3年ほど前、私が適応障害である事を書かせて頂きました。
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2014年1月21日『適応障害』
そうなるまでの振返り・・・
娘、上が小6、下が小2の時に元ダンナの浮気が発覚。
魔がさした形での浮気だった様ですが、それまで信じて疑わなかった元ダンナに対する
信頼が音を立てて崩れ落ちました。
それでも、娘達はまだ小さかったし私には生活していくだけの経済力がなかったので、
やり直そうと踏ん張る事に。
その1,2年後、今だから気付く小さな小さな変化が表れ始めてました。
それまで、休みが合う時はどこに行くにも元ダンナと一緒だったのが、私の方が
出かけるのが嫌になってきました。
疲れてるからとか、出かける気分じゃないとか言って、家に一人でいる事が
増えていきました。
それは、仙台に戻ってからも変わらず。
仙台に戻る直前に東日本大震災がありました。
仙台に戻ってからと言うもの、大好きだったYOSAKOIも楽しいと思えなくなったり、
人と会う事が徐々に億劫に感じる様になっていきました。
そして、それまで基本的に人を信じやすかった私が、それが出来なくなってきていました。
でも、最初はそんな変化も全て震災のせいと思い込み、あまり問題視していませんでした。
そうこうしてるうちに、下の娘が中学生になる歳に。
この頃から、私と元ダンナのすれ違いが大きくなっていきました。
娘に対する親としての考え。
ここに大きな違いが・・・
自分の思い込みで娘を奮い立たせようとする元ダンナ。
それが間違っている事ではなくても、その時の娘の状況を見ながら臨機応変に
対応する事が大事だと考える私にとっては大きな違和感・わだかまりとなりました。
そんな感じで溝が大きくなり、前述の浮気の件も相まって、離婚を申し出ました。
この出来事は、私の中で大きなトラウマとなってます。
通院・投薬のおかげと環境が落ち着いてきたのとで、一時期より
だいぶ安定してきたんですけどね。
最近の体調不良や溜まり続ける疲労感、その他諸々で、久々に不安定になってます。
昨夜眠れずに考えている最中に、自分の中で何かが壊れた様な気がしました。
その一瞬は、気持ちがスーッと楽になったんですけどね。
多分、ネガティブモードのピークを過ぎた合図だったのかもしれませんね。