
大阪水曜ほっと集談会イキイキ一世です。
毎年梅の蕾を見るたびに、10代で森田療法に出会ったことの幸運を感じずにはいられない。
そして45年後の今私は、新たな心の躍動感を感じるのである。
若き日の私は、森田療法に生涯を掛けた森田療法家に出会った。
それは私にとっての善知識であり、人生を正しい方向へと導いていただいた恩人である。
個人的には当時私たちの自助グループの代表であられた長谷川洋三氏、メンタルヘルス岡本記念財団の創設者の岡本常男氏、現顧問の山中和己氏、元顧問であられた河野基樹医師への感謝は年々増すばかりである。
そしてもう一人お会いしたことはないが、水谷啓二先生への感謝も尽きることはない。
私にとってのバイブルとも言える自覚と悟りへの道の編集を手掛けられた水谷先生は私の心の師である。
あの当時、水谷啓二先生の体験記を読まなければ今の自分はなかったとさえ思える。
※今日の森田の言葉
ノイローゼの人について、
ほとんど例外なしにいえることは、
甘えもしくは自己中心的であって、
物の見方・考え方に偏りがあるということである。
偏りがあるために、
対人関係も日常生活 もうまくいかず、
行き詰まりを生じて、苦しくてたまらなくなってくるのである。
その自分自身の偏った見方や誤りに自らハッキリ気がつくことを自覚というのである。
この自覚は体験的な人間性の目覚めといってもよい。
そして、自覚すればその人の生活はしだいに正しい人間らしい道にひとりでに、もどってくるのである。
※水谷啓二氏著
※あるがままに生きるより一部抜粋
蛇足を承知で申し上げたい。
以下は私の勝手な憶測である。
当時水谷先生に森田療法を受けていた対象は学生や、社会人になりたての若者が多かった。
どちらかというと経済的に恵まれ、社会体験が乏しく、観念的傾向が強かった。
それゆえに、水谷先生の指導も厳しさを伴うものであったが、そこには生活を共にした責任と深い愛情が伴っていたと思うのである。
現代に於いては、強迫性障害やハラスメントなどによる適応障害などを聞き及ぶとすべてが個人の責任や甘え、認識の誤りとは、言い切れないものを感じる私です。

そのことを承知の上で自分の人生は自分で引き受ける、切り開くという大切なことを水谷啓二先生は、私たちに教えてくださったと思うのです。
2025.2.20 一世