない
問題があるのかもしれないな。
ルワンダの大量虐殺を描いた映画「ホテル・ルワンダ」は有名俳優
が主演で出ていないということで日本では公開が決まっていない。
(ジャン・レノの名があるが脇役であり登場時間も短いようだ)
配給会社もビジネスである。強要できるものではないよね。
確かに日本ではアフリカの小国の悲劇を果たしてどれだけの日本人
がシネマに足を運ぶのだろう・・・
ネットで騒がれた程度で、配給に踏み切れるのだろうか?
日本のシンドラーとも呼ばれ、リトアニアでユダヤ人の多くの命を
救った杉原千畝にしても誰もが知る人物ではないだろう。
しかしきっかけさえあれば、やがて人々の心に必ず、その功績を知り
たい、苦悩や喜びを分かち合いたいという想いがあふれるはずだ。
杉原氏の物語は読売テレビ系で10月には反町隆、飯島直子主演で
公開されるはずだ。
6千人の命のビザ(仮題)ブログでは8月28日にとりあげてみた。
人種、国籍を越えて、人が人を救う行為を題材にした映画の配給に
有名・無名の俳優うんぬんというのは悲しい話だ。
杉原千畝の名とともにルワンダのホテル・デ・ミル・コリンのマネー
ジャー、ポールの名と彼の人道的行為を我々が知る日が近い事を
望みたいものだ。