
大阪水曜ほっと集談会一世です。
朝からカフェでまったりしています。
行き交う人々の群れを時折眺めながら、
あの頃のことを考えると本当に嘘のようで現実とは思えないことがあります。
それは40代の頃のことです。
過労と人間関係のもつれからパニックに陥り、常に死の恐怖と向かい合う過酷な日々がありました。
今はなんとなく、そんなことがあったなという感じです。
加齢と共に死は、やがて確実にやってくる現実であると思いますが 普段は忘れているのです。
森田博士の、死は恐れざるを得ずという言葉の体験的理解にはほど遠い私ですが、イメージとして、死の恐怖も心の自然と少しわかるような気がしました。

※今日の森田博士の言葉
私自身の自覚について一例をあげてみますと、
私にとっては死はいかなる場合いかなる条件の下でも、
常に、絶対的に恐ろしいものである、ということをハッキリ自覚しています。
たとえ私が百二十五歳まで生きたとしても、
死が恐ろしくなくなることは決してない、ということを予言することができます。
私も少年時代から、四十歳頃までは、何とかして死を恐れないようにと、
いろいろ工夫もやってきましたけれども、
死はおそれざるを得ないということをハッキリ知ってからのちは、
そのような無駄な骨折りはやめてしまったのであります。
2025.3.27 一世