カフェバー・ハーフタイム

above us only sky 人の上にあるのは空だけ みんな平等って意味だろ ジョン? 

君の誕生日だ、ジェラード

2005-05-31 06:52:27 | Weblog
スティーヴンの1才の誕生日3日前にリバプールはレアルマドリッドを破り3度目の欧州チャンピオンとなった。4才の誕生日にはローマでリバプールは七年間で四度目の王座に就いた。当時のことをジェラードは覚えてはいないだろうが30日の25才の誕生日は一生忘れられないものになったに違いない。
コメント

ユベントスの挑戦~プラティニとボニェク

2005-05-29 19:02:18 | Weblog
1982年のワールドカップスペイン大会。思い出すままに
日本になじみある出場選手を上げてみよう。日本代表監督のジーコ、
鹿島のトニーニョ・セレーゾ、リトバルスキー、アルディレス、ラモン・
ディアス・・・マラドーナ、ルンメニゲ、そしてプラティニ。なんと多くの
スターが輝いた大会だっただろう。その思い出はいつかゆっくり時間を
とり、ここではワールドカップが終わったあとの欧州の戦いを思い出してみたい。

ミッシェル・プラティニ ユベントスに加わったフランス代表は期待
通りの活躍でチームに貢献した。スクデットは取れなかったがコッパ
イタリアと得点王を取り、クラブを初の欧州ナンバーワンに導く
大活躍を続けていた。
ベスト8で前年のチャンピオン、アストンビラに連勝し、準決勝では
リバプールを破って進出してきたポーランドのウージに勝ち、ついに
あと1勝までたどり着いた。決勝の相手はハンブルガーSV。
アテネで行われたファイナルを生で見る機会はなかったけれど、
なんとそのビデオを思わぬ場所で見ることになった。

試合は6年連続で1-0というつまらないスコアでユーべはまたも
敗退した。このゲーム自体はあまり魅力的ではなかったが、この
ゲームも含んだ、ある編集されたビデオには輝くばかりの才能が
あふれていた。ワールドカップの2次リーグ、ベルギー戦でハット
トリックを決め、ポーランド3位に貢献した男、
ズビグニェフ・ボニェク!
なんとこのポーランドの生んだビッグプレイヤーのビデオをオレは
彼の母国ポーランドの首都ワルシャワで見て近いうちに必ず
ユーべはボニェクでタイトルを取れると確信した。

コメント

メディアの影響力 ワールドカップ82とチャンピオンズカップ

2005-05-29 18:09:00 | Weblog
1982ワールドカップ・スペイン大会は前回に引き続き
テレビ観戦だった。
78年の大会はロンドンで夕方から夜の放送だったのに、
スペイン大会は午後の日差しがまぶしかったのを覚えている。
テレビであっても試合に十分熱狂できたワールドカップと
活字でしか結果がわからなかったチャンピオンズ。
今のように欧州の戦いが地上波で見れたり、
ネットで何もかも検索できたり、海外にいても日本語でメールが
送受信できる時代じゃないし、活字の時差のある情報だけでは
フラストレーションがたまるだけだった。

この年リバプールは準々決勝でブルガリアのCSKAと戦った。前年に
3連覇を狙ったフォレストをチャンピオンズカップで初めての敗戦を
味わらせ、第2戦も破ったCSKAだが、ベスト8ではリバプールに
2戦6-1の大敗を喫していた。リベンジに燃えたブルガリアの
クラブはイングランドの第1戦を0-1で落としたがホームで追いつき、
延長戦で逆転してイングランド勢同士の決勝をフイにした。
そのCSKAを破ってファイナルに進んだのはバイエルンミュンヘンだ。
決勝までの20ゴールのうちへーネス7ゴール(得点王)ルンメニゲ
6点、ブライトナー5点で18ゴールを奪い、バイエルンの3人が
ランキングのトップ3だった。
対するはイングランド6連覇をかけたアストンビラ。試合はカナダでは
放送されず、ビデオも見た記憶がないが
ありがちな結果としてビラが1-0でバイエルンを完封した。


コメント

ワールドカップ スペイン

2005-05-29 18:05:59 | Weblog
ワールドカップスペイン大会-カナダからヨーロッパに入り15日間で10都市を回った。どこへ行ってもいいおみやげが無くて、スペイン大会の記念は写真の、なんとも言えぬ、何だろこれって?出場国の国旗が両腕に飾られた何とも趣味の悪い何か。とても背中は見せれないなーだってさ各チームのスタープレイヤーの顔が丸く切り取ってちりばめられているんだ。
コメント

危機感と安堵感=ワールドカップ予選はこれで大丈夫=

2005-05-29 16:23:08 | Weblog
キリンカップの2試合は勝敗では2敗だけど
内容的には予想通りかな。両方とも後半しか見なかったけど。

今回の2試合はワールドカップの予選ではないから
勝とうが負けようが関係なくて、まずは怪我をせずに
終わること!これが重要なによりもね、良かったー。
そうでしょう。いくら2試合勝ってもさ、あなたの好きな
プレーヤーがケガしたらどーします。
次にどれだけ精神的なメリットを得られるかだけど
これも2連敗でノーゴールというのは実に「ニヤ!」と
させるものだなあ!
内心ではジーコも川渕さんも同じじゃないかなあ。
これで十分な危機感を持ってバーレーンと戦えるってね。

高原の怪我はまあどこまで深刻なのかわからないけど、
彼も大黒や玉田がノーゴールで、柳沢も鈴木もみんなホッと
してると思うな。これでフォワード全員が誰でも高い
モチベーションで予選に行けるしね。きっと誰かが決めますよ。
バーレーンでもタイでも。

ミッドフィルダーもジーコはこれでヒデを使う理由が出来たし
気になるのは、俊輔のコンディションと中沢の回復ぐらいか?

まあ人それぞれいろんな意見があるだろうけど、20代の選手を
コントロールして上手に使うには、今回の連敗は実に意義が
あったね。全員が持った「見せれる危機感と隠したい安堵感」
これこそジーコが一番ほしかったものじゃないかな。
日本代表はワールドカップの切符を手にして帰ってくると思うな。



コメント

ホームの勝ち方と意味を考えよう PART-1

2005-05-29 15:54:51 | Weblog
1982年はオレにとって初めての北アメリカだった。
それまでヨーロッパが中心だったけど、この年はカナダの後に
ワールドカップ(後)のスペインやイタリアを周り、韓国にも
よって帰ってきた。今日はカナダでのスポーツ観戦の楽しみ方や
良い点を日本のサッカーに活かせないかを一緒に考えてくれると
嬉しいな。

1月から7月まで滞在したカナダのヴァンクーバーは英語圏で
サッカーの記事を新聞で目にすることは多かったな。
時々ケベック州のフランス語新聞も買ったけど、それはサッカー
の大きな試合の後が多かったな。カナダはやはりアイスホッケー
の国で、サッカーよりも断然人気があった。欧州のスタジアムの
治安の悪さ、マナーのなさを体験しているオレには信じられない
光景だったな・・・
そこはまるでショッピングセンターへ行くみたいに家族連れや
若いカップルが普通にデートしてる。ここって・・・?
なんか羨ましいというのか何とも表現できないある種の感動が
あったなー。スポーツをこんな風に楽しめるんだぁってね。

最近の味スタには似た雰囲気はあるけど、みんなのホームでは
どうだい?

ヴァンクーバーを本拠とするカナックスは当時はたいしたことない
チーム成績だったけど、応援の熱さはサッカーと変わらない!
過激さだってハンパじゃない!殴り合い当たり前だからね、
グーパンチで流血が普通ですから!両軍入り乱れての乱闘だって
当たり前。それなのに妙にさわやかなんだなー。不思議と暴力に
感じないんだなー。子供も女性もキャーキャーいうし、男だって
それこそ騒ぎまくるんだ。
インドアだから寒さも雨も関係ないし、でも何よりも何よりも
オレが感動し、涙が出そうになるほど嬉しかったのはオレたち
東洋人が客席に座っていても誰もいやな目で見ない!
それどころか、一緒にゴー カナックス!っていってゴールが
決まれば立ち上がって拍手して、みんなで楽しめたな!
7試合ぐらい観戦して、見れないときはテレビだったけど、し
まいにはオーカナダー、アワーホームアンドネイティブラーンド
ってカナダ国家歌ってました!ハイ。
あとね、楽しめる理由でサッカーとアイスホッケーでは決定的に
違うこと一つあるんだ。それはサッカーでは無理かなー
それはさ、オレの見た限りアイスホッケーではビジターは
完全アウェーなんだよね。
つまりさ、カナックスのホームでは相手のモントリオールやロスの
チームの応援は基本的にしないのが暗黙の了解みたいなんだ。
これって!?すごくない!すごいでしょ!
客席の全員がホームの応援だよ!
想像してほしいんだけどさ、サッカーでこんな風にやったら実は
大成功だったりしないかな?Jリーグも、もしだよ、そうなったら
オレはものすごく楽しいと思うなー。
なんで代表の試合が満席になるのかと同じ理由だと思うんだな。
そこではまず全員が日本!ニッポンを応援するからだよね。
代表の試合で乱闘がないのは、トラブルがおきにくいのは、そう
しない、したくならないムードがあるからだと思うな。
ホームだから勝て!とかホームなのになんで・・・って思う前に
ホームってどうやって作ろう、ホームでどうやったら勝てるって
考えてさ。
相手のホームゲームにアウェーのサポーターは行かないって
いうのも実は楽しくないかなって思うよ。経済的にも、時間的にも
メリットはないですかね?熱烈ゴール裏のサポーターさんいかがですか?
このへんはみんながどう思うかとても興味深いな。


コメント

3 TIMES CUP WINNERS

2005-05-29 12:57:42 | Weblog
ノッティンガムフォレストに欧州チャンピオンズカップ連覇を許したリバプールだが戦力を整えトーナメントに戻って来た。フォレストがスターを金銭闘争で失い、ついにカップ初出場から19試合目で敗戦し一回戦で姿を消したのに対しリバプールはバイエルンとのセミファイナルまで22ゴールと絶好調。バイエルンも19ゴールだがアンフィールドではスコアレス。ミュンヘンでは後半38分にレッズが追い付きアウェーゴールで決勝へ。パリではイングランドの名門がスペインの古豪レアルマドリッドをワンゴールで破り3度目のカップを勝ち取った。写真のバッグには選手のサインと3つのカップが描かれている



コメント

天敵現る!

2005-05-29 11:30:43 | Weblog
3対3というスコアで思い出されるのは98-99シーズンに2試合あるけど
それは近いうちに思い出すとして、思い出はそれより20年前にさかのぼる。

 78-79シーズンのセミファイナルは0-1でノッティンガムフォレストが
ケルンを破り、ミュンヘンオリンピアスタジアムでマルメを下し優勝した。
このシーズンはいわゆるビッグクラブが早々と脱落し盛り上がりに欠けた
トーナメントだったな。ベスト8もぱっとしない印象だった。
フォレストの勝利から4ヶ月後、79-80シーズンが開幕した。
夏の間をケルンで過ごしたオレは迷った末にスイスに戻ることにした。
西ドイツでの生活はスイスに比べれば格段に住みやすく、1マルク
80円に対し1スイスフランは100円が平均的なこの1-2年の対
円レートだった。生活は西ドイツの方が安上がりでもここでは収入を
得る方法が極めて少なかったし1スイスフランは送金に頼れば目減り感
が大きくて実際生活は苦しいが、現地でアルバイトをすれば当時の日本
円で月に30万円は稼ぐことができた。
印象としては同じ仕事で得られる報酬は西ドイツの22万円がスイスで
は30万円、フランスでは17万円という感じだったかな。

スイスでの仕事はジュネーブ空港に乗り入れてる某航空会社での勤務だ
った。日本の海外旅行ブームは右肩あがりで特にヨーロッパの人気が
高かった。成田空港の開業によりそれまで羽田に発着の枠を持っていな
かった各国のエアラインが日本に就航することで日本人スタッフを雇用
する旅行産業が増えていったわけ。
ただ正式な雇用となると・・・今度はオレのほうが考えてしまった。
ジュネーブは小さな街だし、地理的にどこに行くにも便利そうだけど、
そうそう毎月パリやローマに行くわけでもないしね。
サッカー選手の移籍とは収入やステータスで比較にはならないけど、
なかなか異国で暮らすっていうのは勇気がいるものだよ。ましてや学生
ではなく、収入を得て生活するとなるとその覚悟は簡単ではないな。
境遇に共感するというと大げさだけど、それでもイギリス人のキーガン
や日本人の奥寺さん(呼び捨てにはできん!)が異国のリーグで蹴り合
ってるのは励みになったな。

さて、サッカーだ。
レッズサポーターのオレはこのシーズンではリバプールもちろん一番に
応援だ!ネバーウォークアローンだぜ!
続いてリバプールのスターだったキーガンのハンブルガーSV。そして
地元スイスのセルベッテ。今回の天敵はもちろんフォレストだ。5月の
決勝に勝つために当時の移籍金としては最高額をバーミンガムのフォワ
ード、トレバー・フランシスに払い、ルールでは決勝しか出れないにも
かかわらずだぜ!このトレードがスイスのグラスホッパーとのベスト8
の第1戦の前だったから、オレらスイス系は怒ったねー。「ふーん、決
勝でしか使えないプレーヤーにそんだけ金を払うってことは、うちらに
ベスト8で勝つ!てことだよね」ってもんだ。
連日スイスの友人とフォレストをこきおろしていたのにイングランドで
1-4と粉砕され、ホームでも1-1。準決勝では奥寺さんのケルンま
で破りやがって、ほんと憎いチームだった。
さらにだ!おれがフォレストのなかで唯一ファンだったゲミルを放出!
オレが初めてアンチ!という意識を持った初のチームが
このノッティンガムフォレストだった。

1回戦。あろうことかリバプール!どーしたの・・・敗退。ハンブルグ
2勝余裕で2回戦へ。セルベッテ勝った!フォレストもだけど。
2回戦:ハンブルグ、アブねーけどベスト8へ。セルベッテ惜しくも敗
退。フォレスト通過。
ベスト8でフォレストはホームで0-1からアウェーで3-1と逆転!
ハンブルグはホームで1-0でアウェー2-3でからくも突破。
ベスト4では輝かしい歴史を持つ栄光の2つのクラブが両チームに立ち
はだかった。
クライフを擁し3連覇を成し遂げたアヤックスがフォレストに、今シー
ズンのファイナルの舞台ベルナべウをホームとするレアルがハンブルグ
と激突した。
2連覇を目指すフォレストはアムステルダムで0-1と敗れたがトータ
ル2-1でマドリッドへ進出。
ハンブルグはスペインでの第1戦に0-2完敗、レアルはホームでの
決勝戦をほとんど手に入れたかに思えたが・・・ドイツでの第2戦は
ハンブルグが前半で
2点のハンディを追いつき5-1で勝利しレアルを粉砕した。
1980年5月28日のファイナル。フランシスはアキレス腱の負傷
で出れず、ハンブルグもチーム得点王のルベッシュがけがで後半しか
無理で、キーガンは移籍問題などで揺れており、両者互角と思われた
試合は守備的なフォレストが取れる戦術はただひとつ、
カウンターで守った1点でタイムアップ!フォレストは2連覇、
イングランドのクラブは4年連続優勝となった。

このシーズンはオレにとっては寂しいものだった。結果よりも情報の
遅さ、少なさが辛かった。
ヨーロッパにいればどの国へ行ってもサッカーがない国はない。生活の
中にしっかり根付き、バスに乗れば、いつかは緑の芝生は窓から見えた
もんだった。ところがこの国ではバスに乗っても電車に乗っても、
ゴールマウスやボールを蹴る姿を見ることはなかった。
そうなんだ。オレは帰ってきてしまった日本に!きっとすぐ戻ると信じ
て、荷物をすべて置いての一時帰国だったはずが1年以上も滞在すること
になるとは思いもしなかったな。
コメント

もうひとつの3対3

2005-05-28 10:56:57 | Weblog
最近の若いサッカーマニアでも知らないことが多いし、別に
どーってことないかもしれないが、もし今、君が20代で
オランダやイタリア、ドイツやフランスでさ、偶然に小野が
買い物してたり、カフェでヒデや柳沢、俊介がいて、高原と
レストランで隣同士になったりパリで松井や中田(浩)にサ
インもらったり、ついでにちょっとでも会話したらさ、
なんかファンになる気持ちわかってくれるかな。
まあそんなことがオレにもあったわけよ。
1978年西ドイツ ケルン オレを会話だけでなく
プレーでも熱くさせたプレーヤー奥寺康彦。
現横浜FCのゼネラルマネージャーその人だ。

前の年の77年に1FCケルンと契約した奥寺は
デビュー1年目から活躍し、チームのリーグ、カップ
優勝に貢献していた。ケルンをオレが選んだのは当然
彼の活躍を生でみたいからであり、日本人初のプロ
選手のプレーを焼き付けて自慢したかったのだと思う。
日本人だってサッカーのうまいのがいるんだ。
通用するんだというところを知りたかったし、ある意味
では飢えていたな。
どれだけサッカーが好きで、それがどれだけ友人の輪を
広げる役になってくれても、一度「日本サッカーと選手」
に話題がふられても、誰も名を知らず、なんら誇れる
成績がなかった。
経済的には高度成長が進み、日本の企業がどれだけ進出
しようと、ヨーロッパにおいての日本は自動車や電機メ
ーカーの名前が口にされるだけで人間を語られることは
皆無だった。
そのなかで奥寺は100%ドイツでもっとも有名な日本
の人間で、少なくともケルンやとなりのデュセルドルフ
ではその名は誇りと同意語だったと思う。

シーズン78-79でリバプールを沈めたもうひとつの赤い
軍団フォレストはベスト8でオレのもうひとつのひいき
スイス代表のグラスホッパーにも圧勝し、オレを大いに落
胆させていた。しかーーし、リベンジの時期はやってきた。
われらがケルンが抽選でセミファイナルで天敵フォレストと
戦うことになったのだ。

アウェーでの第1戦、2点を先制したケルンだったが相手は
ホームで40試合以上無敗を続けるイングランドのチャンピ
オンでなんと3連続ゴールを奪って逆転した。
敗色濃厚か!と思われたとき、サイドに現れたのはわれらが
奥寺!ついに日本人として初めてチャンピオンズのピッチに
立った。
その感動は忘れられないね。サッカーの世界でそれも欧州の
最強リーグに所属する日本人っていうだけでもすごいのに、
とうとうヨーロッパのナンバーワンを決める戦いの舞台に登場
するんだからさ。
その感動が覚めぬ間に、奥寺にボールがわたり、そして強烈な
左足が・・・ズドーン!
キーパーのシルトンは飛んだものの(確かボールは弾まずに)
そのままネットへ・・・ほんとかよー
ゴーーールだ!同点だ!ありえないー
決まったよ!リプレイみた!すげー!エトセトラ・・・

3対3!なんかどこかで見たスコアだな。
でもこの試合のスターはジェラードでもドゥデクでもない。
日本のOKUDERA!「オクー」だったぜ。









コメント

リバプール3連覇の夢は?

2005-05-28 09:28:09 | Weblog
夏の間、週に3回も3000メートルを超える辺りまで
行ったり来たり、いやーなんとまあ辛いバイトだったなー
日に2万円のバイト代は破格だったけど
こっちは肺も破れそうになった。
まあ、スイスアルプスでのアルバイトはまた「いつか」の
話にして、よーやく稼いだバイト代をジュネーブに取りに
行った日のこと。
新聞を買ったら一面に、出たー組み合わせ!
な、なんとーリバプールの相手はフォレストだあ!
リーグのチャンピオンと欧州チャンピオンの激突だよ。

今のチャンピオンズリーグでは避けられているけど、1回戦
で同国対決になってしまった。その夜のテレビで、確か抽選
はスイスでやってたな。今になって思えばFIFAのオフィスか
な?チューリッヒ。

ノッティンガムフォレストはつい数年前まで無名のクラブだ
ったのにわずか数年でイングランドのトップに登りつめた。
けれど詳しいことは全然わかんなかった。
英国の雑誌をたまに読んでもそんなに英語がわかるわけじゃ
ないし、今のようにインターネットやサッカー雑誌で情報が
間単に手に入るわけじゃないから、テレビの「やるはず」、
「見れるはず」が頼りだった。

1回戦のファーストレグ。スイスの代表グラスホッパーの
試合はライブで7点か8点とって圧勝!
もう他の結果を早く見せろイライラしたのを思い出すな。
ドイツの放送局ではケルンの勝利を放送、別のチャンネル
ではトルコ、ギリシャ、イタリア、スペインというように
地図で東の国から順に試合を放送していて、この分なら
イングランド決戦は最後かと思って、また別の放送局の
ダイジェストを見ていたけど、結局その日は放送されず、
リバプール勝利を信じたニュースは新聞を見て確認する
ことになった。
でもそれは正確には敗戦のニュースだった。

なんと0-2の完封負け!。
フォレストのメンバーにはおおーなんと、ゲミルって?
あのゲミル?そうスコットランド代表で前年のワールドカッ
プでオランダから2ゴールを奪ったあの男が出ていたのだ。
同じ代表のダルグリッシュがレッズにおり、そーかー、見た
かったなー。
2週間後の第2戦。ホームでのリバプールは逆転を狙うも
フォレストと代表で活躍したスーパーGKシルトンを破れず
スコアレスドロー!なんとリバプール3連覇への道は最初の
一歩で終わってしまった。
大きな楽しみがひとつ減ってしまったけれど、なんと
思いもよらなかったすばらしい出来事、
この時にはまさかこの年のチャンピオンズに
こんなことが・・・って思う感動的な事が起こるんだ。





コメント

ドイツ語はドイツでやれよ?!

2005-05-28 08:19:39 | Weblog
ロンドンから帰国、とはいわないか!当時住んでいたスイスに戻り、
彼女の出迎えを受けてオレのスイスで生活が再開された。
恋愛に関してはスルーの予定であったが、パリで出逢って恋をして
バーゼルに住んだのであーる。
以上!。

今はどうかは知らないがスイスは日本人が大好きな国のひとつ、ぜひ訪
れたい国のランキングの常に上位に名を見つけられた。ところがこの国
は住んでみるとイヤー大変だ!
人口が800万のうち300万人くらいは外国人なんだな。労働力不足
を外国から特にイタリアとスペインからの若いのをスカウトして補って
たんだけど、観光に来てお金を落として帰っていくのは大歓迎だけど、
呼んでない国から来た東洋人には冷てー!
滞在許可がほとんどおりないんだな。スイスのためにバーゼル州のため
にアナタなにがデキマスカ?う・・・・ん。
デナオシテクダサーイ。あはぁ・・・。

スイスに住みたいっていってもさ、そりゃ理由がないと簡単には許可し
てくれないわな。
パリやロンドンみたいに語学研修ではヴィザが長期でおりないんだな。
だいたいスイスのそれもドイツ語圏でなんでドイツ語やるのさ?
ドイツ語やるなら西ドイツに行きなさい!って
当たり前なんだけどさ。だって彼女がここなんだからさ・・・
でもオレも一度はドイツに住んでみたかったし、スイスにいても彼らの
話すドイツ語はスイス方言で何もわかんないし、彼女は仕事があるから
オレひとりで(さみしいけど)西ドイツ行くことにしちゃった!

相変わらずバイエルンは強いけど、フランクフルトも良さそうだし、
キーガンの移籍したハンブルグもいいけど寒そうだし、どこに
すっかなーとまあ2-3日考えて、やっぱここかなって決めたのは
ケルン!
日本人には住みやすそうだし、チームは確かリーグとカップ両方を
獲っていた気がするな。
それでホームでチャンピオンズ見れるジャン!って思ったからねー

とりあえず6か月分の学費を作らなきゃなってことになり、季節は
夏だし、バイト口は多い国なので何人かに声をかけていたら、
ありゃーぴったりなバイトありました!
日本人観光客の送迎とガイド。
なにしろ人気あったからねースイスは。
一人で4-5か国語を話すガイドが珍しくないスイスだけど日本語
はさすがに勉強外言語だったからね。面接に行く前にバイトを紹介
してくれた友人と街を歩いていたら旅行会社のバイト担当者に
あっちまったよー!やばーい。だってさ、
その日のオレはいつものように普通に過激な服装でいたんだよね。
相手へのPK覚悟したね。祈ったねーはずせー!
「まあその服装だと多少(かなりでしょ!)怪しいけど、
まあ髪をおろしてね、ネクタイすればいいでしょ?
ネスパー(でしょ?フランス語)」って言われて、
スーパーセーブの気分。夏のバイト決てーちた。
後日提示されたバイト代見てビックリ!
おいおいホントにこんなにモラエルアルカ?
スイスいい国だー!
なんとかケルンでの授業料どころか滞在費も稼げそうになったので
こりゃーちゃんとやらなきゃなつーことで、
スイスへようこそー日本のみなさまって勉強が始まった。
コメント

吼える!勝利の雄叫び

2005-05-28 06:29:37 | Weblog
リバプールの優勝はうれしいな。素直にそう思うよ。
ただ歓喜のサポーターが映し出されるとオレはあまり思い出したくない場所へ飛んでってしまう。

1978年のロンドン滞在中は試合が見たくて何度かスタジアムまでいったよ。
なにしろ25年以上前だからさ正確なところは思い出せないな。
ただひとつだけ覚えているのはさ、結局観戦はしなかったってことだな。
え?うん・・・まあスタジアムの周りを歩いて、試合前の雰囲気を味わったということかな。
あの気配はなんて言えばいいんだろ?
まあこれから喧嘩?ママや彼女の幸せを祈ったか?明日の朝日は見れないかもしれない?
だいたいこんな感じかなぁ。ポケットのなかに物騒なもんを握りしめて、体を揺らしあう。
そういう気合の入ったおっさん、お兄さんが何十人も固まって
歌ったり、吼えたり(人間が吼えるのを初めてきいたな)胸を叩いたり(ゴリラ)してんのに
そんなところでサッカー、見ますかー?見たいー?
いやーオレはやめた!やめといたよ。

オレはどーみたって東洋人のくそガキだし、むかつく髪型でサングラスとかしてるし
クラブが連敗中のサポや下位に沈んでるチームを応援しているやつらには、たまったストレス
をぶつけるには、もってこいの相手よ。虫だな、あいつらに言わせりゃ有色人種は。
オレはイングランドの若いのがちょっかいだす相手ではなかったけど、やつらの態度、生き様
にはホント閉口した。

まあ昔の話と思わずに、海外での試合観戦は今でもそれなりに気をつけてくれよな。





コメント

ライオンハート

2005-05-26 07:10:11 | Weblog
ミラン5人目シェフチェンコのPKはリバプールのポーランド人に止められ死闘に決着がついた。歴史に残る大逆転勝利!明日になればメディアがその奇跡の勝利を華やかに伝えるだろう。前半に3失点したチームが延長戦、PK戦の末に逆転勝利を収めるとは…イングランドの魂-どんな逆境に追い込まれても勝負を捨てない、あきらめない。日本語では負けじ魂と訳すべきライオンハートを見せつけたリバプールの勝利だった。いまは勝者のリバプール、敗れたミラン両チームの健闘を讃えよう。


コメント

ミランか?リバプールか?

2005-05-26 05:51:29 | Weblog
まあドラマティックという試合を思い出すとき今シーズンの決勝戦は
長くオレたちの記憶にとどまり語られるだろうな。
延長戦になればもう互角。後半にもう1点奪えなかったリバプールより
大逆転負けを90分では免れたミランが有利か?

心情的にはリバプールに勝って7月に来日してほしいが、
こういう試合をされると勝敗よりも、ありがとうという気持ちが沸いてくるな。
フィクションではない、映画や小説のように誰かが作為的に盛り上げたのではない
ドラマがここにあり、結果がどのようなものになろうが今年の決勝はいいゲームに
なったと思う。

男と男の戦い。選ばれし者の戦いに、フットボールに感謝!
コメント

ミランをビビらせろ!

2005-05-26 05:24:18 | Weblog
今シーズンの決勝はトルコのイスタンブールで行われている。前半を終えてミランがマルディーニの先制ゴール、クレスポの2発で3点リードだ。試合の結果はどうだろうか?ミランが圧勝というのはチャンピオンズではよくあるスコアだよな。それも決勝で二度も4点を奪い相手を完封してるはずだ。ひとつはクライフのバルサを粉砕した94年のアテネ-ストイチコフとロマーリオの強力ツートップに得点王のクーマンを押さえた。89年にもステアウア・ブカレストに対しフリットとファンバステンが各2ゴールでラカトシュ、ハジを沈黙させた。まあ、前半で3点リードは決定的だけど、マルディーニがカップを掲げられるかは次のゴールがリバプールならまだわからないと思うな。デポルに食らった悪夢はまた起こるかもしれないよ。
コメント